白雲去来

蜷川正大の日々是口実

写真集を二冊ご恵送頂いた。

2015-08-09 11:02:07 | 日記
八月七日(金)晴れ。

午前中に所用あって東京行き。電車の中を見渡すと背広にネクタイ姿と言うのは私だけだった。それでもきちんとした会社の方とお会いするのに、幾ら暑いからと言ってもラフな格好では失礼にあたる。私の人生訓の一つに「太っていても、やせ我慢」がある。

正午前に帰宅。事務所に寄ろうかとも思ったが、暑さに怖気づいた。ポストを見ると、友人のカメラマン「不肖・宮嶋」こと、宮嶋茂樹さんから最新の写真集と古見きゅうと言う人の写真集『TRUK LAGOON』も同封されていた。宮嶋さんからの手紙によれば「古見さんの写真展に行った際に、買い求めたもので蜷川さんに是非見て欲しかった」とあった。『TRUK LAGOON』は、「戦火に撃沈した船、深く暗い海・・・生命をかけて70年と言う時と向かい合う。本書はトラック空襲により海に沈んだ船たちに寄り添い、9年間撮影を続けた記録であり、少しずつ紡いだ沈船たちの記憶である―」(著者)。(講談社刊・2500税別)

宮嶋さんの写真集は、「昨年の『国防男子』『国防女子』は海上自衛隊の若い隊員に焦点を当て、世間を騒がせ恐縮であったが、今年は航空自衛隊の若き隊員に特化した写真集が世に出ることとなった。決して柳の下のどじょうを狙ったわけではない。『国防男子』『国防女子』が男女分けて2冊になって発売されたが『SCRAMBLE!』は1冊で、右開きから『要撃男子』、左開きから『防空女子』というレイアウトになっている。『国防男子』『国防女子』では制服姿を際立たせるために、私服姿も掲載し、賛否あたったが、『要撃男子』『防空女子』では私服姿は一名だけ掲載した。だれがそうなのかはお買い上げのうえご確認ください。まあノー書きはこれぐらいにして、写真は一見していただくに限る。昨今の中国軍機の跳梁跋扈、南シナ海波高い状況はもはや対岸の火事ではない。東シナ海ではすでに中国の勝手な、なんちゃって防空識別圏内である」。(宮嶋さんのウェブサイトより)(講談社刊・3500円税別)

夜は、酔狂亭で月下独酌。
コメント (1)
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へそで茶が湧きそうだ。

2015-08-09 10:24:21 | 日記
八月六日(木)晴れ。

五日連続の三十五度を越える猛暑とか。しかしこの暑さで亡くなる人もいると言うのもうなづける。今日は、広島へ原爆が投下された日。米国民は、揃って広島の方向に向かって頭を垂れなさい。無辜の民を大量に殺戮した人たちが、東京裁判において日本の軍人や政治家を裁いた罪というのが、「人道に対する罪」と「平和に対する罪」と言うのだから笑わせてくれるではないか。シンガポールのリー・クアンユーとか言う首相が、先の大戦における日本軍の行いを「許そう、しかし忘れまい」とかほざいたとか。アナタその台詞は、百四十余年にわたりアナタの国を植民地支配したイギリスに向かって言いなさい。へそで茶が湧きそうだ。

安倍総理が「七十年談話」を発表するに際して参考とした「二十一世紀構想懇談会」と称する有識者がまとめた「戦後七十年談話」が新聞各紙に掲載された。(総理官邸のホーム頁でも閲覧することが出来る)その「二十一世紀懇」が作成した「談話」にあった一節、すなわち、「日本は、満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった」。

本当にそうだろうか。大東亜戦争で亡くなられた数多の英霊は、「侵略者」の手先となって先の大戦を戦ったのだろうか。戦争には、どちらか一方だけが正しくて、反対に悪い、というようなことはない。お互いに言い分がある。要は、将来的に友好な関係を築いて行こうとすることの努力が大切であると思う。百歩譲って「満州事変以降、大陸への侵略」が事実だとしたら、「侵略」をして何を得たのか。何を得るための「侵略」だったのか。これを明らかにせずして短絡的に、お互いの戦争行為を日本だけを「侵略」の二文字で括ることは歴史に対する冒瀆ではないだろうか。また「過酷な植民地支配」をしたと言うが、何が「過酷」であったのか。確かに植民地支配を全面的に肯定する気はないが、「過酷」なことばかりではなかったはずだ。今、ここでそれを論じても仕方がないが、この程度の「談話」を出すのに、エライさんを大勢集めて随分と大仰ではないか。

私の恩師であり、平成五年の十月二十日に朝日新聞東京本社社長室で自決を遂げた野村秋介師は、その際に同志に宛てた檄文の最後にこう書いている。「ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」と。

夜は、酔狂亭でカツオを肴に悲憤慷慨の酒。

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