白雲去来

蜷川正大の日々是口実

同志の主催するBBQへ。

2015-08-24 14:22:15 | 日記
八月二十三日(日)晴れ後小雨。

今日は、親しくさせて頂いている渡邉淳司氏が主催する「SKDコミニケーションズ2015バーベキュー大会」が青梅市の「煉瓦堂・赤とんぼ」というBBQ会場にて行われ出席。素晴らしい所なのだが、なにせ遠い。圏央道が出来るまでは二時間以上もかかったが、今は、一時間半ほどで到着する。

朝十時に戸塚駅にて大行社の岸谷聖一、小沢直人の両氏と待ち合わせて青梅を目指す。圏央道を通るのは初めてである。トンネルが多く、困難な工事であったに違いあるまい。十一時半に着。長谷川光良氏や岡崎一郎氏の弟氏や折本満氏、周本昌山氏や顔見知りの同志の方々多数にご挨拶。昼間から飲んで食べて、三時に中締め。

帰りは、車の中で爆睡。小沢氏に送って頂き帰宅。

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愛宕山、尊攘義軍七十年祭。

2015-08-24 13:41:58 | 日記
八月二十二日(土)晴れ。

平成二十七年 中村武彦先生歿後十年「尊皇絶対・神州恢復」祈念 尊攘義軍十二烈士女 七十年祭。に群青の会の大熊雄次氏と共に出席。

「尊攘義軍」とは、昭和二十年八月十五日早暁、日本を敗戦降伏という未曾有の事態に陥れようとする元凶として、木戸内大臣を斃すべく立ち上がった尊攘義軍十烈士は、しかし事成らず次の手立てのために芝・愛宕山に立て籠もった。

取り巻く官憲との攻防が熾烈を極めるなか、義軍の志士たちは天下の情勢を冷静に見極め「承詔必謹」の大義に殉じることを決めることとなる。義軍のその決意は「陛下の詔に反した罪の責任をとる」玉砕であった。しかし官憲は、解散を強く要求するなか、二十二日夕刻、義軍に対し発砲を開始する。そのとき、義軍陣地から数発の爆音が轟いた。烈士らは、相抱きあいながら、手榴弾を炸裂させ最期の時を迎えたのである。

自決された、飯島與志雄大人命の辞世
「一脈の正気留めて日の本の誇りとともに吾は砕けつ」
「神州の不屈をしめす此の正気継ぐ人あらば思ひ残さじ」

また、二十七日早暁には、義軍の二夫人が自刃場所を清めたあと拳銃自決をし夫君の義挙に殉じた。この義挙から今年で七十年。中村武彦先生の衣鉢を継いで、民族革新会議の犬塚博英議長が同志と共に毎年斎行されている。

弔魂碑にはこうある。「殉皇十二烈士女之碑碑文 昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ 転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応 天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士 しかれども遂に二十二日午後六時 相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す 時俄に黒風暴雨満山を蔽ふ 二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ 忠霊芳魂 永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからず 天なるや秋のこだまかとこしえに愛宕のやまの雄たけびのこゑ」

夕方の蝉しぐれの中、祭文が奏上され玉串を捧げる。六時に黙祷、そして『海ゆかば』を斉唱し慰霊祭は終了した。私にとってこの慰霊祭に参加することは、「腸の腐り止め」なのだ。慰霊祭を続けられている犬塚先輩はじめ顕彰会の皆さんに心から敬意を表します。

直会を新橋の居酒屋にて。九時に解散。自宅に戻った。※慰霊祭の様子。荒岩さんのFBから拝借いたしました。



  

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蕎麦屋で飲んで、蕎麦を食わず。

2015-08-24 12:55:30 | 日記
八月二十一日(金)曇り。

朝食は、昨日のマグロの残りを「ヅケ」にして食べた。朝から贅沢なものよ。とチョッピリ反省しつつ食した。今日は、夜に友人たちと仕事の打ち合わせを兼ねた飲み会があり、東京行き。旅の友は文庫になった『満州国演義』。

場所は、私が好きな田原町の「甲州屋」という蕎麦屋。このお店は、蕎麦も美味しいのだが、何と言ってもヘタな居酒屋よりもツマミが美味しいのである。酒も、ここの「緑茶割り」はクセになる。友人等三人で、「玉子焼き」「カツ煮」「揚げ蕎麦カレー」その他色々頼んで、飲んで、さあー帰ろう、ということになったが、蕎麦屋に来て誰も蕎麦を食べていない。あららら、と言う感じだがマッいいか。

その後錦糸町の秘密基地「223」へ転戦。偶然にも仲良しさんが居て、一杯、一杯、復一杯。ということになった。一時間ほど飲んで、そろそろとと言う所で、友人曰く「ここまで来て○○へ行かなければ、マズいだろう」ということになってさらにもう一軒。酔っていたせいか、何やら表か裏か分からないほどの真黒なママさんとお友達がいて、とにかく、黒い話題で盛り上がりヘロヘロになって帰宅。久しぶりの大破・轟沈の夜でした。友人の皆さんに感謝。

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彼岸花。

2015-08-24 12:24:40 | 日記
八月二十日(木)雨。

朝食は、タラコ、筋子に蜆の味噌汁。朝食が一番おいしい。いい歳をしてお恥ずかしいが、朝、お腹が空いて目が覚めることが度々ある。お米を食べるのは朝一回なので、余計にそう思うのかもしれない。昼食は、軽めの物。夕食は、刺身か豆腐かサラダかおしんこ。肉を食べるとしたら、鶏肉。夜の主食は、当然酒。

十月は野村先生のご命日で、今年は二十三回忌となる。来月の半ばにもなると、野村先生のお墓のある伊勢原の浄発願寺付近には彼岸花が咲く。その辺りは彼岸花の群生地としても知られ、土曜、日曜日などはカメラを手にしたハイカーの人たちで混雑する。彼岸花は、別名、曼珠沙華。梵語の「マンジュサカ」の略で、天上の華、赤い花の意味もあるそうだ。そう言えば山口百恵の歌に『曼珠沙華』があることを思い出した。思い出したと言えば、十一年前の九月三日。群青忌の打ち合わせで浄発願寺を訪れる途中の道で、父の訃報を知った。早咲きの彼岸花の赤い色が目に染みた。

夕方まで事務所にて仕事。五時過ぎに久しぶりに松原商店街へ行き、夕食の肴を求めた。もちろんマグロ。いそいそと自宅に戻り、いざ乾杯。恙なく非生産的な一日が終わる。

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