白雲去来

蜷川正大の日々是口実

家から一歩も出ませんでした。

2016-07-24 18:03:33 | 日記
七月二十四日(日)晴れ。

五時四十五分に目が覚めた。もうミンミン蝉の声が聞こえる。短い命の中で、生きていると言うことを誰よりも早く伝えたいのかもしれない。雨戸を開けると、夏の日差しが、大挙して入ってきた。この瞬間が好きだ。貧乏をしていても天気が良いだけで、元気を貰える。元気と言えば、先日講演をお願いした、藤井厳喜先生の講演テープを原稿に起こす作業をしている。やったことのある人なら分かると思うが、これが結構大変だ。特に、講演を聞いているのと、聞かないでテープだけ起こすのとでは、リライトする時間も違う。早朝の涼しさを力にして一時間ほど頑張ったが、遅々として進まない。

ロシアの陸上選手がドーピング問題で、オリンピックの出場が危ぶまれている。当然と言えば当然である。これまで共産主義国家の選手のドーピングなど、いわば公然の秘密だった。かつての東ドイツだって、人口の割には、メダリストが異常に多い。独裁国家の独裁者が国威発揚と自分の存在を宣伝するために、スポーツ選手を利用することは、誰もが知っていたことだ。もちろんすべての選手がドーピングをしていたとは思わないが、「国家ぐるみ」であることは否定が出来ないだろう。ロシア選手の出場停止は、今後のオリンピックや世界大会の良い薬になると思う。

永六輔や大橋巨泉といった人の訃報が続いた。色々な意味で昭和が遠ざかって行く。仕方がないことだ。子供の頃、テレビなどで活躍している人と言うのは、みんな良い人だと思っていた。良い人だからこそテレビに出られて活躍していると、勝手に思い込んでいたのだ。それが、物心がつくにつれて、当たり前のことだが、悪い奴もいることを知った。日本人のくせに、日本の悪口を言い触らす連中だ。日本人のくせに、日本の伝統や文化を否定する連中がいることを知った時はショックだった。死んだ人のことを鞭打ちたくはないが、有名人であろうが、才能が有ろうが、日本人としての性根が腐っているような人は、尊敬が出来ない。

上の子供はテスト中。ポケモンもゲットできないとこぼしていた。下の子供も、大人しく、少しだけ勉強している。私も、とりあえずはPCで仕事。七時近くになって、昨日に続き、家族で食卓を囲んだ。話題は、トランプが大統領になったらどうなるか。イギリスのEU離脱について。まさか、そんな話が夕食時に出る訳もない。酒が不味くなる。笑い話で十分です。さあ、明日から月曜日。気を引き締めましょう。と私が言えば、すかさず子供たちが「いいね。お父さんは毎日が日曜日で」。とほほ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『燃えよ祖国』の223号の評判が良い。

2016-07-24 07:44:56 | 日記
七月二十三日(土)晴れ。

「文春砲」がまたさく裂。東京都知事に立候補している鳥越の下半身スキャンダル。自分の口で何一つ釈明をせずに、弁護士に一任した。舛添が、「第三者」あるいは「弁護士に厳しく調査」と言ったのと同じではないか。他人には厳しく、自分には甘いんじゃありませんか鳥越さん。

自画自賛をして申し訳ないが、弊誌『燃えよ祖国』の二二三号の「オバマ大統領の広島訪問をどう思うか」という特集がとても評判が良い。岐阜の花房東洋先輩からも「いい企画でしたね。自由闊達に意見を出し合える場、これからも時宣に応じ企画して下さい」。というメールを頂いた。「余分に下さい」、「送って下さい」というメールや電話があって、珍しく増刷に汗を書いた。そう言えば、東大に留学していて、二、三年前にアメリカに帰国した、ベジタリアンで、皆からはCIAじゃないの。とからかわれていた日本文化研究家のスミスさんからメールが入って、「読みたいので送って下さい」。(彼は日本語の読み書きができる)郵送は面倒なので、PDFにしてメールした。

NHKの朝の連ドラ「とと姉ちゃん」も、新しい雑誌作りに入った。雑誌作りは、編集者の個性が出る。単に政治家や学者の論文や意見を乗せるだけの雑誌なら、似たような物はいくらでもある。私は、野村先生のことを多くの人に知って貰いたいと言うことと、民族派運動の現在。と言うことにテーマを絞って雑誌を作っている。これからも鋭意、努力を重ねたいと思っている。

アメリカの共和党大会で、トランプが正式に大統領候補になった。当初は泡沫扱いだった彼が、ここまで登りつめることを、一体誰が想像しただろうか。個人的には、トランプに頑張って貰いたい。彼は、日本にとって「太平の眠りを覚ます黒船」の存在だと思う。国防と言う大切なことを、かつての敵国に委ね、占領基本法とも言うべき、現在の日本国憲法を「平和憲法」という戦後のまやかし。お金を借りて、元本を返さずに、安い金利だけ払って、贅沢三昧をしていた者が、貸して貰っていた人の資金繰りが厳しくなって、元本の一括返済を迫られている。今更オロオロしても仕方あるめぇ。ちなみに彼の主張していることは、ほとんど正しいと私は思っている。もちろんアメリカにとってだ。

良い天気だ。家族に檄を飛ばして、朝から掃除に洗濯に汗を書いた。午後からは、とりあえず仕事。夕方に晩酌の買い物。安くて美味しそうな「牛タン」が売っていたので、ネギ塩牛タンの夕食。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諸行は無常か・・・。

2016-07-24 07:13:39 | 日記
七月二十二日(金)晴れ。

盟友だった、初代の国防青年隊の渡邊康司氏が亡くなってから、早いものでもう二十年が過ぎた。彼は、小田原の海沿い、西湘バイパスのすぐ近くにあるお寺の墓地に眠っている。熱海などに行く折、西湘バイパスでその近くを通ると、光る海の彼方に彼の顔が浮かんでくる。

彼と初めて会ったのは、昭和五十年頃か。民族派の学生青年が中心になって行った核拡散防止条約の反対運動の折に、団体を結成したばかりの彼が街宣車でやってきた。その運動に誘ったのは長谷川光良氏である。すぐに意気投合して、以来様々な運動を共にした。若気の至りで「桃園の誓い」を気取ったのもその頃だ。

その彼が、四十五歳と言う若さで突然亡くなった。それまで自分が病気で死ぬことなんて、つゆぞ考えたこともなくかった。今の自分には関係のないことで、まだずっーと先のことと、勝手に思っていた。当たり前のことだが、明日死んでもおかしくない。と言うことを気付かされたのは、渡邉氏の死に直面してからだ。しかし、野村先生の自決に直面して以来、人が死ぬと言うことに、余り驚かなくなった。馬齢を重ねることによって、死と言うものが、ある意味では「日常」のことと悟ったのかもしれない。

岐阜の花房東洋先輩から教わったのが「名刺供養」だ。先輩は、恩師の三上卓先生の名刺を一番上に置き、過去に名刺交換をした方が亡くなられると、三上先生の名刺の下に重ねて供養する。私も真似て、野村先生の名刺の下に亡くなられた方の名刺を入れてあるが、その名刺ケースも二箱にもなってしまった。

今も、盟友が病魔と闘っている。電話をしようとも思うのだが、安易な慰めなどかえって失礼と思い・・・。いや彼の辛そうな声を聞くのが怖くて避けているのかもしれない。生者必滅、会者定離、諸行は無常か・・・。

柄にもなく、そんなことを考えた一日だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする