一月十一日(水)晴れ。
私が発行している機関誌『燃えよ祖国』にて、「安部総理の真珠湾訪問を私はこう思う」というテーマで、弊社の社友を中心として原稿をお願いした。賛否両論あったが、おおむね「慰霊訪問」ということで賛成と言う意見が多かった。
言うまでもないが、大東亜戦争は真珠湾の攻撃から始まったわけではない。先の大戦の象徴的な出来事ではあるが、出発点では無かった。また当時、米国側は、日本海軍の行動をすべて知っておりながら、真珠湾の米海軍部隊には一斉知らせず、日本軍の攻撃を「騙し討ち」という形にして、日米戦に消極的であった、米国の国民の「怒り」を演出させた。というのが、最近日本では「定説」になりつつある。その根拠として、真珠湾は水深が浅く、航空魚雷での攻撃は不可能と思われていたし、黄色人種を蔑視していた米国の軍部や指導者は、日本のパイロットの技量を軽視していた。従って、日本の機動部隊が、攻撃してきても、大した損害はないだろうと考えていた。
しかし、この「米国陰謀説」が、例え本当であったとしても、米国の国民は、「日本の騙し討ち」という節を、今後も信じ続けるに違いあるまい。これは理論、理屈などではなく、「我々は正しい戦をした」と思い続けることが、米国民のプライドであり、正当な歴史の事実であると、信じているからである。
例えば、我が国の「忠臣蔵」において、いくら浅野内匠頭が、思慮の浅い男で、吉良への進物も嫌がる吝嗇な主君。悪いのは浅野であって、吉良ではない。巷間言われていることは、間違い。と歴史家が百万言を弄しても、信じる者がいないのと同じなのだ。真珠湾の奇襲も、忠臣蔵もお互いの国民の琴線に触れる出来事である以上、「騙し討ち」の定説を覆すのは難しいと私は思う。
弊誌の特集号(鋭意製作中です)の中で大行社の小針政人氏は、ケント・ギルバート氏の論文を引用して、「米国は、紛争中立国が守るべき国際法を破った上に、日米開戦の準備を着々と進めていた。最終的に行われた『石油の全面禁輸措置』という敵対行為は、米国から日本への『武力を伴わない先制攻撃』である。真珠湾攻撃はそれに対する反撃だった」と、指摘している。安部総理の真珠湾訪問が、戦後の日本人が、そう言ったことを考える入り口になることを願っている。
野村先生は、自決に際して、同志らに宛てた檄文、「天の怒りか、地の声か」をこういう言葉で結んでいる。、「いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」。
夜は、酔狂亭にて「黒霧島」を相手に月下独酌。
私が発行している機関誌『燃えよ祖国』にて、「安部総理の真珠湾訪問を私はこう思う」というテーマで、弊社の社友を中心として原稿をお願いした。賛否両論あったが、おおむね「慰霊訪問」ということで賛成と言う意見が多かった。
言うまでもないが、大東亜戦争は真珠湾の攻撃から始まったわけではない。先の大戦の象徴的な出来事ではあるが、出発点では無かった。また当時、米国側は、日本海軍の行動をすべて知っておりながら、真珠湾の米海軍部隊には一斉知らせず、日本軍の攻撃を「騙し討ち」という形にして、日米戦に消極的であった、米国の国民の「怒り」を演出させた。というのが、最近日本では「定説」になりつつある。その根拠として、真珠湾は水深が浅く、航空魚雷での攻撃は不可能と思われていたし、黄色人種を蔑視していた米国の軍部や指導者は、日本のパイロットの技量を軽視していた。従って、日本の機動部隊が、攻撃してきても、大した損害はないだろうと考えていた。
しかし、この「米国陰謀説」が、例え本当であったとしても、米国の国民は、「日本の騙し討ち」という節を、今後も信じ続けるに違いあるまい。これは理論、理屈などではなく、「我々は正しい戦をした」と思い続けることが、米国民のプライドであり、正当な歴史の事実であると、信じているからである。
例えば、我が国の「忠臣蔵」において、いくら浅野内匠頭が、思慮の浅い男で、吉良への進物も嫌がる吝嗇な主君。悪いのは浅野であって、吉良ではない。巷間言われていることは、間違い。と歴史家が百万言を弄しても、信じる者がいないのと同じなのだ。真珠湾の奇襲も、忠臣蔵もお互いの国民の琴線に触れる出来事である以上、「騙し討ち」の定説を覆すのは難しいと私は思う。
弊誌の特集号(鋭意製作中です)の中で大行社の小針政人氏は、ケント・ギルバート氏の論文を引用して、「米国は、紛争中立国が守るべき国際法を破った上に、日米開戦の準備を着々と進めていた。最終的に行われた『石油の全面禁輸措置』という敵対行為は、米国から日本への『武力を伴わない先制攻撃』である。真珠湾攻撃はそれに対する反撃だった」と、指摘している。安部総理の真珠湾訪問が、戦後の日本人が、そう言ったことを考える入り口になることを願っている。
野村先生は、自決に際して、同志らに宛てた檄文、「天の怒りか、地の声か」をこういう言葉で結んでいる。、「いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」。
夜は、酔狂亭にて「黒霧島」を相手に月下独酌。