白雲去来

蜷川正大の日々是口実

酔って「青袍を汚す」癖。

2017-01-23 17:49:27 | 日記
一月十八日(水)晴れ。

支那は元の時代の詩人に、薩都剌(さつとら)という人がいる。名前から漢民族ではなく、イスラム系の人と言われている。その人の漢詩に、「雪中、江を渡り山を過ぎ、暘谷(ようこく)の簡上人の房に飲む」といものがある。「山房」とは、山の中にある家、山荘を指す。「簡上人」とは、海雲大宗師簡公と呼ばれた人物。一海知義先生の受け売りである。

山酒 香を吹いて小槽より出ず
燈前に痛飲して青袍を汚す
夜深けて夢醒め 何処なるかを知らんや
老鶴一声 山月は高し

まあ読んで大意をお察しください。私は、新しい背広やシャツ、ネクタイをして出かけると、必ず、酒席で、料理の汁や酒をこぼして汚してしまうと言う悪いジンクスがある。ネクタイなどは、気をつけてシャツの中に入れるようにしているのだが、帰宅して見ると、小さなシミが付いていて、ガピーンである。すると、前述の詩の一節。「燈前に痛飲して青袍を汚す」が頭に浮かぶのである。「痛飲」とは、大いに酒を飲むこと。「夜を徹して痛飲する」。と言うように用いる。余談だが、道の兄と慕った、元楯の会の故阿部勉さんの「日記」には、良くこの「痛飲」の二文字が出てきた。「痛飲」という字を見ると、ゴールデン街で飲んでいる阿部さんを思い出す。

「青袍」(せいほう)とは、当時の官僚の着る服のこと。最近は、痛飲して「夜深けて夢醒め 何処なるかを知らんや」ということはなくなったが、「青袍を汚す」ことが治らない。だから普段着やジャージ姿で飲んでいる時が、一番落ち着く。そんな訳で、今日も作務衣に着替えて酔狂亭で月下独酌。

      



      

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今日は、貫一とお宮の別れの日。

2017-01-23 17:03:11 | 日記
一月十七日(火)晴れ。

かつて熱海の海岸前には大箱のホテルが並んでいた。民族派団体もそれらのホテルで新年会などを行ったものだ。そのビーチロード沿いにあるのが、有名な「お宮の松」。 明治三十年より六年間「読売新聞」「新小説」に断続的に掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)。この小説にちなむ「お宮の松」と、「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる歌が一体となり、爆発的なヒットとなった。そのお宮の松のすぐ横にあるのが、「貫一とお宮の像」である。「ダイヤモンドに目がくらみ、貫一を捨てた」お宮を、貫一が足蹴にしている像だ。今ならDVで告訴されるかもしれない。

昔はおおらかで、奥村チヨのヒット曲「恋の奴隷」の歌詞には、「悪い時には、どうぞぶってね。あなた好みの女になりたい」とある。女を殴るのは最低。と言うが、奥村チヨみたいな女もいるのだ。というのは冗談です。話を貫一とお宮に戻せば、二人の修羅場のセリフはこうだ。「一月十七日、宮さん、よく覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一はどこでこの月を見るのだか。再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ」。そうです。今日は、貫一とお宮が別れた日です。と言っても、若い人にはピンと来ないかもしれませんね。何せ私は、衣紋掛け、乳母車、涎掛け、写真機の世代ですから。

トランプの支持率が、歴代大統領の中で最低と言う。しかし、トランプが大統領になるということだって外した「世論調査」にどんな信憑性があるのか。支持率が高かろうと、低かろうと、トランプが大統領になることはには変わりがないのだから、支持率よりも、彼の政策の方に興味がある。

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