白雲去来

蜷川正大の日々是口実

風邪を土俵際でうっちゃった。

2017-01-25 11:35:09 | 日記
一月二十日(金)晴れ。

朝食を終えて、PCに向かおうとしたら、何か、ゾクっとする。体の節々が痛い。いつもの風邪の前兆である。急いで、近くの薬屋に行き、ユンケルと風邪薬を買い求め、薬を飲んでから、大事を取って布団に入った。私の風邪は、まずゾクッと来て、体の節々が痛くなることから始まる。稀に喉からくることもあるが、喉の場合は厄介で、治るまで一週間ぐらいは禁酒を余儀なくされる。

薬を飲んで、布団に入って、三時間余。ここが運命の別れ道。熱が上がっているか、それとも風邪を土俵際でうっちゃるか。恐る恐る起きてみると、辛勝だ。多少怠いが、熱はない。一昨年末、風邪に「四の字固め」でやられ、一週間寝込んでしまったことが、思い出され、体調に関しては、すこぶる臆病になっている。夜に、是非行きたい勉強会があったのだが、大事をとって欠席した。

「病膏肓に入る」(やまいこうこうにいる)という言葉がある。 本来の意味は、病気がひどくなり治療のしようがないことなのだが、「趣味や道楽に熱中しすぎて、どうにも手がつけられなくなることのたとえ」 として使われる。札幌の社友の梶浦直樹君は、何時の頃からか、釣りに凝り、雪の、それも夜釣りに出かけると、彼のブログに度々書かれている。私も、釣りは好きだが、さすがに冬は行かない。横浜の冬だって、釣行の意気を削ぐのには十分な寒さなのに、札幌の、それも冬の夜釣りである。私は、夏でも夜釣りはしない。それは、「糸ふけ」でアタリを取る、クロダイ釣り専門なので、「糸ふけ」が見えず、「向こう合わせ」となる夜釣りは面白くないからだ。稀に夜釣り出ることもあるが、場所は海ではなく、関内である。

『唐詩選唐』を読んでいたら、柳宗元と言う人の詩に「江雪」というものがあり、思わず、梶浦君を思い出した。

千山鳥飛ぶことを絶え
万渓人蹝滅す
孤愁蓑笠の翁
独釣寒江雪

多くの山々には、鳥の飛ぶ姿もない。多くの小道にも、人の足跡もなくなってしまった。ただ一そうの小舟に蓑と笠をつけた老人が、一人で雪の降りしきる川面で釣り糸を垂れている。というもの。まだ梶浦君は老人という歳でもなく、川ではなくいつも海での釣りだが、何となく彼とダブった。

考えただけでも寒くなるので、夜は「おでん」と「キムチチゲ」で暖をとった。

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