一月三十一日(水)晴れ。
やっと一月が終わる。他の月だと、「もう終わってしまった」との感慨があるのだが、なぜか一月だけは、月半ばからダラダラ感があって長く感じてホッとする。それでも月が替わるからと言って今日よりましな明日がある訳でもないが、とりあえずは気分転換にもなる。
朝食は、ハムエッグにキャベツの千切り添え、生ワカメの味噌汁。昼は、野毛の「尾島」のコロッケ一個。夜は、カキとナスのオイスターソース炒め、蒸し鶏、懲りずにカツオのタタキ。酔狂亭での独酌でのお供は「伊佐美」。
日本が、西洋の先進国に追いつこうとして「坂の上の雲」を目指した明治時代。製紙工場で働く女工を主人公として書かれたのが、昭和四十三年に山本茂実が発表した『あゝ野麦峠ーある製糸工女哀史』である。「野麦」とはクマザサの別名で、峠一帯に群生しているクマザサの小さな実をとって粉にし、ダンゴとして食用した村人達が、そう呼んだ。その頃農村では、ヒエ、アワ、キビなどが主食で、女工たちは、そんな粗末な物でも、まずいと感じた者は一人もおらず、普通が十パーセント、旨いと思う物が九十パーセントを越えていた。(大柴晏清著『すしと文学』栄光出版社)
彼女たちを、戦後の一部の史家は、「資本主義や帝国主義の犠牲者」のように描いているが、日本近代の黎明期、日清戦争後の「三国干渉」とりわけロシアの圧力に対して臥薪嘗胆して、国民が一丸となって努力していた時代だった。時代によって労働環境が変わるのは、仕方がないことで、私が子供の頃は、土曜日も休みではなく、普通に働いていた。「半ドン」となったのは、後年のことである。また、私の小学生時代、新聞配達をしていたのは、ほとんど小、中学生だった。母が七輪一つで煮炊きしていた頃を思い出すことがある。そう考えると、我が酔狂亭の食事に愚痴など言っている場合ではない。
やっと一月が終わる。他の月だと、「もう終わってしまった」との感慨があるのだが、なぜか一月だけは、月半ばからダラダラ感があって長く感じてホッとする。それでも月が替わるからと言って今日よりましな明日がある訳でもないが、とりあえずは気分転換にもなる。
朝食は、ハムエッグにキャベツの千切り添え、生ワカメの味噌汁。昼は、野毛の「尾島」のコロッケ一個。夜は、カキとナスのオイスターソース炒め、蒸し鶏、懲りずにカツオのタタキ。酔狂亭での独酌でのお供は「伊佐美」。
日本が、西洋の先進国に追いつこうとして「坂の上の雲」を目指した明治時代。製紙工場で働く女工を主人公として書かれたのが、昭和四十三年に山本茂実が発表した『あゝ野麦峠ーある製糸工女哀史』である。「野麦」とはクマザサの別名で、峠一帯に群生しているクマザサの小さな実をとって粉にし、ダンゴとして食用した村人達が、そう呼んだ。その頃農村では、ヒエ、アワ、キビなどが主食で、女工たちは、そんな粗末な物でも、まずいと感じた者は一人もおらず、普通が十パーセント、旨いと思う物が九十パーセントを越えていた。(大柴晏清著『すしと文学』栄光出版社)
彼女たちを、戦後の一部の史家は、「資本主義や帝国主義の犠牲者」のように描いているが、日本近代の黎明期、日清戦争後の「三国干渉」とりわけロシアの圧力に対して臥薪嘗胆して、国民が一丸となって努力していた時代だった。時代によって労働環境が変わるのは、仕方がないことで、私が子供の頃は、土曜日も休みではなく、普通に働いていた。「半ドン」となったのは、後年のことである。また、私の小学生時代、新聞配達をしていたのは、ほとんど小、中学生だった。母が七輪一つで煮炊きしていた頃を思い出すことがある。そう考えると、我が酔狂亭の食事に愚痴など言っている場合ではない。