白雲去来

蜷川正大の日々是口実

純喫茶。

2018-02-09 14:47:46 | 日記
二月八日(木)晴れ。

上の子供が、風邪気味なので、朝一番で私のかかりつけの病院へ連れて行った。結果は大丈夫だったのだが、子供を待っている間に、病院のすぐ近くにある喫茶店へ入った。駅の近くにあり、そのお店の前を何年も前から通っていたのだが、入ったのは初めてのことだった。ドアを開けて店に入れば、懐かしい昭和の香りが店中に漂っていた。今では、死語となってしまった「純喫茶」だ。

店内は、明るすぎず、かといって暗くもなく、落ち着いて本が読める、丁度良い明るさ。壁には、油絵が何点か、掛っており、アルトサックスの軽快なJAZZが流れていた。アメリカンコーヒーをオーダーしたら、大き目のカップに入った、とても香りの良いコーヒーが運ばれてきた。最近、スタバやドトールのようなお店の波に押されて、こういった喫茶店が少なくなった。

私が若い頃から良く通い、待ち合わせのお店として利用していた、横浜は馬車道にあった「ウイーン」も閉店してしまった。その昔に流行った歌に「学生街の喫茶店」というものがある。「君とよくこの店に 来たものさ。訳もなくお茶を飲み話したよ。学生でにぎやかなこの店の、片隅で聴いていたボブ・ディラン。あの時の歌は聴こえない。人の姿も変わったよ。時は流れた」。この歌を聞くと、なぜか「ウイーン」を思い出す。学生で賑わっていたわけではないが、通りに面した、大きなガラス張りの席が好きだった。馬車道の入口にあった、ハンバーガー屋の「珈琲屋」や「ウイーン」の前にあった映画館もなくなり、人の姿も変わり、時は流れた。

子供を待つ間の喫茶店で、文庫本を読んでいたが、活字がほとんど目に入らず、ページの中に、過ぎ去りし日々のことが、走馬灯のように巡ってきた。次は、このお店で「モーニングセット」でも食べてみようと思った。

夕方から、東京行き。お世話になっている方の会社にて、今年の「群青忌」の打ち合わせ。早いもので、今年は二十五年祭となる。野村先生の自裁から四半世紀が過ぎたわけだ。野村先生を追悼する、ということよりも、「群青忌」を開催することで、自身の生きがいを与えられているのだ。浪人生活は楽ではないが、野村先生や、先に逝った同志のことを思えば、「もう止めます」などとは、決して言えない。来月の四日は、東京証券取引所に立て籠もり、営利至上主義を批判し、八年の刑を受け、出所直前に癌で獄死した板垣哲雄君の十三回忌だ。親しい人たちで、法要を行うつもり。

「群青忌」の打ち合わせの後に、とびきり上等な「しゃぶしゃぶ」をご馳走になった。酒は、「森伊蔵」。恐縮する。お礼を言って帰宅。保土ヶ谷の駅で愚妻に電話すれば、まだ夕食前とのこと。駅ビルにある「日本一」という持ち帰り専門の焼き鳥のお店で、適当に買って帰る。「なにを食べてきたの」。聞かれても、合計一三八〇円の焼き鳥を前にしては、とても言えなかった。

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