白雲去来

蜷川正大の日々是口実

借門す カツオ 何れの処かにある。

2018-02-14 12:11:22 | 日記
二月十三日(火)晴れ。

どんなにお金をかけて旅に出ても、やはり家の布団で寝るのが一番落ちつく。今度は、毛布と枕を先に泊まるホテルに送ろうかと真剣に思った。サバの文化干し、清風楼の焼売にジャガイモの味噌汁の朝食の後に、連載させて頂いている『実話ドキュメント』の原稿の締め切りなので、朝から原稿書き。三時前にやっと入稿。文才が無いのに加えて遅筆である。格闘しながらの連載第百八十二回のテーマは、「歌と歌手を読む」。である。

思えば、この連載も、今の「友を選ばば書を読みて」が今回で百八十二回。その前の「網走刑務所はブルースで暮れる」が百回。都合二十五年も連載をさせて頂いている。私の駄文をこんなに長く掲載して頂いている、篠田編集長やスタッフの皆さんに感謝する次第です。そのうちに、また藤本隆之先生に相談して、一冊にまとめようかと思っています。

そう言えば、F1レース前のグリッドの時間などを使って、レースクイーンが、大会プロモーターやスポンサーの広告宣伝活動を手伝い、華やかで魅力的な光景をF1グランプリにもたらしてきたが、近年、「女性蔑視ではないか」という社会的な批判の声が強まっていたことを受けて、レースクイーンを廃止することになったとか言うニュースを見た。こんなことに目くじらを立てるどこかのバカの論理が、さも新しくて、もっともらしく報道される。

そんなことが、国際常識などと言っている割には、現在開催されている平昌オリンピックにおいて話題になっているのが、北朝鮮の、いわゆる「美女応援団」だ。レースクイーンは駄目で、美女応援団は良いのか。彼女たちだって女を売り物にして注目されているではないか。矛盾した話だ。では、パリコレなどのファションショーはどうだ。頭のおかしい連中が多すぎる。

夜は、今年初めての生のカツオを食した。まだ、サンゾウ、ヨツヤ程度だったが、この時期だ我慢するしかない。借門す カツオ 何れの処かにある。店員 遥かに指さす 千葉の沖。おとなしく酔狂亭で月下独酌。※写真は、姫路で泊まったホテルの朝食バイキングの状態。食い物の怨みは恐ろしいのだ。

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さらば姫路よ、又来る日まで。

2018-02-14 11:23:20 | 日記
二月十二日(月)晴れ。

朝、寒くて目が覚めた。室内の暖房の音頭を愚妻が下げいたので、慌てて上げて蓑虫のようにくるまって、じっとしていた。朝七時起床。カーテンを開けたら外は雨が降っているのかと思ったら、結露がびっしり。それを雨と間違えたのだ。結露を拭いたら、外は良い天気だった。のんびりと風呂に入ったが、最近は、ユニットバスでも、顔の映る場所ぐらいは湯気で鏡が曇るの防ぐようになっているが、そんな気配りもない。窓の結露もそうだが「ホテル日航」とは名ばかりで、以外に安普請なのかもしれない。

朝食会場へ行けば、何とバイキングの料理がほとんどない。他の客も唖然としていた。ご飯をよそおうと思ったら茶碗が無い。係りの女性に言えば、「少々お待ちください」。水を持って行こうとしてもグラスが無い。こんな朝食のバイキングは初めてだ。料理だって、少なくなったら補充すれば良いのに、空になってからでは、その時来たお客さんはどうするのか。以前泊まった高知の日航ホテルが良かっただけに、がっかりした。

食後に、散歩がてらに姫路城まで歩いた。駅の正面にあるお城が段々近くなってくるのが楽しい。世界遺産に登録されただけあって、本当に美しいお城だ。愚妻と共に記念写真をたくさん撮った。途中、竹垣会長のご門下の人たちと会いご挨拶した。十時過ぎに、細川先生に電話をすると山平さんと開いている店を探して放浪中とのこと。早速合流する。朝飲みの店を探すと、さすがは細川先生。動物的な勘で入った店が、朝八時から夜九時までやっているという「慶」という小料理屋さん。地元の人でいっぱいだったが、何とか席を作ってくれた。お店のお二人の妙齢のご婦人も感じ良く、お客さんも私たち一見の客にも親切で、近所にあったならば、毎日行きたいと思うような店だった。

その後、ホテルをチェックアウトしてから、新幹線の時間まで、駅のフードコートで「駅飲み」。竹田忠正氏も参戦。一時間ほど飲んでから、皆同じ新幹線で帰路に就く。名古屋の少し手前で、爆睡していた、竹田、細川の両氏を起こす。本当はそのままにしておいて、横浜まで二人を持ち帰ろうとも思ったが、懐具合が不如意なので、あきらめて名古屋で別れた。その後の細川先生からの電話では、案の定、豊橋に帰る竹田氏を拉致して、柳ケ瀬で安着祝いをしているとのこと。脱帽です。新横浜で山平さんにご挨拶して下車。寝ている時以外は、ほとんど酔っていた。良き友、良き酒と肴に恵まれた旅だった。竹垣会長にも感謝である。次は、播州赤穂へ足を延ばしてみたいと思った次第。

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姫路へ。

2018-02-14 08:01:25 | 日記
二月十一日(日)晴れ。紀元節。

起床後に、玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。輝く皇紀は二六七八年。神武天皇肇国の昔を偲び、ご皇室の弥栄と天皇皇后両陛下のご健勝をご祈念する。

若い頃は、大磯の小早川貞夫先生が主催してる紀元節奉祝神奈川県大会(現在も神奈川県維新協議会の有志の皆さんによって続けられている)に毎年参加していた。私が初めて、参加したのは、昭和四十八年の第二回大会だ。参加者は十五名。湘南地方を奉祝行進をしている写真が残っているが、ほぼ半数の人が、幽明境を異にしている。

今日は、姫路にて竹垣悟会長が上梓した『極道ぶっちゃけ話』(イーストプレス)の出版記念会があり、愚妻と共に出席する。お互いに姫路は初めてなので、ほとんど遠足気分である。列車での旅が好きで、タイミング良く、書店で阿川弘之の『南蛮阿房列車』(上下・中公文庫)を購入したばかりである。「阿房列車」と言えば、内田百閒先生の代名詞であるが、阿川先生のは「南蛮」とあるように海外での汽車の旅である。旅のお供には丁度良い。

新横浜から姫路までは、約三時間半。まず新横浜の駅ビルで、車中で飲む酒と肴を仕入れる。ワインにビール、焼き鳥、エビフライと目につくものすべてが美味しそうに感じてしまう。十二時過ぎに車中の人となる。早速、テーブルを出して一路平安を祈念して乾杯。良い天気で途中、頭に雪をかぶった富士山がとてもきれいだった。富士山の頂上には、野村先生のご遺骨が埋めてある。生前、「俺が死んだら、骨の一部を富士山の頂上に埋めてくれ。だって日本中の人が俺のお墓を見てるようなものだ」。手を合わせた。

名古屋で、岐阜の怪人細川先生と合流。シャンパンのミニサイズを二本、「黒霧島」の一合瓶などを差し入れして頂く。何と、山平重樹さんも同じ新幹線に乗っているとのこと。三人そろえば、当然ながら車中は宴会場に変わる。四時に姫路着。ホテルも同じだ。まだ出版記念会まで時間があるとのことで、全国酒場案内人の細川先生のお勧めの「勝三寿司」で「安着祝い」。遅れて、松本誠さんも合流。大きな海老の握りや恵方巻のように、一本の鉄火巻きを堪能。時間を見ると、五時少し前。慌てて出版記念会の会場へ。

凄い人数である。私のテーブルは、社友がほとんどで、群青忌の続きのようだ。各界の人たちが竹垣会長の、今回の出版をお祝いしている。酒がすっかり廻ってから、指名され祝辞を述べたが、酔っていて何を話したかほとんど記憶が無い。終了後、東京に帰ると言う松本さんにご挨拶をして、有志で二次会。一時間ほど飲んでからホテルに戻った。本当に楽しかった。

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