二月五日(月)晴れ。
浦和の駅に隣接しているJRの直営のホテルは、リニューアルしたばかりとあってとてもきれいだった。それでも布団が変わると熟睡できないで、酒が入っていたにも関わらず、輾転反側。うつらうつらとしながら、七時半までベッドにいた。のんびりと風呂に入ってから身支度を整えて、九時前に、ホテルに併設されているデニーズにて朝食。九時過ぎに、ホテルを出て斎場に向かった。
十時半に告別式、繰り上げ初七日を済ませて、ご遺体は火葬へ。棺に最後のお別れの花を入れる際に、正田さんとの三十年の日々がめぐり、泣けて仕方がなかった。一時間ほどで、骨揚げ。文字通り同志の「骨を拾った」。
野村先生の「春の句」の、「唯なけて なけてならない桜の空」と「蒼天へ蝶は涙となりにゆく」の句がよぎった。前日まで元気だった人が翌日は、死者となる・・・。正に無常である。奇しくも、野村先生の晩年の歳と同じである。戒名は、空温岳秀道居士。享年五十八歳。合掌。
札幌に戻る梶浦直樹氏と別れて、蔵前の蕎麦屋「甲州屋」へ。偶然にも、モッツ出版の高須基仁社長とお会いし、隣同士で一献。愛国党の舟川孝氏が合流。弔い酒となった。近くの中華料理屋に転戦して、しばらく飲んでから帰宅。
浦和の駅に隣接しているJRの直営のホテルは、リニューアルしたばかりとあってとてもきれいだった。それでも布団が変わると熟睡できないで、酒が入っていたにも関わらず、輾転反側。うつらうつらとしながら、七時半までベッドにいた。のんびりと風呂に入ってから身支度を整えて、九時前に、ホテルに併設されているデニーズにて朝食。九時過ぎに、ホテルを出て斎場に向かった。
十時半に告別式、繰り上げ初七日を済ませて、ご遺体は火葬へ。棺に最後のお別れの花を入れる際に、正田さんとの三十年の日々がめぐり、泣けて仕方がなかった。一時間ほどで、骨揚げ。文字通り同志の「骨を拾った」。
野村先生の「春の句」の、「唯なけて なけてならない桜の空」と「蒼天へ蝶は涙となりにゆく」の句がよぎった。前日まで元気だった人が翌日は、死者となる・・・。正に無常である。奇しくも、野村先生の晩年の歳と同じである。戒名は、空温岳秀道居士。享年五十八歳。合掌。
札幌に戻る梶浦直樹氏と別れて、蔵前の蕎麦屋「甲州屋」へ。偶然にも、モッツ出版の高須基仁社長とお会いし、隣同士で一献。愛国党の舟川孝氏が合流。弔い酒となった。近くの中華料理屋に転戦して、しばらく飲んでから帰宅。