白雲去来

蜷川正大の日々是口実

唯なけて なけてならない桜の空

2018-02-06 11:40:03 | 日記
二月五日(月)晴れ。

浦和の駅に隣接しているJRの直営のホテルは、リニューアルしたばかりとあってとてもきれいだった。それでも布団が変わると熟睡できないで、酒が入っていたにも関わらず、輾転反側。うつらうつらとしながら、七時半までベッドにいた。のんびりと風呂に入ってから身支度を整えて、九時前に、ホテルに併設されているデニーズにて朝食。九時過ぎに、ホテルを出て斎場に向かった。

十時半に告別式、繰り上げ初七日を済ませて、ご遺体は火葬へ。棺に最後のお別れの花を入れる際に、正田さんとの三十年の日々がめぐり、泣けて仕方がなかった。一時間ほどで、骨揚げ。文字通り同志の「骨を拾った」。

野村先生の「春の句」の、「唯なけて なけてならない桜の空」と「蒼天へ蝶は涙となりにゆく」の句がよぎった。前日まで元気だった人が翌日は、死者となる・・・。正に無常である。奇しくも、野村先生の晩年の歳と同じである。戒名は、空温岳秀道居士。享年五十八歳。合掌。

札幌に戻る梶浦直樹氏と別れて、蔵前の蕎麦屋「甲州屋」へ。偶然にも、モッツ出版の高須基仁社長とお会いし、隣同士で一献。愛国党の舟川孝氏が合流。弔い酒となった。近くの中華料理屋に転戦して、しばらく飲んでから帰宅。

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通夜式へ。

2018-02-06 11:02:22 | 日記
二月四日(日)晴れ。

去る一月二十八日に急逝した正田秀幸さんの通夜式に出席するために愚妻と共に浦和へ。保土ヶ谷の駅で藤巻強氏らと合流。湘南新宿ラインで浦和までは一本である。その昔は京浜東北でチンタラ行ったものだが、今では、この新宿ラインと共に上野・東京ラインがあって(保土ヶ谷には止まらずに横浜駅乗り換え)やはり一本で行くことができる。

北浦和の駅で、松本佳展君や札幌から梶浦直樹、雪田顕正の両氏、豊橋から福井英史氏の社友が待っていてくれた。葬儀場が手配してくれたバスで斎場へ。途中、埼玉大学の前を通った。尊敬する長谷川三千子先生が教鞭を執っていた大学である。六時前に斎場着。凄い数の弔問客に、生前の正田さんの人柄が偲ばれた。少し遅れて志村馨君着。祭壇に飾られた正田さんの笑顔がとても良かった。焼香後に、ご遺族にご挨拶を述べて浦和に戻る。

明日の告別式は午前十時半と言うことなので、浦和泊。正田さんのことは、いずれ書いてみたいと思っている。

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兩人對酌すれば 山花開く。

2018-02-06 10:10:55 | 日記
二月三日(土)晴れ。

歳のせいもあって、夜中に必ず尿意を催して目が覚める。その時に枕元にある時計を見る。ああまだ三時か。まだ三時間も寝られる。となぜかホツトする。目覚ましをかけているのだが、目覚ましに起こされるのが嫌いだ。六時五分ほど前に目が覚めて、目覚ましをオフにする。何故か、時計に勝ったような気がして、目覚めがいい。

古い映画の話で恐縮だが、昔、白血病の少年と、フットボールで活躍する少年の兄との兄弟愛の映画があった。確か題名が「ジョーイ」だったと思う。その続編があったらいいなと思った。糖尿病の少年と、彼を励ます映画だ。題名は「ニョーイ」。失礼しました。

夕方、明日から行われる「全教」への抗議行動に参加するために松山から上京した矢野隆三氏と関内で待ち合わせて春節前の賑わいの中華街へ。矢野さんのリクエストで「安記」へ。兩人對酌すれば 山花開く 一杯一杯 復一杯 我醉うて眠らんと欲す 卿且く去れ 明朝意有らば 琴を抱いて來たれ
と、紹興酒を二本飲んでから、「ラッキー」の店へ転戦。最後は「サリーズバー」で仕上げた結果、久しぶりの大破・轟沈。

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