白雲去来

蜷川正大の日々是口実

家族でお花見。

2018-04-01 13:56:03 | 日記
三月三十一日(土)晴れ。

この時期になると、思い出す漢詩がある。有名な王維のものだ。

桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落ちて家僮掃はず 
鴬啼きて山客猶ほ眠る

桃の花はあかく、しかも昨夜の雨に濡れている。柳の葉はあおく、しかも春霞につつまれている。山荘の庭には桃の花が散っているが、下男はそれを掃こうともしない。鶯が鳴いているが、山荘の主はまだ眠っている。王維の「田園の楽しみ」の一節である。

今もあるのかは分からないが、その昔、東京拘置所の新舎と旧舎の別れる所に桃の木があったと記憶している。小雨の降る日であった。面会所に向かう時に、連続射殺事件の永山則夫死刑囚とすれ違ったことがあった。付き添いの刑務官が、私を壁に向かわせて立たせ、彼と目が合わないようにした。一瞬誰かなと思ったら、刑務官が、小声で「永山だよ」と教えてくれた。促されて歩き始めた時に、彼が、立ち止まって桃の花を眺めているのが見えた。彼は、東京地方裁判所で死刑判決を受けるが、東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、その後、差し戻しを受ける。その直後のことであっただけに、また、彼の弁護人が、野村先生ともお付き合いのあった、遠藤誠先生であったこともあり、特に印象に残っている。平成二年に死刑判決が確定した。昨年の、二月に書いたものだ。

子供が、小学校の頃から行っている、桜の下での定点写真を撮りに出かけた。場所は、自宅の近くの大岡川の川沿いである。子供たちは、段々大きくなり、子供から大人になったが、当然のように、私は年々老いて行く。特に、この三年ぐらいから、特に老けてきた。自分の写真を見るのが苦痛になってきた。それでも桜に責任はない。少し風があったためか、川面に花弁が沢山浮いている。それを花筏と称した日本語は美しい。桜が好きだ。桜を愛する日本人も好きだ。

遅い昼食を、家族で桜の近くの中華屋で食べたが、がっかりだった。夜は、おとなしく酔狂亭で、カツオを肴に月下独酌。

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折々雑感。

2018-04-01 13:17:15 | 日記
三月三十日(金)晴れ。

連日良い天気が続いて嬉しいのだが、花粉症の私は、この時期、余り外に出ないようにしている。なんとか、花粉の季節が過ぎて欲しいと思っている。

曽野綾子さんが産経新聞に隔週で連載している「透明な歳月の光」というエッセイが好きだ。当然曽野さんの書くものも好きで、幾冊か読んでいる。その割には、以前、間違えて三浦綾子さんの『氷点』を買ってしまったことがある。そそっかしいのは生まれつき。

三月二十八日の「透明な歳月の光」の中に、こういう文章があった。「若い頃、私はいつまでも小説の道で芽が出ない自分の姿に嫌気をさし、ある夕方文学を諦める決心をした。しかし駅前の本屋に立ち寄ると、見知らぬ雑誌の批評欄に、同人誌に載せていた自分の短編が取り上げられ批評されているのを知った。まさに文学を諦めようとした日が、スタートだったのだ」。

私も同じような経験をしたことがある。といっても私は、文学を志したことも、小説家になろうと思ったこともない。生涯一運動家を自負している。そんな私も、若い頃に、人間関係で悩み、運動をやめようと思ったことがあった。その頃、私は、ヨコハマのあるタウン誌に原稿を書いていた。喫茶店に入った時に、偶然にも隣のテーブルの客が、私の原稿の掲載されているタウン誌を読んでいた。そして、その人が、同席していた人に、「この原稿いいねぇー。胸がキュンとしたよ」と話したので、横目で見たら、それは私が書いたものだった。

そうか、目先の人間関係に悩むのは止めよう。見ず知らずの人だって、評価をしてくれる人もいる。運動で頑張れば、必ず、支持してくれる人や、応援してくれる人も出てくる。頑張ろう、と思った。曽野さんの文章の中に、若い頃の自分を思い出した。

午後から事務所に行き、原稿の整理。帰り際に横浜橋商店街に寄り「牛筋」を買って、ゆっくりと煮た。お供は「黒霧島」。

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展転社の35周年に出席。

2018-04-01 10:13:15 | 日記
三月二十九日(木)晴れ。

展転社の三十五周年のお祝いに出席するために東京行き。市ヶ谷のホテルにて行われるのだが、パソコンの「路線案内」で、調べたら、保土ヶ谷から東京まで行き、そこで中央線に乗り換えて御茶ノ水、また乗り換えて市ヶ谷。一本で行けないのが不便である。

案内状を忘れたので、うろ覚えで旧私学会館へ向かうと、「そういった宴会は入っておりません」。焦っていると、やはり知り合いが入って来て、お互いに勘違いに気付き、グランドヒル市ヶ谷へ。そうかこのホテルは、昨年、三浦重周さんの「早雪忌」の行われたホテルであることを思い出した。

会場に入れば、知っている人は一割程度か。いわゆる民族派系の活動家は少なく、保守系の人や学者と言った人が目立った。久しぶりに大原康男先生にお会いし、ご挨拶。稲田朋美先生ら、来賓の諸先生が、展転社の歴史と業績を讃えた。終了後は、大熊雄次、清和崇の両氏と共に、御徒町の居酒屋に転戦。

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