三月三十一日(土)晴れ。
この時期になると、思い出す漢詩がある。有名な王維のものだ。
桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落ちて家僮掃はず
鴬啼きて山客猶ほ眠る
桃の花はあかく、しかも昨夜の雨に濡れている。柳の葉はあおく、しかも春霞につつまれている。山荘の庭には桃の花が散っているが、下男はそれを掃こうともしない。鶯が鳴いているが、山荘の主はまだ眠っている。王維の「田園の楽しみ」の一節である。
今もあるのかは分からないが、その昔、東京拘置所の新舎と旧舎の別れる所に桃の木があったと記憶している。小雨の降る日であった。面会所に向かう時に、連続射殺事件の永山則夫死刑囚とすれ違ったことがあった。付き添いの刑務官が、私を壁に向かわせて立たせ、彼と目が合わないようにした。一瞬誰かなと思ったら、刑務官が、小声で「永山だよ」と教えてくれた。促されて歩き始めた時に、彼が、立ち止まって桃の花を眺めているのが見えた。彼は、東京地方裁判所で死刑判決を受けるが、東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、その後、差し戻しを受ける。その直後のことであっただけに、また、彼の弁護人が、野村先生ともお付き合いのあった、遠藤誠先生であったこともあり、特に印象に残っている。平成二年に死刑判決が確定した。昨年の、二月に書いたものだ。
子供が、小学校の頃から行っている、桜の下での定点写真を撮りに出かけた。場所は、自宅の近くの大岡川の川沿いである。子供たちは、段々大きくなり、子供から大人になったが、当然のように、私は年々老いて行く。特に、この三年ぐらいから、特に老けてきた。自分の写真を見るのが苦痛になってきた。それでも桜に責任はない。少し風があったためか、川面に花弁が沢山浮いている。それを花筏と称した日本語は美しい。桜が好きだ。桜を愛する日本人も好きだ。
遅い昼食を、家族で桜の近くの中華屋で食べたが、がっかりだった。夜は、おとなしく酔狂亭で、カツオを肴に月下独酌。
この時期になると、思い出す漢詩がある。有名な王維のものだ。
桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落ちて家僮掃はず
鴬啼きて山客猶ほ眠る
桃の花はあかく、しかも昨夜の雨に濡れている。柳の葉はあおく、しかも春霞につつまれている。山荘の庭には桃の花が散っているが、下男はそれを掃こうともしない。鶯が鳴いているが、山荘の主はまだ眠っている。王維の「田園の楽しみ」の一節である。
今もあるのかは分からないが、その昔、東京拘置所の新舎と旧舎の別れる所に桃の木があったと記憶している。小雨の降る日であった。面会所に向かう時に、連続射殺事件の永山則夫死刑囚とすれ違ったことがあった。付き添いの刑務官が、私を壁に向かわせて立たせ、彼と目が合わないようにした。一瞬誰かなと思ったら、刑務官が、小声で「永山だよ」と教えてくれた。促されて歩き始めた時に、彼が、立ち止まって桃の花を眺めているのが見えた。彼は、東京地方裁判所で死刑判決を受けるが、東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、その後、差し戻しを受ける。その直後のことであっただけに、また、彼の弁護人が、野村先生ともお付き合いのあった、遠藤誠先生であったこともあり、特に印象に残っている。平成二年に死刑判決が確定した。昨年の、二月に書いたものだ。
子供が、小学校の頃から行っている、桜の下での定点写真を撮りに出かけた。場所は、自宅の近くの大岡川の川沿いである。子供たちは、段々大きくなり、子供から大人になったが、当然のように、私は年々老いて行く。特に、この三年ぐらいから、特に老けてきた。自分の写真を見るのが苦痛になってきた。それでも桜に責任はない。少し風があったためか、川面に花弁が沢山浮いている。それを花筏と称した日本語は美しい。桜が好きだ。桜を愛する日本人も好きだ。
遅い昼食を、家族で桜の近くの中華屋で食べたが、がっかりだった。夜は、おとなしく酔狂亭で、カツオを肴に月下独酌。