白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ロースハムを切るのには勇気が必要。

2018-04-05 12:31:51 | 日記
四月三日(火)晴れ。

朝食は、ロースハムに目玉焼き、キャベツの千切り添え、シジミの味噌汁。ロースハムを切る時に、必ず脳裏に浮かぶものがある。それは漫画家の東海林さだおさんの「ショージ君」だ。安月給のショージ君が、ある時思い切って、ロースハムを一本買った。いつも薄いペラペラのものばかり食べているので、いつか分厚いロースハムを食べたいと思っていたのだ。念願のロースハムの厚切りに挑戦する。意を決して、厚めの所に包丁を入れるのだが、貧乏性が抜け切れず、まっすぐ包丁を下せず、途中から、斜めに、結果、いびつな三角形のようになってしまうのだ。

私たちの世代は、ロースハムは高級品で、子供の頃は、ハムと言えば、様々な肉を成型した「プレスハム」で、ウインナーは、「漁ニソ」、または、魚の「赤ウインナー」だった。その名残か、今でも、ロースハムを切る時、心の準備を必要とするのである。

一日、パソコンに向かって仕事。野村先生が亡くなられてから今年で二十五年。過日、事務所の書棚を整理していたら、様々な人の書いた本に、様々な形で、野村先生のことが取り上げられている。それを私の機関誌でボチボチと紹介してみようと思っている。特に左翼と言われている人達の野村先生評が興味深い。こういった作業は楽しい。

夜は、蒸し鶏、ネギタコ(タコをスライスしてごま油と醤油で和えたもの)、ホタテの稚貝の蒸し物。酔狂亭でのお供は「黒霧島」。

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私は、横浜のカジノ誘致に反対します。

2018-04-05 11:02:32 | 日記
四月二日(月)晴れ。

日本人は、現実を直視するのが苦手な国民であると、ふと思うことがある。例えば、旧軍では、撤退は転進、全滅が玉砕、敗戦が終戦と言う具合だ。昨今のIR法案もそうだ、何でも「カジノを含む統合型リゾート施設(IR)実施法案」とか言うらしいが、議論されているのは、「カジノ」いわゆる「賭博場」のことだ。国民にもっと分かりやすく「賭博場法案」と書けばいいといつも思う。

競輪、競馬、オートレース、競艇、パチンコ、スロット、宝くじにスポーツくじ。その全てが悪いとは思わないし、「依存症」の議論も大切だと思うが、前述のギャンブルに興じた結果、どれほどの人が自殺したり、離婚や一家離散に追い込まれたのか。それをを調査し、公表したら良いと思う。これは私の勝手な思い込みだが、当局は、その数字をきっと把握していると思う。しかし、それを発表すると、輿論から指弾されるのであえて公表しないのではないのか。それは、公営ギャンブルやパチンコ、宝くじなどが大切な天下りの場所であるからだと思う。

横浜にも、カジノを誘致しようと言う人たちがいる。その場所というのが、山下公園のすぐ近くである。カジノの良し悪しよりも、港ヨコハマの玄関と言うべきところに、そんな物を作って、果たして、先人に、堂々と胸を張って報告が出来るのだろうか。文豪、森鷗外の作詞した「横浜市歌」の一節にはこうある。「されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや」。港の数は数多かれど、この横浜にまさるあらめや。その代表が、カジノとは情けないと思うのだが。その横浜市歌は、こう結ばれている。「果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港」。現代訳は、「この果てしなく栄えてゆく天皇陛下の治世を彩る文物が、今日も横浜港から入ってきます」。その港に、賭博場か・・・。森鷗外が生きていたのならば、さぞかし嘆くに違いあるまい。

来月には、横浜開港一五九周年のイベント(なぜ来年の一六〇周年にしないのか不思議だ)が行われると言う。この横浜の発展のために尽くした先人や、今を生きる人たちに、カジノという賭博場の誘致が、果たして我が町の誇り、となるものだろうか。
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