白雲去来

蜷川正大の日々是口実

社友との前夜祭。

2022-10-20 17:52:00 | 日記

10月15日(土)曇り。

のんびりと起きて、遅い朝食は、お粥に大好きな清風楼の焼売。昼は抜いた。夜は、明日の野村先生の追悼29年祭に参加する社友との「前夜祭」を「オアジ」にて開催した。

昨日に続き、今夜も「オアジ」へ。札幌、函館、埼玉、京都、兵庫、北九州市などから来訪した社友との一献会。コロナの影響もあり、3年ぶりに合う人や、初めて参加する人など、まるで同窓会かOB会のようだ。先生が逝きて早や29年。群青忌に参加する人のほとんどが生前の野村先生を知らない。弊社の発行する先生の本、あるいは『風と拳銃』などのDVD、様々な媒体で先生を知り、その思想と行動に学ぼうと思った人たちばかりだ。

道の先輩から教えて頂いた言葉に、「亡くなられた人が、人々の心の中に単に記憶として残るのではなく、亡くなった人の魂、あるいは生き方や言葉が次の時代を生きる人々の追憶となり、その人生を膨らませさえする」。これを「死後生」と言うそうだ。

作家の山平重樹先生や私は、昭和45年11月25日に起きた、いわゆる「三島事件」によって影響を受けて民族派運動に入った。平成5年10月20日の野村先生の自決によって民族派運動に入った人が大勢いると警視庁の公安部が証言している。この激動の時代に、野村先生が生きて在りせば・・・と思うことしきりである。※野村先生が生前愛した、ルパング島を遠望するフイリピンはマタブンカイ・ビーチの夜景。


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反省しきり。

2022-10-20 16:31:18 | 日記

10月14日(金)雨。

朝食は、赤ウインナー、目玉焼き、小さい「どん兵衛」。夜は、友人夫妻と「やまと」から「オアジ」にて痛飲。

『宗教問題』という雑誌を出している小川寛大さんはとても生真面目な人である。そして私は頭が上がらず、小川さんから雑誌や葉書が届くと、ヘェーっと平身低頭してしまうのである。過日も、月刊『文藝春秋』の10月特別号に「統一教会と創価学会」というテーマで、小川さん他、評論家の宮崎哲弥氏、宗教学者の島田博已氏、金沢大学法学類教授の仲正昌樹氏らとの鼎談が掲載されており、表紙に小川さんの名前があるものだから、雑誌に最敬礼してから読ませて頂いた。小川さんのお付き合いは、確か宝島社のムック本『軍歌と日本人ー聴けば「やまと」の血が騒ぐ、歌えばわかる「愛国心」と「人間愛」』に小川さんと私の原稿が掲載されたことがきっかけだったと記憶している。

その後、様々な会合で一緒になり、札幌で行われた小川さんの講演会にも出席したこともあった。私が発行している『燃えよ祖国』という小冊子を小川さんに送ると、必ずきれいな絵葉書にお礼と感想を書いて送ってくれる。それがとても励みになる。その『燃えよ祖国』の第276号に小川さんの「筆まめ趣味」という原稿を掲載させて頂いた。その中に、「自分で出版事業など始めてみて実によく分かったのだけれども、雑誌なり書籍なりを発行し、「関心を持ってくれるかも」と思う知己の方などに贈呈してみても、まず返事というものがこないのである。「届きましたよ」のような、簡単なメール、電話ひとつさえ、実際10人に1人から来ればいいほうだ」。というくだりがある。それを読んだときに、穴があったら入りたいと心底思った。

50代、60代の頃までは、私もかなりの「筆まめ」であったが、古希を過ぎると根気がなくなり、「つい」と自身に言い訳することが多くなった。反省しきりである。


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