白雲去来

蜷川正大の日々是口実

朝食の会のこと。

2022-10-22 17:22:40 | 日記

10月17日(月)雨のち曇。

例年ならば、群青忌・墓前祭の翌日は、横浜に泊まった社友と中華街の「安記」で朝食の会を催すのだが、今回は群青忌の開催が日曜日となり、今日が平日ということもあり、今年は開催しなかった。群青忌が終わると、大げさではなく疲れがたまって、一週間ぐらい何もする気が起こらず、ぐたっーとなってしまう。やらなければいけないことが沢山あるのだが、情けないことに体が言うことを聞かない。起きて朝食の後に、パソコンの前に座って、メールをチェックしたり、フェイスブックを見たり・・・。またウツラ、ウツラして。まるで痴呆老人みたいだ。

フェイスブックに「10年前の今日」とか言って古い投稿がアップされる。それが、群青忌翌日の「朝食の会」の写真。サリー姐さんや岐阜の細川先生、全国の社友。長野県の伊藤明夫さんは今年亡くなられた。考えてみれば、こういった友人、社友に支えられて今日がある。感謝しなければ。※写真は10年前の朝食会。「安記」の前で、前列右端が伊藤さん。


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野村先生の29年目の墓前祭。

2022-10-22 16:52:20 | 日記

10月16日(日)晴れ。野村先生追悼29年祭。

朝6時起床。つい飲んでしまった昨夜が悔やまれる。シャワーを浴びて着替えをして7時に自宅を出た。浄発願時に集合は9時だが、もし東名が事故で渋滞でもしていたら困るので、早めに出発した。幸いに東名は渋滞がなく、海老名のSAには8時前に着。朝食を取ろうと思ったら、大熊、小川、松本の諸氏とバッタリ。食後、お寺に向かう。

『じゃあな、行ってくるからな』―これが先生の私への最後の言葉となった。時に平成五年十月二十日午前十一時四十五分。作務衣の上にグレーの和装用コートをはおり、笑みさえ浮かべて、シンポジュウムの会場から去って行った先生の後ろ姿と、あの声を忘れることができない。それから約一時間後、先生は朝日新聞社東京本社内で壮烈なる自決を遂げられた。早いもので、この日から29年の歳月が流れた。

浄発願時には全国から120余名の方々が訪れてくれた。実行委員の一人として衷心より厚く御礼を申し上げます。2時からは横浜に戻り、中華街で直会。参加は104名。来年は30年祭となります。ありがとうございました。

 


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