白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『私的ヤクザ伝ー昭和を駆け抜けた親分41人の肖像』

2023-12-08 13:01:36 | 日記

12月7日(木)晴れ。

朝食はも、鮭のみそ漬け、たらこ、なめこの味噌汁。昼は、ココ壱番屋で、コロッケカレー。夜は、鮭の頭、鶏の手羽先の塩焼き、ロースハムとウインナー。お供は、「薩摩宝山」。酔狂亭にて独酌。天気が良いので久しぶりに一時間ほど歩いた。ちょっと風が強く、道路にはイチョウなどの落ち葉が風に舞っていた。

山平重樹さんから、過日、頂いた『東映任侠映画とその時代』(清談社刊)に続いて新刊『極・私的ヤクザ伝ー昭和を駆け抜けた親分41人の肖像』(徳間書店刊)をご恵送頂いた。同封されていた手紙には、「野村先生の名前が出てくるものが何本かあります。御笑覧いただければ幸甚です」とあり、その先生の名前が出てくる「親分」から読ませて頂いた。

一番心を打たれたのは、堀政夫先生の項だった。お亡くなりになられた直後に、野村先生とご自宅に弔問にお伺いしたことなどを思い出した。私が戦線に復帰した年の秋のことなのでよく覚えている。また、先生の名前が出てこなくても、先生とお付き合いのあった方、当然私も一緒にお会いした方が幾人も出てきて、あっという間に読了した。

まだ野村事務所が浜松町にあった頃にお会いしたのが井上喜人氏。ある用事で野村先生を訪ねてきたのだが、「ああこの方が、横浜愚連隊として有名だった方か」と驚いたものだった。野村先生と、昔話に興じている時に、井上氏が名刺の裏に書いたのが、モロッコの辰こと出口辰夫氏の戒名だった。先生が自決なされる二ヵ月前に訪れたモロッコでの最後の夜。カサブランカのレストランで、先生はその戒名の書かれた名刺を燃やされた。

そんなことを思い出しながら、山平重樹さんの本を読ませて頂いた。もう少しで年が改まる。有名な一休さんの句、門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。を実感する今日この頃である。


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