白雲去来

蜷川正大の日々是口実

街は落ち葉の絨毯が。

2023-12-14 17:18:11 | 日記

12月13日(水)晴れ。

朝食は、野菜たっぷりのスープでウェイパーを使った。後は、たらこに山芋ときゅうりの糠漬け。昼は、ハムトースト二枚。夜は、おでん、きんぴらを生海苔と一緒に炒めた物、ロース肉の薄切り焼き。お供は「黒霧島」。真面目に酔狂亭にて独酌。

良い天気なので、一時間ほど歩いた。道路にはイチョウの落ち葉が絨毯のように敷き詰められていた。「落ち葉」「枯れ葉」と聞いてすぐに思いつく歌は、スタンダードの「枯れ葉」、若い頃聞いたベンチャーズの「木の葉の子守歌」、奥村チヨの「落ち葉の舞い散る停車場は」で始まる「終着駅」。どれも古いものばかりか。

上の子供が、私のために契約してくれているのがディアゴスティーニの「ブルーノート」シリーズ。毎月二枚セットで送られてくるのだが、それももうNO25迄になった。その最初の一枚が、マイルスデイビスで、一曲目が「枯れ葉(Autumn Leaves)」これが泣きそうになるほどに良い。ただ日本の下町の風景には重ならないのが残念である。

野村先生のお供をしてローマ、シチリアからパリに行ったのは平成4(1992)年の9月のこと。ローマ、シチリア、ナポリ、ヴェネチアと回ってパリに着いたのは9月15日のこと。日中は、半そででも大丈夫だったが、朝晩は上着がないと寒かった。シャンゼリゼはマロニエの並木が続いており、ガイドさんがマロニエの実を拾って来て、「上手く育てると芽が出て楽しめますよ」と言われて持ち帰ったが、残念だった。パリの街路樹の多くはプラタナス。私の行った9月の中ごろはまだ落ち葉の季節ではなかったが、それでも街を歩けば、いくらかの落ち葉が風に舞っていた。マイルスの「枯れ葉」でも聴きながら歩いてみたい街でもある。※平成4年9月。初秋のパリにて在りし日の野村先生。


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東條英機の色紙。

2023-12-14 08:50:19 | 日記

12月12日(火)雨のち曇り。

朝食は、鮭の粕漬け、ハムエッグ、コンソメを使ったほうれん草のスープ。昼は抜いた。夜は、久しぶりに松原商店街の「魚孝」へ行き、マグロを買う。他はも鶏の手羽先の蒸し物、山芋と人参の糠漬け。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

私の通った小学校は、昭和23年12月23日に東條英機さんなどの戦争指導者が、いわゆる東京裁判で死刑の判決を受け処刑され、そのご遺体を荼毘に伏した久保山火葬場のすぐ近くにある横浜市立太田小学校。もちろん、小学生の私は、その火葬場が東條さんを荼毘に伏した場所であるなどと言うことは、知らなかった。

随分前のことだが、その東條さんの句の書かれた色紙を古書店で買ったことがある。「寒月や幾世照らして今ここに」と言うもので、処刑される年の正月、色紙には「昭和二十三年一月」とある。私の前に、その色紙を所蔵していた方の解説文が色紙と一緒に入っていた。それによると、「昭和二十三年一月、巣鴨刑務所に於いて、空の月を眺め、寒空の月が長い、長い年月を照らして今ここに輝いている。と無常の感をこめて歌われています。」さらに、「東條英機が刑死を目前に、人間個人として自分の息子、英隆の今後を右翼の義人、三浦義一に託した決別の句と思います。」この色紙と一緒にあった名刺には(私が買った時には名刺はなかった)「多年の御厚誼奉謝候、英隆に関し何卒宜敷く御願い申し上げ候 三浦義一殿」と書いてあったと、コピーにある。色紙よりもその名刺の方が欲しかった。

連合国は、当時の皇太子殿下(現・上皇様)の生誕の日、すなわち十二月二十三日に合わせて処刑を行なったという説がある。ちなみに東條さんの辞世の歌は、「我ゆくも またこの土地に かへり来ん 國に酬ゆる ことの足らねば」。国に対する恩返しが足りていない。か。合掌。


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