白雲去来

蜷川正大の日々是口実

弁当のこと。

2018-11-27 11:00:07 | 日記
十一月十九日(月)曇り。

小学生の頃は給食だった。昭和三十年の前半の頃は、まだ日本の経済状態が悪く、従って給食とは名ばかりで、貧乏だったにも関わらず、「美味しい」と思って食べたと言う記憶がない。脱脂粉乳は、鼻をつまんでも飲めなかったし、パンは、一日たつと、釘でも打てるのではないかと思うくらいカチカチになった。正直言って給食の時間が嫌で仕方がなかった。

中学の時は、給食が無く、学校指定の「中田のパン」の袋に、食べたいパンとお金を入れておくと、昼に届いたが、毎日同じメニューばかりなので、さすがに三年間は飽きて、匂いを嗅ぐのも嫌になった。コンビニなどない時代だったので、仕方なく食べていた。高校は、弁当を持って行った。何かを買おうとも思っても、学校の周りにはお店が一軒もなく、弁当を持って行く以外になかった。「のり弁」「しゃけ弁」「煮豆」の繰り返しだった、という記憶がある。「のり弁」も学校に行くまでに、ご飯が端っこに寄ってしまい、隙間が出来ているのが、貧乏くさくて情けなかった。

子供たちは、中、高、大学とすべて弁当を持って行っている。学食で食べれば楽なのにと思うのだが、「まずいから嫌だ」ということで、今でも愚妻の手を煩わせている。世界の学校で、弁当を持って行くところがどのくらいあるのだろうか。以前、テレビで見たのだが、オーストラリアかの小学生のお弁当が、食パン二枚にバナナ一本で、ちょっと驚いた。持たせる方は手軽で良いが、そんなもので、お腹が一杯になるのだろうかと、余計なお世話だが、心配になった。今度、事務所に行く時に、弁当を作って持って行ってみようかと思っている。事務所には、火の気が一切ない。本と資料が山積みなので、火事が怖いからである。電子レンジと保温ポット。これさえあれば冷えたものを食べずに済む。まあ、何処かで弁当を買った方が早いか。

今日は、月に一度の、仲良しさんたちとの飲み会を、弘明寺の「花笠」にて開催した。二時間近く飲んでから、有志にて関内へ転戦。十二時近くに帰宅。
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