一月三十一日(日)晴れ
ようやく一月が終わった。一年で一月が一番長いような気がする。珍しく、家族が何もない休日なのだが、生憎、今日は、午後三時から、国民協議会の新年会が行なわれ、出かけなければならない。会場となる、茨城県結城郡までは、電車では不便なので、長谷川光良氏に送って貰う事とした。昨年は、電車で行ったが、駅を降りてからもタクシーで随分と料金がかかったことを憶えている。
十一時に、我が家に迎えに来てもらい、コーヒーを飲んでから出かけた。日曜日とあってか、道路はガラガラ、予定よりも、早く着いてしまいそうなので、途中のSAで時間調整をした。偶然にも、日本民族連合の並木晃議長と大日本報皇会の高山正夫会長とお会いした。良い天気なので、皆でSAの中のスタバのオープンテラスでお茶をした。
二時半に、会場に着。同志の人たちで一杯である。三時に開演。様々な来賓の諸先生のご挨拶の中で、印象に残ったのが敬天新聞の白倉社主のご挨拶。例の小沢一郎に関して、「我々民族派が手をこまねいていては、民族派の存亡に関わる。陛下に対して不敬を働いた小沢に、天誅を与えねばならない」(大意)との力強い挨拶には、会場を埋めた五百余名の同志から大きな拍手が起こった。
五時に閉会。長谷川氏に送って頂き、自宅に着いたのは七時半。家族と共に夕食をとった。出掛けに「牛筋」を煮込んでおいたので、大根、にんじん、ジャガイモを入れて、味付けした。残念ながら、まだ食べるのには早かったので、急いでマーボーナスと豚肉のしょうが焼きを作って、食べさせた。
食後は、録画しておいた大好きな「大阪国際女子マラソン」を見た。ハイペースで良いレースになると思ったが、残念ながら赤羽が途中で脱落。雨でコンディションも悪く、後半は、しまりのない展開となったのが残念だった。おかしかったのが、レースに出た選手よりも解説のゲストが豪華だったこと。高橋尚子、有森裕子、増田明美、千葉真佐子などのかつて日本を代表した選手たち。
久し振りにダイハツにいた小鴨由水が走っていた。彼女は、初マラソンで、当時、オリンピック候補だった同じダイハツの浅利純子のペースメーカーとして参加したが、松野明美などの有力選手を破って当時の世界最高記録を出して優勝した。大阪マラソンにおける、初の日本人の優勝者でもあった。
オリンピックの代表にも選ばれたが、その後は、あまり活躍をしなかった。
現在は、結婚して二児の母だそうだ。暇があったら、過去に録画してある、マラソンのビデオをのんびり見たいと思っている。