白雲去来

蜷川正大の日々是口実

自民党は、鉄の女軍団で再生を。

2010-02-06 01:25:01 | インポート

二月五日(金)晴れ。

 いやはや、機関誌「燃えよ祖国」の最新号を送付したのだが、誤字脱字、さらに印刷機の調子が悪かったのか、印刷されていない頁があって、読者の方から、ご連絡を頂いた。恐縮した。言い訳ではないが、印刷用の紙を二ヶ月も事務所に置いておくと、湿気で紙がダメージを受けるのだろうか、二枚一緒に持っていってしまったり、紙詰まりをおこしたり、どうも調子が悪い。最も、誤字脱字は、こちらの編集ミスだから、言い訳はきかない。初歩的なミスは、恥ずかしいことだ。

 朝食後は、机に向かって仕事。機関誌の購読のお願いやら、DVDの案内やら、大変だった。午後から、郵便局やコンビニで支払い。二時半から定期健診、と今日はかなりバタバタした。自宅に戻ったのは六時近かった。

 先日、某週刊誌の取材があり、その中で話したのだが、民主党の体たらくを、自民党の追い風に出来ないのはなぜか。それは、良くも悪くも、民主党の小沢に代わるような、アクの強い人物がいないからではないか。私が、取材記者に話した自民党再生案は、総裁に小池百合子。幹事長に野田聖子。その他、高市早苗、稲田朋美のお二人を党の要職に据える。自民党の鉄の女軍団だ。上記の女性達は、加藤紘一や河野太郎などよりも、立派な国家観を持ち、靖国神社にも参拝する。真正の保守だし、論客でもある。ヘナチョコの世襲議員などより、よほど腹が据わっている。

 アメリカは、黒人の大統領、わが国は女性の総理。良いと思うのだが、どうだろう。考えてみれば、自民党は、男よりも女性人の方がしっかりしている。

 夜は、一仕事を終えてから、最近凝っている「王道楽土」という銘柄の焼酎を飲んだ。どうですか、名前がいいでしょう。もちろん味も良い。

 明日は、東京で会合がある。宴会以外で、東京の同志の方々とお会いするのは久し振りのこと。


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検察が見逃しても、日本人の良識が小沢を許さないだろう。

2010-02-05 11:57:25 | インポート

二月四日(木)曇りのち晴れ。

 昨夜、眠れぬまま、自宅の書棚にあった「阪田機関出動ス」(熊野三平著・展転社刊)を読んでいたら、面白くて、ますます眠れなくなり、気がつけば、白々と夜が明けかけていた。

 朝飯の仕度だけをして、「起こさないで」という貼紙をして、寝た。クリーニング屋の来訪で起こされて時計を見れば十時半。まだ寝ていたかったが、お天道様と堅気の衆に申し訳ないので、エイヤッと布団から出た。誰も見ているわけではないのに、こんな時間に朝飯を食べるのは、少々気が引ける。お歳暮に頂いた、稲庭うどんを温麺にして、ボソッと食べた。

 昼からは、頑張って、注文のあった本の発送や、機関誌の請求書を書いたり、購読依頼の手紙を書いたり、後ろ指を刺されない程度に仕事をした。二時過ぎに、事務所に荷物が届いているとの連絡が有り、行ってみると、野村先生がプロデュースした映画、「斬殺せよ」と゛「撃てばかげろう」がDVDとなり、以前注文しておいたものが届いていた。

 今月の十四日は、野村先生の七十五回目の誕生日である。埼玉の正田秀幸氏らがご尽力なされ、雷電神社の境内に野村先生の句碑を作った。その雷電神社にて、近隣の一門が集い、野村先生の生誕祭を執り行う。その日に間に合って良かった。発売もとのN社長に感謝する次第です。

 夕方のニュースでは、横綱の朝青龍が、不祥事の責任をとって引退するという報道があった。朝青龍の会見も見たが、チョットほろっとした。口さがない連中が、「やめて当然」とか、むしろ「遅いくらい」などと言っていたが、無責任な話だ。一体、その人たちは、朝青龍とどんな関わり合いがあるのだろうか。四、五日前も、朝青龍の土俵入りの祭に、「モンゴルへ帰れ」などという罵声を浴びせていた者がいたが、そんな奴に横綱の品位云々を言う資格はない。「品位」を問題にするならば、外国人力士も結構だが、それならば、日本生まれで、日本の教育を受けた者、に限れば良い。強ければ良い、といって外国人力士を多用してきた、相撲界の方に問題があると思うのだが。

 相撲が国技ならば、歌舞伎も芸者も国技にすれば良い。出は皆一緒ではないのか。今や相撲は、プロレスやボクシングと行った、プロスポーツと同じように思えてならない。それで充分と私は思うのだが。

 小沢一郎が不起訴となった。それで彼の罪が消えたわけではない。起訴されて、議員辞職でもされたら、天誅を下す価値がなくなる。議員だからこそ、不敬の罰を受ける意味がある。検察が見逃しても、日本人の良識が、アイツを許すわけはない。

 自らケジメをつけて引退したモンゴル人の横綱と、子飼いの若い衆が三人も逮捕されたのに、恬として恥じることがないわが国の政治家。どちらが日本人らしいのだろうか。進退に窮したときは、武士は死ぬべきと論じたのは、「葉隠」である。どこかの幹事長に読ませたいものだ。

Img308 ※各、¥2940(税込) お問合せは、メールまたは、045-232-8590(二十一世紀書院)、または、GPミュージアムソフト、迄。

Img309


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一人でなくて良かった。

2010-02-04 23:48:17 | インポート

二月三日(水)曇り。

 六時半に起きて、家族で朝食。何処の家でもそうだろうが、朝は、とても慌しい。毎日の事だと分かっていても、子供達は、朝になるとバタバタしている。下の子供は、いつまでも食事をしていたために、「朝連」に遅れるからと、ベソをかいているので、仕方ないので学校まで送って行った。八時を過ぎると、自宅にいるのは私だけである。

 コーヒーを淹れて、のんびり新聞を読み、今日一日のスケジュールを確認する。何も予定がない時の午前中は、掃除、洗濯など主婦業に精を出し、終われば、机に向かう。考えてみれば気楽な家業だ。

 昨夜だったか、偶然に見た、NHKだったと思うが、一人暮らしで、何処の誰だかも分からずに死んでゆく人が、年間に三万人を超えるという、番組を放送していた。それらの人を「行旅死亡人」と言うそうだ。

 例えば、住居にて遺体が発見された場合においても、身元不明の場合これに該当する。近年、他者や家族とのつながりが希薄になり、親族であっても連絡を取り合わないケースが多い。そのため、死亡時に本人の身元がはっきりわかるものを所持していても、親族がいないものと判断され、無縁墓地に埋葬されるケースもある。生涯未婚率の上昇、熟年離婚等も増加に拍車をかけているとのこと。

 それを国のせいにしているところが、NHKらしかったが、一人暮らしの「自由」とは、「孤独」の裏返しでもある。結婚や、家族関係の煩わしさから逃れて、生涯一人暮らしをしている人もいるだろうし、それが不幸かどうかは、その人にしか分からない。いやはや、暗い番組を見てしまった。一人暮らしでなくて良かったと、しみじみ思う。家族と言うものは、ありがたいものだ。

 夕食後は、獄中に座す、同志三名に手紙を書いた。無期が二人、八年が一人。何はともあれ、獄中での健康を願わざるを得ない。

 机の引き出しの奥から、私が二、三歳から小学校時代の低学年の頃の写真が数枚出てきた。母が、生前大事にしまっておいたものだ。母の遺品の中から出てきたもので、机の中にしまっまま、忘れていた。二十三、四の歳頃に、母と一緒に撮ったものもあった。今月の十七日は、亡き母の誕生日である。元気ならば今年で九十三歳となる。

3※小学校の、1、2年生の頃ですかね。左から二人目が私です。近所のガキ共の顔に見覚えはありますが、さすがに名前は覚えていません。横浜の南区の前里町と言う所に住んでいました。

Photo ※母と一緒に。私は二十歳ぐらいですかね。似てますか。


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携帯の、呼び出し音が気になる。

2010-02-03 17:49:35 | インポート

二月二日(火)晴れ。

 寒い、寒いと何回繰り返しても、暖かくならないのは分かっていても、つい口から出てしまう。我ながらだらしがない。七時に朝食。おかずは大好物のサバの文化干し、と暮に頂いた明太子である。最近は冷凍庫が良くなって、半年ぐらいは冷凍が出来る。有り難い事だ。食後は、自宅の片づけをしてから机に向かった。

 機関誌の購読のお願いや、お世話になっている方への手紙などで、アット言う間に、昼になった。昼食は、稲庭うどん。にんじんの天ぷらを作って、天ぷらうどんにした。

 三時過ぎに、友人が来訪。一時間ほどお茶。五時過ぎに買い物に行き、夕食は、久し振りに「タコネギ」を作って一杯やった。

 私が気になっていたことと、同じことが友人のブログに書いてあった。その気になっていたこととは、携帯をかけたときに、聞こえる音楽の呼び出し音である。本人は好きで聞かせているつもりだろうが、私には、聞き苦しい雑音以外のなにものでもない。

 何という曲かも分からずに、一方的に聞かされる。チョット、イライラしている時とか、真面目な話をしようと思って、電話をかけた時など、正直言って不愉快になる。

 自分では、流行のつもりでいるのかもしれないが、聞かされる方は、面白くもおかしくもない。着信音ならば、自分だけが聞けば良いが、呼び出し音は、他人が聞くものだ。その人の趣味や、その時の気分も分からないのに、訳の分からない音楽が聞こえてくると、電話を切りたくなる。

 これは何も、私だけの思いではないに違いあるまい。普通の呼び出し音にして貰いたいものだ。

 食後は、レンタルしたDVDで「セントアンナの奇跡」という映画を見た。うーん、まあまあかな。早目に寝ました。


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煩悩のしずまれば雪野 截つ汽笛

2010-02-02 11:55:06 | インポート

二月一日(月)曇りのち雪。

 天気予報では、夜に雪になるという。私は、なぜか雪と桜と聞くと、何となくそわそわしてくる。早い話が、酒を飲みたくなるのだ。北国と違って、横浜での雪は、キザなようだが、神様がくれたプレゼントのような気がする。しかし降るのが夜では、雪見の酒とはならない。それでもマッいいか。丁度用事のあった後輩に電話した。「雪で帰れなくなるので心配」というのを、「めったにない雪だから」と無理やり誘って、自宅の近くのすし屋「徳よし」で待ち合わせをすることにした。

 下の子供が、土曜日が学校だったので、今日が代休。午前中は、子供と一緒に自宅の片づけをしたり、一緒に百人一首などして時間をつぶした。午後から、スケートに行く子供を送って事務所に。日当たりの悪い事務所は、まるで冷蔵庫のようだ。本や資料が山積みなので、ストーブなど火のつくものは置いていない。従って暖房は、家庭用のエアコンのみ。二台のエアコンのスイッチを入れても、二十二坪の事務所は、暖かくなるのに時間がかかる。原稿に使用する写真などを探したり、来月の原稿の準備などして事務所を後にした。

 今日、二月一日は、正気塾の若島征四郎先生のご命日である。私の記憶に誤りがなければ、平成十年の今日、亡くなられた。五十四歳という若さであった。その日、私は、鬼怒川温泉で開催される国粋青年隊の新年会に行く途中であり、友人からの電話で若島先生の訃報に接した。当然、その日の新年会は、若島先生の追悼集会のようになった。

 若島先生と初めてお会いしたのは、本島長崎市長銃撃事件の公判の支援で、長崎に行った折にご紹介された。その後、若島先生が長崎市長選挙に立候補した祭、野村先生と共に選挙応援に行ったり、風の会の選挙をご支援頂いたりと、私よりも、野村先生と親しくされていた。肝臓が悪くて入院をされている時に、二度ほどお見舞いに行ったが、それが最後のお別れとなった。

 私は、道の兄である花房東洋先輩から教わって「名刺供養」ということを行なっている。それは、野村先生の名刺を一番上にして、かつて名刺交換をして亡くなられた方の名刺を重ねて、野村先生の遺影の前に置く、というものである。その名刺も、すでに名刺入れが二箱になる。正に、歳歳年々、人同じからずや、という思いを実感する今日この頃である。

 夜は、後輩と、近所の寿司屋で一献。店に入った頃から、雪が降り始めて、後から入ってくる客の体に雪がついている。寒いので、久し振りに、日本酒の熱燗を飲んだ。帰る頃には、道路が真っ白だった。野村先生の代表句でもある、

 俺に是非を説くな 激しき雪が好き

 が、雪の日には相応しいが、私は、雪を見て、思い出すのは、

 雪の夜の壁に貼りつく汽笛の尾

 が好きだ。網走の独房でも、網走駅発の釧網線の最終電車の汽笛が聞こえた。それでなくとも、哀愁を伴う汽笛が、雪の日には、より一層、煩悩を深いものにした。そういえば、先生の句に、

 煩悩のしずまれば雪野 截つ汽笛

 がある。今月の十四日は、野村先生の生誕祭が群馬の雷電神社にて行なわれる。維新回天の思いを秘めて、門下生が集う。お元気ならば、今年で七十五歳となられる。

Img283

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Img286 ※在りし日の、野村先生、若島先生。平成三年、長崎にて。平早勉氏撮影。


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