白雲去来

蜷川正大の日々是口実

子供の誕生日

2010-11-29 08:52:56 | インポート

十一月二十二日(月)晴れ。

 今日は上の子供の誕生日。とりあえずここまで恙無く育ってくれたことを感謝して、両親の仏壇に手を合わせる。

 

 午後から歯医者。終了後は事務所にて仕事。一応形だけは株式会社なので、決算書の作成や、「大吼」の新年号の原稿など、何か気ぜわしい。夜は、私の敬愛する同志である愛国党の舟川孝氏のご尊父が亡くなられ、通夜式が行なわれた。最近、舟川氏と酒友の隠岐康氏にお願いして出席をして頂いた。謹んで哀悼の意を表します。

 

 夜は、志村馨君が持ってきてくれたバースディケーキで、ささやかに我が家で子供の誕生日を祝う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関内ハイカラ祭りへ。

2010-11-24 23:06:06 | インポート

十一月二十一日(日)曇り。

 起床後、朝食を済ませた後は、家族総出でキッチンの掃除をした。愚妻の手のギブスが取れないので、十二月に入ってからの大掃除では大変なので、今の内に出来るところからやっておこうと思った次第。二人の子供にハッパをかけて台所の周りをきれいにした。

 

 午後からは、今年から始まった「関内ハイカラ祭り」を見学に家族で出かけた。本当は十月の後半に開催予定だったが、季節はずれの台風で今日に延びた。関内は弁天通り、それも馬車道から向って横浜スタジアム方向にお店が出ている。「ハイカラ」と言っても骨董のお祭りである。地元のせいもあって、出店しているお店の殆どが知り合いだった。当然、サリー姐さんもパパと一緒に、テントを出してビールや酎ハイを売っている。いつものサリーファミリーがすでに酔っていた。

 

 骨董のブースには中学、高校の同級生のY氏のテントがあり、九谷焼や横浜の焼き物で有名な真葛焼きの焼き物を出品していた。社友の古谷喜久男氏も顔を出すなど、仲良しの人たちばかりで楽しかった。夕方になって寒くなってきたので、皆さんに挨拶をして帰宅。

 

 夜は、松本佳展君、小枝ちゃんとカメ&アコちゃんらが来訪しての一献会となった。実は、明日が上の子供の誕生日なので、カメ&アコちゃんから頂いたケーキで一日早い誕生祝をした。松本君たちからもプレゼントを貰い、子供は大喜びだった。皆、昼間の酒で疲れていたので早目に解散。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PXで若い頃を思い出した。

2010-11-24 12:33:59 | インポート

十一月二十日(土)晴れ。

 小春日和である。午前中は、下の子供の学校の行事を見学するために、学校へ行った。水や環境について発表するとのことで、見に行ったのだが、親バカと言われそうだが、中々良く出来たと思っている。チョット鼻が高かった。

 

 終了後に、友人のお世話になり、横須賀の米軍基地内にあるPXへ買い物に連れて行ってもらった。友人のご家族にアメリカ籍の方がいるので、そのゲストとして入れたのである。

 

 私が子供の頃には、本牧、丁度山下公園方向から小港を過ぎて、本牧に向う突き当たりに米軍のPXがあった。同級生の父親が、コックとして働いており、一年に一度の従業員の慰安会で、基地内に入ったことがある。ビンゴゲームなど様々な催しがあったが、驚いたのは、食べ物や飲み物の大きさとその量であった。

 

 特大のコップを渡されて、好きなものを好きなだけ飲んでも良い。当時、ラムネかサイダーしか知らなかった私には、コーラや7アップを初めて飲んだ時の感激と驚きは忘れられない。ハーシーのチョコレートやお菓子を山ほど貰い、ビンゴで当った生のパインアップルや牛肉を持って帰ったら、アパートの人たちが集まってきて感心していた。私を含めて殆どの人が生のパインを見たのが初めての人ばかりだった。切り方が分からずに、近所の八百屋に持っていったことを憶えている。

 

 次に行ったのは、十代の後半の頃。山手警察の裏にあった進駐軍の施設の、シーサイド・クラブ。そこのレストランで、1ポンド(約450グラム)のTボーン・ステーキをご馳走になったとき、その大きさと厚さを見て子供心に、「アメリカと戦争しても勝てるわけはない」と思った。サイドオーダーでポテトサラダを頼んだら、何とどんぶり一杯ぐらいの量の物が出てきた。私は四人分だと思ったら、一人前で、それが四つ来た。

 

 そんなことを思い出しながら、横須賀の米軍基地に入り、まずフードコートで軽い昼食をとった。「ポパイ」というお店のフライドチキン。フライドポテトが変った味付けで美味かった。飲み物は、大き目の紙コップを貰い、飲み放題。私は、炭酸飲料が余り好きではないので、コーヒーを飲んだが、三分の一まで入れれば充分だった。

 

 その後、買い物をしたが、子供服などを少し買って、あとはもっぱら見学に徹した。それでも見ているだけでも楽しく、当然ノータックスなのであらゆるものが安い。おまけに円高である。ヒューレットPのノートパソコンなど一万円程度で売っていた。停泊中の空母ジョージ・ワシントンを眺めつつ基地を後にした。

P1000037

※こんなツリー?がありました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シーズン初ふぐ。

2010-11-24 11:51:35 | インポート

十一月十九日(金)晴れ。

 寒くなってはじめての「ふぐ」を食した。日頃からお世話になっているT氏、W氏のご好意で、伊勢佐木町の一本裏通り、今では殆ど死語となってしまったが、その昔は「親不孝通り」と呼ばれた場所にある「山田屋」である。

 

 私が、子供の頃は、その「親不孝通り」には、こじんまりとした「バー」が沢山あった。もちろん外人専門の飲み屋もあり、折角、貰った給料をそんな場所で使い果たしてしまうことから名前がついたのだろう。しかし、今では、山田屋ような料理屋や、オシャレなお店が軒を連ねている。

 

 私は、ふぐと言えば、この山田屋が好きだ。と言っても、そんなに他所のお店を知っているわけではないが、今流行りの、ナントカ亭などよりも、料理は丁寧だし、値段も手ごろである。聞くところによれば、山田屋の本店は料亭であるというから、従業員の接客態度もキチントしている。

 

 ふぐ刺しにヒレ酒。これが冬の醍醐味ですね。ボージョレーなどよりも、冬は、ヒレ酒。五杯ほど飲んで、最後は、おじやでしめた。その後、福富町へ。二軒転戦してから帰宅。おせわになりました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良い本に出会った。

2010-11-23 10:32:41 | インポート

十一月十八日(木)曇り。

 朝一番で東京行きである。下山してくる盟友と待ち合わせて、お世話になっている方の会社にご挨拶。珍しく来客もなく一時間半ほどお話を伺った。いつも大変勉強させて頂き、感謝している。

 

 終了後、書店に行き、岐阜の細川先生から薦められた「特務機関長・許斐氏利―風浰瀝として流水寒し」(牧久著・ウエッジ出版・1800円)を購入した。許斐氏利という人の名前は、様々な昭和史、とりわけ「闇」の部分を扱った本の中で知っていた。戦前は特務機関として中国で活躍し、戦後は、東京駅の八重洲口で東京温泉を経営している、程度の知識しかなかった。苗字が珍しいので記憶にあったと言った方が正しいかもしれない。

 

 その許斐(このみ)氏のノンフィクションである。読み進むうちに許斐氏という人が、とても素晴らしい人であることを知り、そんな人の生き様を知らずにいた怠慢を反省した。右翼の先輩で特務出身といえば、児玉誉士夫先生が有名であるが、許斐氏も同じ特務機関員として活躍した。

 

 児玉先生は、特攻隊の産みの親である大西瀧次郎に私淑し、許斐氏は、硫黄島で自決された長勇に私淑した。大西、長の両将軍も自決している。戦後、許斐氏は長勇中将の墓を郷里の福岡に建立している。

 

 久し振りに、読み応えのある本に出会った感じだ。まだまだ勉強が足りないと思った次第。

 

 夜は、友人が来訪して、我が酔狂亭での一献会。久し振りの大破・轟沈の夜だった。

Img492 ※是非、ご一読を。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする