白雲去来

蜷川正大の日々是口実

主夫業も大変である。

2010-11-23 01:34:00 | インポート

十一月十七日(水)雨のち曇り。

 午前中、家事をこなしてから東京行き。今日は、私が相談役の末席を汚している大行社の幹部会議がある。季刊「大吼」の新年号の校正や、来年の三十周年記念号の打ち合わせなどを行なった。

 

 今日の会議で、私の盟友であるS氏が戦線復帰を果たし、大行社の執行部入りした。終了後に、その彼を囲んでの一献会があって私も誘われたが、夜の家事を放り出すわけにも行かず、欠席した。

 

 自宅に戻り、夕食後は、机に向かい「大吼」の校正。外に出ているよりも、家にいる方が疲れる。あーあ主夫業も大変である。


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飲み屋も様変わりしつつある。

2010-11-23 00:58:06 | インポート

一月十六日(火)曇り。

 私の後輩で、長い間居酒屋を経営していたA君が店を閉めた。決して、高級な店ではなく、庶民的な店であったが、最近の「立ち飲み屋」や「ホルモン」ブームにより、かつての大衆的な店が、値段的に「高い」と感じられるようになってしまったためだ。

 

 先日、テレビで見たが、最近の居酒屋は、料理の平均的な値段が二百七十円程度だそうだ。薄利多売の商売をするためには、まず人件費を削る。機械化を図って、百人ぐらいのお客の注文ならば厨房に三人もいればこなせるという。

 

 今まで六人でやってきた厨房が半分の三人で済む。では、リストラされた三人はどこへ行くのか。こういった現象が日本中の飲食店でおこっていると言っていた。確かに安いことはいいことかもしれないが、「安い」中に、人件費が削られて行く。何でもデフレスパイラル(経済が専門ではないので、抽象的ですみません)と言うそうだ。

 

 私が、いわゆる赤い看板の居酒屋が嫌いで行かないのは、そんな経営手法にも原因がある。

 

 どんな所で飲んでいるかで、大体、その人の事が分かる。決して気取った、高級な店でなくとも良い。男たるもの、友人が来た時には、自信をもって接待の出来る、行きつけの店を何軒か持っていなければダメだ。もし、初対面で、赤い看板の居酒屋などに連れて行かれたら、私は、二度とその人と酒席を共にしないだろう。

 

 もう残り時間も少ない。人生の大事な一杯を、全国チェーンのくだらん酒場で飲んでたまるか。

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つらい知らせが・・・。

2010-11-23 00:31:24 | インポート

十一月十五日(月)晴れ。

 いわゆる「尖閣ビデオ」を公開した海上保安官がが不起訴となった。当然の事で、ザマーアカンカン河童の屁である。あの程度の内容のものを公開せずにいた民主党の責任問題が浮上しても良いと思うのだが。

 

 実は、今日とてもショックな葉書が届いた。私の、小学校から中学、高校と一緒だった一つ後輩のK君という人がいる。中学から陸上を始め、将来を嘱望されていた。高校も、私を慕って横浜高校に入った。しかしながら、私同様、開花せずに終わったが、卒業後も私との交友は続いた。

 

 社会に出てからは、仕事や生き方は別々となったが、年に幾度かは会って酒席を共にした。特に、私が社会不在を余儀なくされた時も、母を見舞ってくれたり、気遣いを忘れずにいてくれた。生き方は真面目を絵に描いたようだったが、反面、悪く言えば頑固なところがあって、NTTに務めていながら、携帯電話を持ったことがなく、独身を通していた。

 

 三年ほど会わずにいたので、今年の夏に彼の勤めている会社に電話をした所、病気で長期療養しているとのことだった。仕方がないので彼の自宅に、私が、高校一年のときに箱根駅伝を見に行った帰りに、彼と陸上部の後輩と一緒に撮った写真を葉書に印刷して、「久し振りに会いたいので、連絡下さい」と添えて出した。

 

 返事がなかったが、いずれ電話でもかかってくるだろうと思って、そのままにしていた。彼の事が分かったのが、今日の葉書だった。それは、彼の「成年後見人」をしているという司法書士からのもので、何でも、三年ほど前に、脳梗塞で倒れ植物人間状態だったが、奇跡的な回復で、現在は、「特別養護老人ホーム」で生活しているとのことであった。

 

 病院ではなく、「養護老人ホーム」での療養と言うことが、私と彼の年齢を象徴しているようで、少々ショックだった。司法書士の方によれば、脳梗塞による脳のダメージは大きく、寝たきりで言葉も上手く発せられず、短い言葉は理解できるが、話がこみいると理解できないようだが、全く他人の司法書士の方が面会に行ってもとても喜んでいる。とあり、面会に行った折に、私が出した、学生時代の写真入の葉書を見せた所、大変喜んで涙を流していた。と書いてあった。

 

 この葉書を読んだときに、家族がいるのにも関わらず、声を上げて泣いてしまった。泣かずにはいられなかった。あんないい奴が、あんなに思いやりに溢れ、友情に厚い彼が、何と言う残酷なことかと・・・。そして三年も連絡を取らなかったことを申し訳なく思った。つらい知らせであった。

Photo※後輩のK君に送った葉書に印刷した写真。昭和41年1月3日、箱根駅伝観戦の帰りに。上段左側がK君。隣が私である。


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ご沙汰をしましてスミマセン。

2010-11-22 23:50:38 | インポート

十一月十四日(日)曇り。

 いやはや随分とブログの更新をせずにいた。決して体が悪かったわけでも、忙しかった訳でもない。どうしたのと問われれば、ただボーッとしていただけである。

 

 実は、パソコンの調子が悪いこともあって、新しいものをと思ったが、中々量販店に行く時間もなかった。愚妻が手首を骨折したことは、先日報告したが、ギブスが取れる予定が、順調に行かず、従ってまだ家事全般の負担が私にかかっている。三食の食事の世話から掃除に洗濯、そして仕事と、正直言って目が回るほどである。

 

 夜に、松本佳展君から連絡があって、外で食事をすることとなった。札幌社友会の石澤博文君の甥っ子である大工のヒデちゃんも一緒である。家事から解放されると思うとホッとする。場所は一度行ってみたいと思っていた自宅近くのちゃんこ鍋のお店。我が家の家族と一緒に行ったが、まあ、値段なりの店だった。

 

 口直しに、志村馨君の同級生が経営している焼き鳥屋に行ったが、こちらの方が断然良かった。ヘロヘロになって帰宅。


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我が家に薄型テレビが来た。

2010-11-17 10:26:06 | インポート

十一月十三日(土)晴れ。

 私が子供の頃、我が家にテレビが来たのは、確か小学校の五年生の時だった。ある時、クラスで、担任の先生が、「家にテレビのある人は手を上げて」と言われ、殆どの者が手を上げた。手を上げなかったのは、私を含めて二三人ほどだったが、それを見て、つい見栄を張って一瞬遅れて私も手を上げた。すると前に座っていた近所に住むHが、「蜷川の家はテレビがないじゃネェかよ」と振り向きざまに言った。放課後にそいつを殴ってやったのは言うまでもない。

 

 その話を、母にしたら、母も不憫だと思ったのだろう、それからしばらくして、テレビを買ってくれた。学校からすっ飛んで家に戻り、部屋を見たがまだ届いていない。母に聞けば、もうすぐ来るんじゃないの。部屋と玄関を出たり入ったりしながら、電気屋さんの来るのを待ったことを鮮明に覚えている。横浜の下町のアパートに母と二人で住んでいた小学生の頃の忘れられない思い出である。

 

 チデジに移行するとかで、我が家もテレビを交換せざるを得なくなった。家族で相談して、ジャパネットタカタで、テレビ、スピーカーつきのテレビ台、さらに外付けのハードディスクがセットになっている47インチのものである。もちろん、何軒かの量販店を回って、ジャパネットが一番安いと知った上での購入であった。

 

 土曜日など、学校が休みの時は、起こしても中々起きてこない子供達が、今日に限って早起きだった。そしてなぜか二人ともソワソワしている。その原因が、今日届く薄型のテレビにあることは想像がついた。郵便配達の人が玄関のチャイムを鳴らすと、下の子供がすっ飛んで出る。そして、「なぁーんだ郵便やさんだったよ」とガッカリしている。

 

 その姿を見て、私が子供の頃に、家に初めてテレビが来た日のことと、母の誇らしげな顔を思い出した。現在は、ジャパネットに限らず、家電の量販店で物を買うと、それらのお店ではなく、宅急便屋が品物を持ってくる。まあ誰が持ってきても良いのだが、電気屋さんの車の方が何となく嬉しいと思うのは私だけだろうか。

 

 今のテレビはアナログ時代のものと違って、ただアンテナコードを繋ぎ、電源を入れれば良いだけではなく、画面に向って様々な入力をしなければならない。機械オンチの私やお年寄りなどは絶対にセットアップは無理だろう。家族揃って「点灯式」を終え、リモコンを操作したが、今までと違って、番組が山ほどあり、どれがどの局かさっぱり分からない。いやはや憶えるのに苦労しそうである。それでも、今時テレビで家族が盛り上がった、ごく小市民的な話でした。

 

 夜は、以前に岐阜の細川先生から薦められた松田美由紀さんの「越境者―松田優作」を読んだ。とても文章の上手い人だが、別れたダンナのことを書くのは、ダンナの新しい奥さんや家族の配慮が難しいと思った次第。

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