十一月十五日(月)晴れ。
いわゆる「尖閣ビデオ」を公開した海上保安官がが不起訴となった。当然の事で、ザマーアカンカン河童の屁である。あの程度の内容のものを公開せずにいた民主党の責任問題が浮上しても良いと思うのだが。
実は、今日とてもショックな葉書が届いた。私の、小学校から中学、高校と一緒だった一つ後輩のK君という人がいる。中学から陸上を始め、将来を嘱望されていた。高校も、私を慕って横浜高校に入った。しかしながら、私同様、開花せずに終わったが、卒業後も私との交友は続いた。
社会に出てからは、仕事や生き方は別々となったが、年に幾度かは会って酒席を共にした。特に、私が社会不在を余儀なくされた時も、母を見舞ってくれたり、気遣いを忘れずにいてくれた。生き方は真面目を絵に描いたようだったが、反面、悪く言えば頑固なところがあって、NTTに務めていながら、携帯電話を持ったことがなく、独身を通していた。
三年ほど会わずにいたので、今年の夏に彼の勤めている会社に電話をした所、病気で長期療養しているとのことだった。仕方がないので彼の自宅に、私が、高校一年のときに箱根駅伝を見に行った帰りに、彼と陸上部の後輩と一緒に撮った写真を葉書に印刷して、「久し振りに会いたいので、連絡下さい」と添えて出した。
返事がなかったが、いずれ電話でもかかってくるだろうと思って、そのままにしていた。彼の事が分かったのが、今日の葉書だった。それは、彼の「成年後見人」をしているという司法書士からのもので、何でも、三年ほど前に、脳梗塞で倒れ植物人間状態だったが、奇跡的な回復で、現在は、「特別養護老人ホーム」で生活しているとのことであった。
病院ではなく、「養護老人ホーム」での療養と言うことが、私と彼の年齢を象徴しているようで、少々ショックだった。司法書士の方によれば、脳梗塞による脳のダメージは大きく、寝たきりで言葉も上手く発せられず、短い言葉は理解できるが、話がこみいると理解できないようだが、全く他人の司法書士の方が面会に行ってもとても喜んでいる。とあり、面会に行った折に、私が出した、学生時代の写真入の葉書を見せた所、大変喜んで涙を流していた。と書いてあった。
この葉書を読んだときに、家族がいるのにも関わらず、声を上げて泣いてしまった。泣かずにはいられなかった。あんないい奴が、あんなに思いやりに溢れ、友情に厚い彼が、何と言う残酷なことかと・・・。そして三年も連絡を取らなかったことを申し訳なく思った。つらい知らせであった。
※後輩のK君に送った葉書に印刷した写真。昭和41年1月3日、箱根駅伝観戦の帰りに。上段左側がK君。隣が私である。