白雲去来

蜷川正大の日々是口実

オリジナル切手が「不許可」となった。

2010-11-17 09:39:56 | インポート

十一月十二日(金)曇り。

 朝から嫌なことがあった。それは、先月の前半に、郵便局で行なっている「オリジナル切手サービス」で、尖閣諸島の切手を頼んだ。二、三週間で出来るということで、カードで支払いの段取りを済ませて、後は切手の届くのを楽しみにしていた。

 

 しかし今朝、切手サービスの工場の責任者という人から連絡があり、「上と相談した結果、時節柄不許可となりました」という話。以前、竹島の切手を作ろうとした人も不許可となったことがあることが報道されたことがある。

 

 私が、北方領土の切手はどうなのか、と聞けば、やはりダメとのこと。百歩譲って、竹島や北方領土は、事実上実効支配をされているが、尖閣諸島には、日本の灯台もあり、取り敢えずは、日本も毅然とした態度で臨んでいる。その島の切手を作ろうとしたら不許可であるとは何とも納得の行かない話しではないか。

 

 コジキ根性の小役人の、こういった自己保身の判断によって、とどのつまりは、自らが国家主権を侵していることになることに気がつかない。このようなコジキ役人の優柔不断こそ、中国にナメられる原因であることは言うまでもない。工場の責任者ではなく、日本郵便のしかるべき担当者からの連絡が欲しい、と言った所、「必ず連絡します」との返事だったが、現在(17日)も連絡が無い。小役人ですらこんな姿勢なのだから、国家が馬鹿にされるのが分かるような気がする。

 

 午前中は、自宅の用事を済ませてから、仕事。午後から歯医者なのだが、いつも通っている所ではなく、別の場所にある歯医者に行った。いつも行くのがみなとみらいにあるため、エイペックの警備で何かと面倒なので、場所を変えてもらった次第。終了後に、歯医者の近くにある揚げ物屋で、もやし揚げ、さつま揚げなどを買った。私は、こういった練り製品が好物である。

 

 夜は、中学、高校の同級生であり、親友のY氏の還暦祝いがあり、愚妻と共に出席。関内にあるホテルの個室に、中の良い人たちが三十人ほどが集まってのお祝。出席された人たちが皆、普段から仲良くしている人たちばかりなので、和気藹々の中で非常に盛り上がった。最後に、主役のY氏が、出席された一人ひとりとの関わり合いを話されたが、これがとても感動的なエピソードばかりで、感激して目頭が熱くなった。文字通りの竹馬の友のお祝いを楽しんだ。

 

 終了後は、サリーの店へ。ここでも盛り上がったが、愚妻と一緒なので、早目に自宅に戻った。


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小春日和の日には鎌倉を歩きたい。

2010-11-15 09:42:08 | インポート

十一月十一日(木)晴れ。

 愚妻のギブスがまだ取れないので、相変わらず「主夫」状態が続いている。早く起きて子供の弁当を作ったり、食事の片付け、掃除洗濯、それから様々なお付き合いや仕事やらをこなしている。家族が気になって、家を空けることもできない。愚痴をこぼすわけではないが、本当に大変である。家政婦でも雇いたいくらいだ。それでも、そのせいで毎日、六時半には起きるので、一日がとても長く感じる。しかし、九時を過ぎると眠くなるのには困ったものだ。

 

 この時期、小春日和が続くと、鎌倉散策などしてみたくなる。我が家からは、横須賀線で北鎌倉までは二十分ほどで行く。駅を降りてから鎌倉駅までの散歩コースは、アジサイの季節も良いが、私はこの時期が好きだ。さだまさしの歌で有名になった「縁切寺」や「アジサイ寺」更に元寇の役で亡くなった日本と蒙古の兵士を供養している建長寺など有名な古刹を訪ね歩くのは楽しい。特に、建長寺には人間爆弾「桜花」の搭乗員など、いわゆる海軍神雷部隊の戦没者を祀った慰霊碑がある。私は、建長寺に行くと、まずそこを訪れて手を合わせる。

 

 小町通には、菊岡久利先生の遺児、ノンコ、エシナさん姉妹の経営する和紙のお店、「社頭」がある。随分前に、ノンコさんにお世話になって、鎌倉を歩く会を催したことがある。

 

 先日、古いアルバムを整理していたら、中学の三年生の時に行った遠足の写真が出てきた。鎌倉の「葛原ケ岡」で撮った写真なのだが、その時の記憶が全くない。その場所に行った事がどうしても思い出せないのだ。他の写真の事は、おぼろげな記憶があるのに、葛原ケ岡に行ったことを思い出せない。そんなこともあって鎌倉散策を思いついたわけである。

 

  鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は 

           美男におわす 夏木立かな

 

 という与謝野晶子が鎌倉の大仏様を詠んだ歌が好きだ。大仏様の裏に歌碑がある。でも、大仏様は釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来である。与謝野晶子の心を詠んだ歌なので、教育委員会はそのままにしているとか。それを教えてくれたのは、確か川端康成の「山の音」であったと思うが、定かではない。

Img491 ※昭和40年10月8日、葛原ケ岡にて。私は、担任の先生を除いて、上段の右から十人目です。ここに写っている同級生は、皆今年還暦となりました。ちなみに私は早生まれなので、来年です。

 


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パソコンの調子が悪くてマイッタ。

2010-11-15 08:57:43 | インポート

十一月十日(水)晴れ。

 弊社社友の松本佳展、湯浅進、河越繁の三君が、隠岐康氏を副団長とする皇居の勤労奉仕団の一員として、月曜日から三泊四日の日程で、皇居に行っている。民族派運動の原点は、言う間でもなく「尊皇」にある。彼等を誇らしく思う。

 

 最近、パソコンの調子が悪い。インターネットをやっていると、突然、画面が消えて、いわゆる「落ちてしまう」のである。当然、ブログなど打ち込んでいるものは消えてしまう。同じ部屋にある愚妻のパソコンも、時々そうなるらしいが、私の方は、かなりの頻度で、落ちてしまう。原因が分からないとパソコンを取り替えるわけにも行かない。困ったことだ。

 

 今日、十日は支払日。毎月の事だが頭の痛い話である。午後から、事務所にて「大吼」の新年号の編集。帰宅後は、軽く飲んで寝た。

 

 


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民主党がだめだからって、自民党で良いわけではない。

2010-11-14 10:27:45 | インポート

十一月九日(火)晴れ。

 いわゆる「尖閣ビデオ流出」問題が、連日マスコミを賑わしている。名乗り出た、海保の乗組員を逮捕するよりも、なぜ、この程度のビデオを国民の目から隠したのか、さらに、国民の知る権利を無視した、民主党政権こそ糾弾されるべきではないか。

 

 國學院大學の大原康男教授の話ではないが、民主党の政権が一日延命することは、亡国への道が一日早まる。正にその通りである。

 

 しかし、今日の政治の混乱と混迷を招いた元凶が自民党にあることは、否定できまい。尖閣の問題でも、自民党政権時代も現在の民主党とまったく同じスタンスであった。対中、対北朝鮮に対する外交も自民党も民主党も変わりがない。偽のパスポートで入国した金正男を拉致被害者へのカードともせずに釈放してしまったのは、自民党で、外務大臣は確か田中馬鹿子であった。尖閣諸島への上陸を認めなかったのも自民党も一緒である。

 

 自民党の政治家の中でも、靖国神社に参拝しない連中が山ほどいる。民主党よりも左よりの加藤紘一や河野洋平などが良い例だ。もはや真の保守を自認する政治家との連携、政界再編以外に国民の期待にこたえる道はないと私は思っている。

 

 夜は、まじめに家にいて、読書に専念した。当然休肝日である。来月、怒涛の忘年会に備えての体調管理であることは言うまでもない。


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愛国無罪。

2010-11-10 08:59:09 | インポート

十一月八日(月)曇り。

 強風で、窓がガタガタと揺れている。我が陋屋が倒れやしまいかとオチオチ寝てもいられない。

 連日、尖閣ビデオ流出のニュース。ザマーミロ。いい気味だ、と溜飲を下げている国民が圧倒的ではないだろうか。もちろん民主党に対してだ。なぜ隠す必要があったのか。犯人探しをするよりも、どうして国民の目から隠したのかを問題にすべきである。ビデオをインターネットに流した人に、良くやってくれたと、お礼を言いたいくらいだ。正に「愛国無罪」!

 

 昼間は、愚妻を歯医者に連れて行った。事故以来、噛み合わせが悪く、違和感があるとの事で、レントゲンを撮ったら、やはりアゴがずれている。事故の影響であることは間違いない。当分、主婦ならぬ主夫業から解放されそうにもない。

 

 夜は、名前だけが真面目な、「蜷川政経懇」を、自宅近くの焼肉屋「清水苑」にて開催した。中の良い人たちとの酒宴は、時間が経つのを忘れる。終了後は、岩上賢先輩と、オグリンとの三人で、すぐ隣の「はしもと」へ転戦。久し振りに飲んだ。


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