白雲去来

蜷川正大の日々是口実

暑気払いに出席。

2011-07-27 18:03:51 | インポート

七月二十五日(月)晴れ。

 今日も朝食の後に一時間半ほど歩いた。やることは一杯あるのだが、中々エンジンがかからない。夏ボケだろうか。

 今日は、明治記念館で、本間事務所の暑気払いがある。私が発起人に名を連ねているので、少し緊張した。三時に松本佳展君に迎えに来てもらい東京へ。最近感じることなのだが、首都高速が以前のように渋滞しない。たまたま混まない時間に通るのかもしれないが、余り渋滞に嵌まらなくなった。景気を反映していなければ良いのだが。

 四時に明治記念館に着。大熊雄次氏と待ち合わせて会場に行く。二百人以上も来ていただろうか、凄い人数である。右と左、弁護士、マスコミ人、芸能人etc。久し振りにお会いする方も多く、話が弾んだ。

 終了後は、新宿のスナックで二次会。山浦嘉久先輩に促されて「高校三年生」を歌う羽目になった。終了後は、針谷大輔氏や松本君たちと成田健治先生をご自宅にお送りし、ご自宅で少々ご馳走になった。自宅に戻ったのは深夜の十二時近かった。


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今日は海でBBQ。

2011-07-27 17:43:54 | インポート

七月二十四日(日)晴れ。

 朝の十時の京浜急行に乗り三崎口へ。今日は、親しくさせて頂いている久保田准一君らの友人たちが主催するBBQが、三崎の名浜という海水浴場にて開催され、サリーや京ちゃん、アイリちゃんたちと一緒に参加。今月は、これで三回目のBBQである。

 三崎口に、久保田氏に迎えに来て頂き、名浜へ。いつもの親しい人ばかりで盛り上がる。さほど暑くもなく、海の家から出て、太陽の下で宴会。二時半に解散。

 我が家で二次会。四時過ぎに解散。


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民族革新会議の懇親BBQ

2011-07-27 13:50:11 | インポート

七月二十三日(土)曇り。

 朝食後に一時間半ほど歩いた。それほど暑くもなく歩きやすかった。午後から事務所にて少し仕事を済ませた後に帰宅。

 今日は、六時から民族革新会議の山口申先生のご自宅のあるビルの屋上で、懇親のBBQがある。四時半に松本佳展君に迎えに来て頂き、深川へ。

 道路がことのほか空いていたので一時間ほどで到着。犬塚博英議長や、同志諸兄にご挨拶の後に屋上へ。曇り空の下で比較的涼しいのだが、来訪した同志の皆さんの熱気の方が凄かった。五十人以上もいたのだろうか、足の踏み場もないほどである。加えて、肉やモツが絶品で、酒は「伊佐美」「佐藤」や「十四代」などが飲み放題。気の置けない人たちとの酒席ほど楽しい事はない。

 私の席は、大行社の皆さんと、大熊、隠岐、松本の諸氏と一緒。國學院大學の大原康男先生も到着して、盛り上がる。結局、十一時過ぎまで飲んでいた。松本君に送って頂き帰宅。

P1000168※携帯でしたので、これ以上写せませんでした。


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二三日前の事よりも、四十年前のことを鮮明に思い出す。

2011-07-26 11:30:13 | インポート

七月二十二日(金)晴れ。

 妙に朝寒かった。夏掛け一枚では風邪をひきそうなので、慌ててジャージを着込んだ。ガバッと起きて、家族で朝食。夏休みだというのに、子供達は部活で愚妻は仕事に出かけ、一人で留守番。仕方がないので、事務所に行き真面目に仕事をした。

 夕方は歯医者。帰宅後は、下の子供を連れて東戸塚にあるダイエーにて買い物。といっても食材の仕入である。最近、しっかり食べるのは朝食のみで、昼は、どうしても我慢が出来ない時は、蕎麦かヨーグルト。夕食は、サラダ、トコロテン、冷奴といった感じである。もちろん酒は飲む。お陰様で、四月の半ばから、十二キロのダイエットに成功した。もちろん食事だけではなく、週に三回は、一時間半ほど歩く。年内にもう五キロほど落とすつもりでいる。

 自宅でなるべく深酒はやめようと思っているのだが、何かにかこつけて一杯、一杯、もう一杯とやってしまう。好きな映画、好きな本、好きな音楽、皆酒の肴に適しているからたまらない。最近テレビのCMでジミヘンドリックスの「紫の煙」が使われているのに刺激されて、事務所に置いてあるCDの中から、ジミヘンのアルバムを二枚とクリーム、ジャニスジョプリンと好きなJAZZのオムニバスのCDを十枚ほど持ってきて聴いている。そう言えば、ジミヘンもジャニスも二人とも二十七歳で亡くなっている。

 ジャニスの、サマータイムやボールとチェーンを聴いていた頃の横浜は良かった。目を瞑ると当時の本牧や南京街のお店が甦る。本格的なR&Bを聴いたのは南京街にあった「コルト45」だった。桜木町には、突然天上が稲妻のように光る「サンダーバード」という店があった。歳のせいか、二三日前の出来事よりも、四十年前のことを鮮明に思い出すことがある。


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日米開戦七十年の年に、なでしこが米国に勝った。

2011-07-23 10:20:20 | インポート

七月二十一日(木)曇り。

 ワールドカップでの、なでしこジャパンの優勝は、日本と日本人に感動と勇気を与えた。普段はサッカーなど見たこともなく、ハットトリックが、誰もがハッと驚く手品ぐらいの知識しかない私も、眠い目をこすってテレビで観戦していた。サッカーが単にボールを蹴るだけのものではなく、格闘技であるという認識を持った次第。

 帰国後に、マスコミ報道で彼女達の普段のサッカー環境を知るにつれ、つくづくたいしたものだと驚いている。心から敬意を表したい。

 私は、決勝戦がアメリカとの間に行なわれたことが感慨深かった。もちろんこんな私の感慨は独りよがりであり、彼女達にはまったく関係ないのだが、今年は、かつてわが国が命運を賭して戦った、あの大東亜戦争の開戦から七十年という節目の年となる。

 小さい彼女達が大柄なアメリカの選手に立ち向かう姿に、沖縄や太平洋の島々で米軍に向って行く日本兵のような印象を持ったし、あるいは、敵艦に体当たりをする特攻機の姿ともダブった。試合の流れも、リードされてから追いつき、逆転する。まさに日本人好みの展開であったことも、日本人の琴線に触れたのだろう。

 六月に、社友の人たちと沖縄へ戦跡慰霊のために訪れたこともあってか、なでしこたちの姿が、突撃する日本軍、あるいは敵艦めがけて突入する特攻機とダブったのかもしれない。もちろん、前述のように、これは私の勝手な感慨で、スポーツマンシップのもとに戦った彼女達に失礼は承知の上だ。

 敗れた米国の選手のコメントも、また感動するものが多かった。二度と戦争など起こしてはならないことは言うまでもないが、しかし、かつて国家のために殉じた方々をおろそかにしたり、忘れて良いはずは無い。靖国神社のみたま祭りが開催されているときに、ゴミみたいな民主党の閣僚は誰一人として訪れたものはいなかったそうだ。こんなゴミ共に震災の復興など出来る訳もない。

 土用とあって、我が家でもささやかに「うなぎ」を食した。もちろんスーパーの安いものだ。本当なら横浜の「わかな」にでも行こうかとも思ったが、ああいった店は、まだ子供には早いと思って、安いものにした。ウナギの良し悪しなど三十を過ぎなければ分からないものだ。


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