九月三日(土)曇り。
野田新内閣の顔ぶれが決まった。この国難とも言うべき非常時に、党内融和と言えば聞こえが良いが、昔の自民党のように派閥均衡型の内閣とは笑わせる。
特に、外交、防衛などは、民主党政権誕生以来、沖縄の基地問題でアメリカとのズレが修正されておらず、更に、わが国の領土である尖閣諸島への侵略を露骨にしている中国や竹島を巡る韓国との問題を、あんなド素人で大丈夫なのだろうか。まあ、こんなゴミみたいな連中に政権を渡したのも国民なのだから仕方がないか。このまま日本が衰退したとしても、その責任の半分は、選んだ国民にあることは言うまでもない。
私は、野田の「どじょう」よりも、野田岩の「うなぎ」の方が好きだ。どじょうは、やはり、「駒形」か「飯田屋」か「伊せ喜」がいい。
しかし、だからと言って自民党なら大丈夫かといえば、これまた駄目で、早いうちに政界再編を行なって、真の保守政党を作らなければ、というのが正直な気持ちだ。報道によれば、文部科学大臣になった中川正春という男は、典型的なパチンコ大臣で、パチンコに夢中になって、子供を車などに置き去りにして死亡させる、ということが社会問題になっているときに、パチンコ業界からの献金欲しさに「パチンコ屋に育児所を設ければ良い」と言ったとか。問題の本質さえ見えない、この程度の男が私利私欲のために大臣となる。残念ながら、日本は、亡国へと突き進んでいるようにしか思えない。
ただ幸いに、この混迷混濁の世にありながら、『日本』の最後の砦としての御皇室が、軽薄愚劣な宮内庁の役人どもに足を引きずられながらも、依然孤塁を堅持されている。もはやここに至っては、殉教の心情を深く籠もらせ、皇城守護の一兵士として阿修羅の如き生きざまを晒す以外、道はなかろうと肝をくくっている。
と野村先生は、かつて「友よ山河を亡ぼすなかれ」の中に書いた。私も、いまその思いを強くしている。
夜は、七時に蒲田の駅で、カメ&アコちゃん、松本佳展、小枝ちゃんたちと待ち合わせて、野村先生が、お気に入りだった「八幸」へ行く。相変わらず、オヤジさんとオカアサンは元気で、野村先生の話で盛り上がった。お店に蚊がいたので、皆で捉まえようとしていたら、「八幸」のオヤジが、「蜷川さん。蚊を中国語で何というか知ってる」と。もちろん知らないので、聞いたところ、「チースー(血吸う)」だって。オヤジに一本取られた。
※「八幸」の店内にある野村先生の「人誰もさすらいの道」の書。
ガァーっと食べて飲んで、次は「八幸」のある駅の反対側にある「日本再生酒場」に転戦。ここでも、ガァーっと飲んだ。
※「日本再生酒場」です。
駅がお隣の川崎の松本、小枝のお二人は解散。私達は、横浜に戻りサリーの店に再び転戦。しかし、店に行った記憶はあるが、ずっーと寝ていたらしい。十二時近くに自宅に戻ったらしい。