白雲去来

蜷川正大の日々是口実

日本人の魂を揺さぶる映画を見た。

2011-09-11 12:09:25 | インポート

九月十日(土)晴れ。

 目を覚ませば十時過ぎ。慌てて起きて、遅い朝食の後に、ペンキを塗ってきれいになった納戸の片づけをした。残暑が厳しく大汗をかいた。

 最近、茗荷がおいしくて仕方がない。以前は、自分で買ってきて食べたことはなかったが、愚妻の実家に帰ってから、義母が畑から取ってきて、キュウリと一緒に塩漬けにしたり、味噌をぬって田楽にした物や、ソーメンなどの薬味にして食べているうちに好きになった。

 今では、長ネギと一緒に常備している。一番好きな食べ方は、茗荷の甘酢漬け。すし屋の「ガリ」の甘酢に着けたものを、箸やすめにして食べている。大好きなカツオにも今では茗荷は欠かせない。季節感を感じる数少ないものだ。俗に「茗荷を食べると物忘れが酷くなる」と言われているが、これは根拠のない話。その根拠となった逸話とは。

 「茗荷」という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のような逸話があります。 釈迦の弟子の周梨槃特(スリバンドク)は熱心に修行をする人の好い人物でしたが、 物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまったそうです。そこで釈迦が首から名札を下げさせました。 彼の死後、墓から見慣れぬ草が生えてきました。生前自分の名を下げていた(荷物のように) ことにちなんで村人がこの草を「茗荷」と名づけた。という説があります。 この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が生まれました。

 ということが、パソコンにありました。

 終日、遅れている機関誌の原稿書き。夜八時には終えて、レンタルしたDVDで「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男」と親を殺された少女が保安官達と犯人を追い詰めて行くという「トゥルー・グリツト」の二作品を見た。どれもいい映画だったが、「太平洋の奇跡」には感激した。特に、最後の大場大尉が部下とともに下山し、投降する場面では不覚にも落涙してしまった。サイパンにはこれまで幾度となく行っているが、その度にバンザイクリフなどにある忠魂碑や慰霊碑に手を合わせてきた。腐れきった、ダレた今の政治家に見せたいものだ。

Photo ※日本人の魂を揺さぶる作品である。先人の労苦を偲び、感謝の誠を捧げよう。


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朋(とも)、遠方より来たり。

2011-09-11 10:41:40 | インポート

九月九日(金)晴れ。重陽。

 今日、九月九日は重陽、菊の節句である。奈良時代より宮中では観菊の宴が行なわれてきた。昔は、五節句の一つとして祝われたが、今では、庶民に一番縁のない節句となってしまった。ちなみに五節句とは、正月、三月三日の雛祭り、五月五日の端午、七月七日の七夕(「しちせき」と読む)、と今日の重陽である。

 その昔、中国では、登高といって、高い丘などに登り、野外で菊花酒を酌み、女は邪気を払うために茱萸(ぐみ)の花を挿したという。この登高の詩といえば王維の「九月九日山東の兄弟を憶う」が最も人口に膾炙されているのではないだろうか。

独在異郷為異客
毎逢佳節倍思親
遥知兄弟登高処
遍挿茱萸少一人

独り異郷に在って異客と為り
佳節に逢う毎に倍ます親を思う
遥かに知る兄弟高きに登る処
遍く茱萸を挿して一人を少くを

 午前中に、福岡は田川の奥田親宗君から電話が入り、東京に来ているので野村先生のお墓参りに行くという。では、帰りに横浜に寄ってもらい、お茶でもということになった。丁度良い、今日は重陽である。中華街で杜甫や王維、陶淵明などの詩聖にちなんで菊酒でもやろうということにした。

 三時過ぎに、奥田君らと「菜香」にて合流し、偶然にも大行社の奥村事務長と内川横浜支部長が所用で中華街に来ていたので、紹介がてらに同席して頂いた。奥田君とまず乾杯。ご尊父やご家族のことを伺えば皆、お元気とのこと。時局を肴に二時間ほど。

P1000187 ※奥田君と。

P1000190 ※左から、奥田君、蜷川、奥村事務長、内川横浜支部長と「菜香」の入り口にて。

 夜も、かねてから約束していた友人と待ち合わせて一献会。先ずは「サリーズバー」で友人と合流して、二軒転戦したのちに、サリーファミリーと再び合流して「ビートレ」というイタメシ屋で仕上げ。午前様となって帰宅。


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