白雲去来

蜷川正大の日々是口実

朋(とも)、遠方より来たり。

2011-09-11 10:41:40 | インポート

九月九日(金)晴れ。重陽。

 今日、九月九日は重陽、菊の節句である。奈良時代より宮中では観菊の宴が行なわれてきた。昔は、五節句の一つとして祝われたが、今では、庶民に一番縁のない節句となってしまった。ちなみに五節句とは、正月、三月三日の雛祭り、五月五日の端午、七月七日の七夕(「しちせき」と読む)、と今日の重陽である。

 その昔、中国では、登高といって、高い丘などに登り、野外で菊花酒を酌み、女は邪気を払うために茱萸(ぐみ)の花を挿したという。この登高の詩といえば王維の「九月九日山東の兄弟を憶う」が最も人口に膾炙されているのではないだろうか。

独在異郷為異客
毎逢佳節倍思親
遥知兄弟登高処
遍挿茱萸少一人

独り異郷に在って異客と為り
佳節に逢う毎に倍ます親を思う
遥かに知る兄弟高きに登る処
遍く茱萸を挿して一人を少くを

 午前中に、福岡は田川の奥田親宗君から電話が入り、東京に来ているので野村先生のお墓参りに行くという。では、帰りに横浜に寄ってもらい、お茶でもということになった。丁度良い、今日は重陽である。中華街で杜甫や王維、陶淵明などの詩聖にちなんで菊酒でもやろうということにした。

 三時過ぎに、奥田君らと「菜香」にて合流し、偶然にも大行社の奥村事務長と内川横浜支部長が所用で中華街に来ていたので、紹介がてらに同席して頂いた。奥田君とまず乾杯。ご尊父やご家族のことを伺えば皆、お元気とのこと。時局を肴に二時間ほど。

P1000187 ※奥田君と。

P1000190 ※左から、奥田君、蜷川、奥村事務長、内川横浜支部長と「菜香」の入り口にて。

 夜も、かねてから約束していた友人と待ち合わせて一献会。先ずは「サリーズバー」で友人と合流して、二軒転戦したのちに、サリーファミリーと再び合流して「ビートレ」というイタメシ屋で仕上げ。午前様となって帰宅。


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友が皆我よりも・・・。

2011-09-09 13:24:32 | インポート

九月八日(木)晴れ。

 吹く風が秋めいてきた。朝食後に一時間半ほど歩いた。途中、井土ヶ谷のファーストフード店で友人と会い、一時間ほど情報収集?。

 自宅に戻ると、昨日に続き、内田春雄氏が来訪。仕事がなくて近々、仙台の知人を頼って、ガレキ整理の仕事に行くらしい。たいしたものだ。私なんか、仕事がしたくとも誰も誘ってはくれない。まあ誘ってくれたとしても、何か出来るわけではないし、考えるだけ無駄か。今更、就職するのも潔くもないので、このまま浪人生活を貫く以外にない・・・。

 石川啄木ではないが、友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ。

 うちのカミサンは、花なんかよりも「オールド・パー」の方が良いというのに違いあるまい。

 お陰様で、金がなくとも酒と米と肴には不自由せずにいる。社友や機関誌の読者の皆さんのご支援の賜物と感謝しています。

 家飲みする時は、玉ネギのスライスにレタスやカイワレを入れたものにノンオイルのドレッシングをかけて食べたり、冷奴にポン酢、これ以外は、もう一品。今日は、事務所の近くの豆腐屋で売っている「もやし揚げ」を肴に一杯やった。といっても深酒はせずに、ほどほどにした。

 十月の九日(日)に、秋田で故阿部勉さんの十三回忌の法要が行なわれる。行かねばとは思っているが、不如意が続いているので、どうしたものかと迷っている。

 そんな訳で、今日も「黒霧島」を四杯飲んで寝ました。


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一献歌を知っていますか。

2011-09-08 09:23:45 | インポート

九月七日(水)晴れ。

 自宅を出ようとしたら、内田春雄氏から連絡があり、「先日、塗り残した所を今日やります」とのこと。ひとりで仕事をさせておいては申し訳ないので、私も、自宅のパソコンで仕事をした。

 午後になって、友人が来訪。内田氏と共にお茶。最近は、サイフォンで淹れるコーヒーが好きになって、三種類くらいの物を買っておいてある。私は、余り濃い目のコーヒーが駄目で、少し薄めにする。その方が沢山飲んでも体に良いような気がする。

 お中元に沖縄の友人から頂いた「テビチ」を煮てみた。パソコンでレシピを見ながら作ったが、これが中々大変で、何度も煮こぼししながら臭みをとって、最後は面倒なので「白だし」を使って味付けをした。柔らかくなり、食べられるようになるまでに五時間ほどかかった。次は、完成品を冷凍した物を送って貰おうと思った次第。

 夜になって、松本佳展君が来訪。以前に頼んでおいた、古い曲のダウンロードが出来て、CDに入れて来てくれた。それと簡単に音楽をダウンロード出来る(もちろん著作権の消滅した戦前の音源)ソフトを貰った。

 そういった歌や曲が好きな人たちが、アカペラで歌ったものだが、戦前の先輩達が、そういった歌を歌いながら、大陸に雄飛していった、壮大かつ哀愁のこもった曲ばかりである。例えば、「男の酒・一献歌」や「流浪の旅」「馬賊の唄」「星落秋風五丈原」といった歌である。私の機関誌で、昔の歌の特集をやってみようと思う。

 「大吼」の創刊三十周年記念号の編集と校正が全て終了した。今回は、かなり疲れた。自分へのご褒美に一杯やるかとも思ったが、深酒になってはいけないので、「黒霧島」を三杯だけ飲んで布団に入った。


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サリーの取材にお付き合い。

2011-09-07 17:45:04 | インポート

九月六日(火)晴れ。

 早く寝ても、シラフだと眠りが浅く、熟睡できない。典型的なアルコール依存症となっているようだ。のんびりと起きて夕方まで仕事。

 台風による大雨で、紀伊半島で大きな被害が出た。死者や行方不明になった人たちを合わせると百四人にもなるそうだ。中には、結納を控えた娘さんや、その母親までもが犠牲になったとニュースで知った。涙を禁じえない。

 最近の日本は、自然災害が続く。先の大震災の際には、多くの人たちが支援したが、今度の紀伊半島豪雨の被害者の方たちにも、国はもちろんの事、善意を届けたいものだ。九月の一日は防災の日として、関東地方を中心に大掛かりな訓練が行なわれたが、本来この日は「二百十日」といって立春から数えて二百十日目にあたり、台風が最も襲来する季節である。台風の大風で屋根が飛ばされないようにと、日本家屋には瓦が載せられてきたが、地震の際には、その瓦の重さが仇となる。台風と地震には、古来から日本人は悩まされ続けて来た。防ぎようがないから厄介である。そういった自然の驚異と共存しているという自覚が、もっと必要であることは、言うまでもない。

 夕方、開店前のサリーの店に顔を出す。朝日新聞の神奈川版に、作家の山崎洋子さんが、いわゆる60年代の横浜について書いているらしい。当時のヨコハマの流行や、その時代に青春を迎えた人たちからインタビューをしており、サリーと友達のジュンコちゃんの二人に白羽の矢が立ち、その取材が行なわれていた。そこになぜ私が、というと、その朝日新聞の記者氏を紹介したのが偶然にも私なのである。

 その記者氏は、以前他の取材で私の所に来て、その後、一緒にサリーの店に行ったことがある。彼が、サリーのことを覚えており、また山崎洋子さんもサリーの知り合いということで、ご挨拶に私が顔を出した次第。ちなみに、サリーの友達のジュンコちゃんとは、俳優の浅野忠信さんのお母さんです。

 そのジュンコちゃんから、以前からお願いしておいた浅野忠信さんが主演した「モンゴル」のDVDを頂いた。息子さんの主演映画なので、サンプル版かと思ったら、わざわざ新品のものを買って来て頂いたので、恐縮した。一時間ほどいてから皆さんにご挨拶してお暇した。

 夜は、社友の斉藤義一氏と焼き鳥屋の「だんらん亭」にて待ち合わせ。斎藤氏が、古い友人の石川氏を連れてきて、お互いに三十五年ぶりの再会となった。内装業をしているとのことだが、この不況で大分苦戦していると、話していた。それでも思い出話に花が咲き、楽しい酒席となった。十時前に帰宅し、「モンゴル」を見たが、これがとても良い映画だった。景色もきれいだし、壮大なスケールで感動した。

Img684 ※チンギスハーンの若き日、テムジン時代の話です。是非見て下さい。


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辻政信の「潜行三千里」が面白かった。

2011-09-07 12:14:39 | インポート

九月五日(月)曇り。

 午前中は、全く起きられなかった。昨日は大して飲んだつもりはないのに、布団から出たのが十一時近かった。朝食を取る気にもならずに、コーヒーメーカーで熱々のコーヒーを淹れて飲んだ。先日、購入した辻政信の「潜行三千里」を読み始めたら面白くて、夢中になってしまった。

 実は、この本は、もう三十年以上前に、一度読んだことがある。昭和二十五年に毎日新聞社から発行されたものを古書店で見つけて購入した。多分、事務所の本棚のどこかにあるかもしれない。その時は、これほど面白いという気がしなかったが、読書力も年月と共に成長するのだろう、こんなに夢中になるとは思わなかった。

 今日読んだものは、昨年に出版された「増補版」である。戦時中は、「作戦の神様」と言われ、ノモンハン事件やマレー作戦、ビルマ作戦に従事し、戦後はアジアに潜伏。中国国民党の顧問となって、その後帰国。帰国後は、国家議員となるが、ラオスにて消息を絶つ、という壮絶な人生を送った。

 解説をしている国際政治学者の福井雄三氏は、「戦後、日本の社会で賛否両論を含めて、この人ほどさまざまな評価にさらされた人物は珍しいであろう。『作戦の神様、軍事の天才、大東亜戦争の英雄』といった肯定論から、『愚劣、無責任、大ほら吹きのペテン師、おぞけをふるう巨悪』といった否定論に至るまで、彼には多くの毀誉褒貶がつきまとってきた」と書いているように、どれが辻政信の本質か分からないが、陸軍大学をトップクラスで卒業したエリートらしく、当時のタイやベトナム、そして国民党の分析など、とても勉強になった。最近読んだ本の中では、断然面白かった。

 三時から、医者に行き、夕食の買い物をして帰宅。夜は休肝日とした。

Img683 ※「毎日ワンズ」刊、1500+税。


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