白雲去来

蜷川正大の日々是口実

リメイク版は前作を超えられるか。

2015-08-03 18:24:06 | 日記
八月三日(月)晴れ。

負けた戦争のことを何も記念することはないと思うのだが、まあともかく世の中は「戦後七十年の記念」の話題で溢れている。先日も、終戦時の陛下の玉音放送の原板が再生され先帝陛下の玉声がテレビに流れた。聞いていて何か複雑な気持ちになった。また御前会議が行われた部屋も公開されたが、朽ち果てていて、こちらの方も再生保存した方が良いのではと思った次第。

また、今月、半藤一利の『日本の一番長い日・決定版』が公開される。私は、同じ半藤利一の原作ならば、一九六七年(昭和四十二年)に公開された東宝映を超えることはないだろうと思っている。この映画を知らない世代には受けるかもしれないが、どんなふうにリメイクされるか分からないが、恐らく前作を超えることはないと思う。また俳優の加東大介の従軍経験手記を映画にした、『南の島に雪が降る』は、昭和三十五年に映画化された。これも私が好きな作品だが、平成七年にリメイクされたものを見たが、お話にならなかった。若い役者さんのどの人も、帝国軍人には見えないのだ。日本の役者が旧軍人の役をやって様になったのは昭和四十年ぐらいまでか。

そのうち、田中絹代主演の名画『陸軍』もリメイクされるのかもしれない。この映画は、戦前に戦意高揚を目的にして作られたが、監督の木下恵介が、軍の意向に沿った物にしなかったために、軍からにらまれ終戦まで仕事が出来なかった、と言われている。その木下監督の『陸軍』前後の出来事を元に平成二十五年に製作されたのが『はじまりのみち』である。

夕方、何時ものスーパーに行ったら鶏が一羽売っていた。衝動買いをして自宅のずんどう鍋で煮ること二時間。中々美味しいものが出来た。薬味はネギをごま油と醤油で味付けして、トロトロの鶏と一緒に食べたが、結構美味しかった。

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アメリカから輸入された米なんか食べたくないなぁー。

2015-08-03 17:36:08 | 日記
八月二日(日)晴れ。

ヨコハマは、連日三十度を超える猛暑の日が続いている。子供の頃だったらこの暑さを嬉しく思ったものだが、この歳になると命にかかわる。昨日もちょっと炎天下で墓掃除をしたら、情けないことにめまいがして一瞬真っ暗になった。

日曜日、子供たちは出かけて行ったし、愚妻と一緒に恒例の仲良しさんたちとの「本牧のプール会」に参加した。プールと言っても、私はパラソルの下で、風に吹かれてのんびりとしてているだけだ。可笑しいことに、同世代のオヤジたちは、体が熱くなるとプールに入りに行く。ヘリにつかまって、話をしている様子は、何か温泉に入っているようだ。

地元のプールとあってか何人もの知り合いにあった。最近のプールに来て思うのは、入れ墨をしている一般の人たちが多い、と言うことだ。知り合いのヤクザの人たちは、一様に長そでのマリンスーツを着て、入れ墨をしているかどうかは分からないようにしている。私には、ヤクザの人たちの方が、よほど常識人に思えるのだが。取り締まってばかりでは、世の中良くならないよ。センセイたちよ。昔の人は言いました。水清ければ魚棲まず。

四時までいて、皆さんにご挨拶をしてプールを後にした。しかしまだ夕方、のんびりしようと思っても開いている店はない。そこで市営バスに乗って藤棚方面に行けば、「やまと」の開く時間と思い、バスに揺られる事四十五分、開店の十分前に到着。カメちゃんと共に、一番乗り。しばらく来ないうちに「鳥皮ポン酢」という新しいメニューが出来ていて、これがとても美味しい。愚妻は「みょうが」が苦手なので、抜いて貰ったが、私はおかわりをした。さすがに疲れたので一時間ほどでお暇した。

ニュースでは「TPP大筋合意を見送り」とか。まあ右手で握手をしながら、左手では殴り合いをしているようなものだから、中々スムースには行かないだろう。牛肉やワインの値段が下がって喜ぶ人もいれば、困る人もいる。様々な生産者や消費者の思惑が、選挙に結びつくのだから、交渉も大変だ。今更アメリカから輸入された米なんか食べたくないしなぁー。何たって愚妻の実家はコメ農家。日本人の主食の米ぐらいは日本のものを食べたいと思うのが普通の考えだと思うのだが。

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お墓参り。

2015-08-01 18:03:04 | 日記
八月一日(土)晴れ。

昨夜、家族に「八時には朝食を食べて、お墓参りに出かけるぞ」と言っておいたのに、体がだるくて結局、愚妻に起こされてしまった。一晩中扇風機を体に当てていると、だるくて起きられない。結局、朝食も取らずに出かけた。

大和トンネルまではお約束の渋滞。そこからスムーズに伊勢原着。途中の「JA伊勢原」にて仏花などを買い求めお寺へ。ご住職にご挨拶をしてから先生のお墓に詣でる。ご皇室の弥栄と一門の安泰をお願いした。その後、両親のお墓へ。わずか三十分程度のお墓参りなのに汗が吹き出し、クラクラする。

帰路は、登り車線にある海老名のSAのフードコートにて遅い朝食をとったが、暑さであまり食欲がなく、仕方がないので、ざるそばと竹輪のてんぷらを頼んだが、これが最悪だった。まあ高速道路のSAで美味いものなど期待はしていないが、ここのそばとてんぷらは、史上最低の代物だった。何しろ立ち食いそばの方が十倍も美味しいと思えるほどの味。竹輪の天ぷらなんかは、一体いつ揚げたものなのか、半分しかないのに固くてとても食えたものではなかった。まあこんな所に入った私の方が悪いと言えばそれまでなのだが。

帰りは、町田の出口で事故があり、延々渋滞が続いている。仕方がないので通り過ぎて川崎の手前で降りた。何か、今日はとても車が多いような気がする。八時半に家を出て、戻ってきたのは二時過ぎ。やれやれ、だった。

そう言えば、古い友人で産経新聞の沖縄支局長だった宮本雅史さんが産経新聞で「戦後七十年ー特攻」というテーマで記事を書いている。宮本さんは「回天」や「知覧」など特攻に関する著書もあり、戦後七十年の特集にふさわしい記事を書いている。十月の群青忌ではお会いしたいものだ。

八月は、お盆休みもあって、仕事を急がされる。頑張らなくては。と思いつつも、風呂上がりに、月と「黒霧島」とで三人になり、一杯、一杯、復一杯。

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カタカナの人たち。

2015-08-01 00:16:51 | 日記
七月尽(金)晴れ。

何と目を覚まして時計を見たら十時に近かった。これではカタギの衆とお天道様にスマン、スマスン、オスマンサンコンである。夏休みで、のんびりしている下の子供を起こして二人で昼食に近い朝食。

今日で今月も終わり。毎日、ボーッとしていて一日がアッと言う間に終わってしまう。今日も昼過ぎから、細々とした用事を済ませてから仕事と言うには余りにもくだらんことに少ない脳みそを駆使して体力を消耗した。夕方に子供を連れて晩酌の肴を求めて松原商店街からみなとみらいをはしごした。

七時半過ぎに家族全員が揃ってから食事。岐阜の細川先生より定例のメール。「飲んでますか」。飲まなくて良いような日常などあるわけもない。酔いだけが、空虚な日常を忘れさせてくれる特効薬である。酒に溺れる、酒で逃げる、酒で迷う・・・。考えてみれば、酒を覚えた十代の後半からそんな酒を飲んできた。使ってはいけない金で酒を飲み、粋がって手裏剣のように金を払い、残ったものと言えば「青楼薄倖の名」のみか。

ヨコハマのことを書いてみようと真剣に思っているのだが、段々記憶の中にある風景や出会いが色あせてしまい、友達やガールフレンドの名前をカタカナでしか思い出せない。その時々の人との思い出をセピア色にしたくはないのだが、歳と共に記憶が薄れて行くのは仕方がない。
十九の歳から関内で飲んでいるが、その年月だけ時々の人の思い出がある。たまに何十年も前の彼女と会うことがある。向こうは孫を連れていて、こちらは子供連れ。あっと思うのだが、目で語り合う一瞬でお互いに昔が甦るのだが、逢わずにいた分だけの距離感の中で言葉を失い、そして何もなかったように人ごみにまぎれて行く。

今月も今日で終わり。単に月が替わると言うよりも「過ぎて行く」という感がある。このまま腐って朽ちてゆく以外にないのだが、こんなことを思うのも酔いのせいかもしれない。

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