白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『激しき雪ー最後の国士・野村秋介』

2016-09-19 13:25:52 | 日記
九月十六日(金)雨のち曇り。

午前中に、山平重樹さんが幻冬舎から上梓した新刊本、『激しき雪ー最後の国士・野村秋介』(1800+税)の見本が届く。私が書いたものではないが、幻冬舎の担当者と会って打ち合わせや、表紙の写真の選定などをした分、思入れが強い。まして野村先生のことを書いた本である。仕事を放り出して、イッキに読んだ。私自身が忘れていたエピソードなども出てきて、とても感動した。群青忌が近い今月に先生の本が、幻冬舎から出版されると言うことに、何か不思議な縁を感じずにはいられない。

本の帯には、
「国家権力が最も恐れた男は、〈自らの掟〉に忠実だったがために自決した。平成五(一九九三)年十月二十日、朝日新聞東京本社役員応接室で、野村秋介は二丁拳銃の銃弾三発で心臓を貫き自決した。前年七月の参議院選挙期間中、週刊朝日が野村を代表とする政党・風の会を揶揄。風の会は選挙で二十二万票を集めたものの一人も当選者も出せずに終わっていた。なぜ自決したのか?十月二十日なのか?そもそも周囲の反対を押し切って参院選に出馬したのか?・・・・ 
彼の人生を決定づけたある特攻隊員との八歳での出会いから、偉大な明治男である父の影響、青春の横浜愚連隊時代、豊富な人脈との幅広い交遊、口舌の徒を嫌い自らの肉体をもって常に行動する〈肉体言語〉の思想、経団連事件・住友不動産会長宅襲撃事件・河野一郎建設相邸焼き打ち事件・フィリピン石川重弘救出事件の真相まで、最も近しい作家が書き尽くした、美学と情念で貫かれた民族派の巨星の劇的人生!」
発売は、二十三日で、全国の書店でお買い求め頂けましたなら幸いです。

亡くなられた人が、人々の心の中に単に記憶として残るのではなく、亡くなった人の魂あるいは生き方や言葉が次の時代を生きる人々の追憶となり、その人生を膨らませたりする。これを「死後生」という。

これは、私が兄事する犬塚博英氏が野村先生の「生誕祭」の折に寄せて頂いたものである。山平さんの『激しき雪ー最後の国士・野村秋介』が、多くの人たちに読まれることによって、「亡くなった人の魂あるいは生き方や言葉が次の時代を生きる人々の追憶となり、その人生を膨らませたりする」ことを願っています。

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何が、日本の政界最強、最高のリベラルだよ。

2016-09-17 08:52:56 | 日記
九月十五日(木)曇り。

民進党の代表選挙で、蓮舫氏が新代表に決定した。もし彼女の二重国籍問題が発覚しなかったならば、蓮舫氏が代表となった民進党は、自民党にとって、かなり手ごわい存在となったに違いあるまい。そう言った意味では、蓮舫氏の二重国籍問題を告発した八幡和郎先生の殊勲は甲かもしれない。

しかし、それはそれとして、蓮舫氏の政治家としての資質や思想性、政治目的をきちんと議論、批判せずして、何時までも二重国籍問題にこだわっているのは、どうかと思う。本人が「私は保守」と断言しているのだから、安保法制や沖縄の基地問題、改憲など、私はこう思う、と言うことを一日も早く表明して頂き、日本の政党の代表としてふさわしいか、どうかと言うことを議論してもらいたいものだ。

死んだ人に鞭打ちたくはないが、加藤紘一氏などに比べたならば、前原氏や野田氏の方がよほどましだと思うのだが。加藤紘一氏の葬儀において、山崎拓氏が、生前加藤氏と交わした憲法論議を披露していたが、「九条が日本の平和を守ってきた」などと言う哲学的な馬鹿を、「日本の政界最強、最高のリベラル」などと称したが、今や「リベラル」などと言う言葉は、アカにもなれず、かといって保守に行く勇気もない、時代遅れの低能政治家の代名詞であると認識した方が良い。自民党に所属していながら、わざわざ自分を、リベラルなどと称する意識の低さ。自民党の英語表記は、「 Liberal Democratic Party of Japan」である。英語表記の略称は、「LDP」。早い話が、自民党だってリベラルなんです。

加藤紘一氏が、政治家としてどんな人物だったかは、佐々淳行氏の『私を通り過ぎた政治家たち』(文藝春秋)を是非読んで頂きたい。

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星月夜。

2016-09-15 18:30:02 | 日記
九月十四日(水)曇り。

よく晴れた秋の夜に、月が無くても満天の星の光で、月夜のように明るい夜のことを「星月夜」(ホシヅクヨ)と言う。日本語は美しいなぁー。高浜虚子の句にも「われの星燃えておるなり星月夜」がある。といっても都会では、様々な人工的な光に邪魔されて、満天の星など見えるはずもない。一度、「降るような星空」と言うものを見てみたいものだ。

先日、古い知り合いに、日本酒に「白雲去来」という銘柄の物があると教えられて、どの程度の物かと、ネットで調べてみたら、何と四合瓶で十万円以上もする。どんな人が飲むのか知らないが、まったくナメた話ではないか。こんな酒を飲むならば、「黒霧島」や「伊佐美」で酔い痴れていた方が性に合う。もともと日本酒は、燗酒が好きなので、燗に向かない上等な酒は買ったことがない。たまにお付き合いで、「冷酒」を飲むことがあるが、正直言って「美味しすぎて」日本酒と言う感じがしない。まるでワインを飲んでいるような味わいである。酒好きな私としては、一升ぐらいはペロリだな。だから美味すぎる日本酒は要注意。

私の道の兄だった元楯の会の故阿部勉さんの辞世の歌?は、「われ死なば火にはくぶるな『栄川』の二級に浸して土に埋めよ」というもの。
ちなみに「栄川」は、福島の酒で「さかえがわ」ではなく「えいせん」と読む。秋田生まれの阿部さんがなぜ「栄川」か分からないが、その昔、福島に住んで『福島ジャーナル』という雑誌を作っていたことがあり、そのせいかもしれない。

焼酎だって、昔は庶民の、いや庶民以下の人たちの酒というイメージだったが、「幻の三M」(森伊蔵」「魔王」「村尾」)や、「佐藤」「農林二号」といった焼酎は、庶民には手が届かないものとなった。あーあ世も末じゃ。
 
一日事務所にて真面目に仕事。自宅に戻り、酔狂亭にて月下独酌。

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まだ秋刀魚ではなく、サンマ。

2016-09-14 12:38:39 | 日記
九月十三日(火)雨。

涼しくなったと思ったら雨か。ご近所さんから「すだち」をおすそ分けして頂いた。「すだち」と「かぼす」の違いは・・・。「すだち」は徳島の名産品で、一個四十gと小さく、ゴルフボールくらいの大きさ。清々しい香りで松茸などとも相性ぴったり。古くから徳島県の特産物として伝わる香酸かんきつで、九割以上が徳島県で生産されている。

「かぼす」は大分の名産品で、一個百から百五十gとテニスボールくらいの大きさ。緑色のうちに収穫し、上品な酸味と香りを楽しむ。大分県特産の香酸かんきつで、やはりこちらも九割以上が大分県で生産されている。まあクックパッドからの受け売りですが。私は、「すだち」はてっきり新宿が産地だと思っていました。「オレもお前ぇ~も新宿すだちー」ってね。

「そごう」の地下で、キレッキレの刺し身包丁のようなサンマが三匹で九八〇円。まあハシリだから仕方がない。頭を落として内臓を捨てて(私を始め子供たちも苦いのがニガテなので)塩をふって焼く。グリルからサンマを焼く煙がぼうぼう上がっている。脂がのっている証拠だ。秋刀魚皿に大根おろしを添えて、食するが、我が家の家族は皆秋刀魚をきれいに食べる。小さい頃から私が「食べ方が汚いと、お里が知れるよ」とうるさく言っていたおかげである。ダイコンおろしにかけた醤油とすだちと塩味とがサンマに染みて、絶妙な味を出す。ふふふとなる瞬間である。

最近は、台湾や中国の人たちが好んでサンマを食べるようになり、がさーっと乱獲してしまい。そのせいもあって日本の漁獲量が年々少なくなっているそうだ。自分たちが食べるが、お前たちは食べるな。などとは言えず、困ったものだ。きちんとしたルールを国際間で決めないと、そのうちサンマが幻の魚、などと言われるかもしれない。しかし、サンマが高いと言ったって、デパ地下でさえ、たかが二、三百円のこと。サンマだって体がかかってんだから、あんまり安くては申し訳ないと言うものだ。また漁師さんたちの苦労を考えたら、三百円が高い何て言わない方がいい。サンマの地位向上に向けて、戦おー。大げさか。

エリマキトカゲではなかった、村田さんでもなかった、蓮舫の二重国籍問題。「二重ではだめなんですか」。駄目なんだよ。

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伊勢原に彼岸花咲いて群青忌

2016-09-13 18:21:46 | 日記
九月二十二日(月)晴れ。

早いもので、あと一月すると群青忌である。三島先生の憂国忌は、それに携わる人たちの努力によって、歳時記に定着しつつある。いずれ野村先生のご命日でもある群青忌が一般のカレンダーなどに記載され、憂国忌と共に、日本人が国家の歴史や伝統を考える日になってほしいものだ。

群青忌も本来ならば、ご命日の十月二十日に慰霊祭や記念行事を開催したいのだが、遠方から出席して頂く方々、そして社友の皆さんの都合を考えたなら平日とは行かない。なるべく多くの人たちに参加して頂きたいので、ご命日の二十日前後の土曜日の開催と決めている。

現在デザイナーの芳賀里枝さんにハガキサイズの案内状を製作して頂いている。もう六パターンものデザインを送って頂いたが、一番気に入ったものにもう少し手を加えて貰い、今週には完成予定である。

群青忌の名付け親は、私が道の兄と慕った、元楯の会の阿部勉さんだ。先生が自決なされた平成五年の翌年から、毎年追悼集会を開催してきた。しかし平成十六年の十年祭から、考えることがあって、追悼集会は五年毎の開催にした。大がかりな追悼集会は平成の三十年。先生の没後二十五年となる年に行う予定である。

十年祭までは、街頭用のポスターも毎年制作したが、ポスター貼りは、その昔は現行犯のみの逮捕であったが、最近は、「被疑者不詳」という口実をつけられて、主催者にガサ入れをやられたり、罰金を取られることもある。現行犯でのポスター貼りの罰金もひと頃とは違って高額になり、そんなリスクを負ってまで街頭ポスターを作っても仕方がないと思い、製作を中止した。三十年祭には、もし予算があれば室内用のポスターを作ってみたいと思っている。

今年の群青忌・野村秋介追悼二十三年墓前祭は、下記要領で開催いたします。
   記
※前日より横浜にお泊りの方は、午前八時に東横イン第一に集合して、バスで伊勢原に向かいます。(蜷川同乗)

時・十月二十二日(土)午前十一時法要開始・正午終了。
場所・伊勢原・浄発願時・伊勢原市日向一八一六。
※小田急線・伊勢原駅に迎えのバスが待機しています。御前九時半~最終送迎十時半。
参加費・三千円・新刊(山平重樹著『激しき雪ー野村秋介伝』幻冬舎刊)配布いたします。

直会・午後一時半より、中華街均元楼・〇四五-651-9346 
※お寺から乗り合いバスが出ます。
会費・七千円。

お問い合わせ・二十一世紀書院090-6300-7075
※メールsnforever@proof.ocn.ne.jp 蜷川のフェイスブックからもコメントできます。
葉書きをご希望の方はご連絡下さい。

社友の方へ。前日、社友の方々と共に「前夜祭」を開催いたします。
時間は、大体午後六時頃より。会費は三千円です。

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