白雲去来

蜷川正大の日々是口実

酔狂亭で独酌、復独酌。

2016-09-12 11:46:49 | 日記
九月十一日(日)雨後曇り。

どうも歳のせいか、六時前には目が覚めてしまう。日曜日なので家族は起こさずに、雨の音を聞きながらリビングにて読書。辻政信の『潜行三千里』を読了する。良い酒と、良い本は同じで、イッキに飲んで、読んでしまうのが惜しくてチビリ、チビリとやる。飲み終えてしまった、読了してしまった後のむなしさ・・・。酒は、金さえあれば、同じ銘柄の物を味わえるが、本はそうもいかない。楽しいと思う本に巡り会うのは、本当に偶然の出来事でしかない。

「義務」として本を読まなくなってから久しい。若い頃は、娯楽や息抜きのためではなく、運動に関わっている以上、政治的、思想的、あるいは時局に関する本を「義務」として読んだ。たしなみとして読んでいるうちに、楽しみに変わることもある。と言うことを知ったのもその頃のことだ。本を読むのに、ある程度の教養も必要だが、一番大切なのは、読書をする体力をつけることだと思う。そのためには、つとめて大冊の本に挑戦することだ。五巻も十巻もあるような本を読了した時の達成感。こういった読書を二、三年続けると、驚くほど読書の理解力が高まる。そして乱読の時を二年ほど持つ。若い頃に四年ほど、こういった読書の修行の時を持つことは、とても大事な事であると、実感している。

北朝鮮の核実験に、韓国はもとより、日本もアメリカも右往左往している。何百回の「遺憾の意」を表明しても、国連で非難の決議をしても、北朝鮮は、痛くもかゆくもないだろう。カダフィー、チャウシェスク、フセイン。これらの独裁者が核を保有していたら、あのように無残に殺されたのであろうか。それを一番よく知っているのは、首領様本人であろう。迎撃ミサイルのPAC3なんて何十基用意したって、気休めにもならない。とどのつまりは、核報復攻撃を出来る国防体制を確立する以外にない。中国、北朝鮮、ロシアと言う三匹のシン・ゴジラが、我が国への上陸を虎視眈々と狙っていることの現実から目を背けてはいけない。今日も、大人しく「黒霧島」を相手に、酔狂亭で独酌>

そう言えば、「独酌」の詩があるのを思い出した。

権徳輿『独酌』

独酌復独酌  独酌 復独酌
満盞流霞色  満盞 流霞の色
身外皆虚名  身外 皆虚名
酒中有全徳  酒中 全徳有り
風清与月朗  風清と月朗
対此情何極  此に対す 情何ぞ極まらん

独り酌み 又 独り酌む
盃に満つる仙酒の色。
我身の外にあらはるる物は皆虚名のみ
酒を飲む中にこそ完全なる徳は有れ。
風清く月朗らかなる時
この酒に対へば面白きこと限りなし。
(訳・青木正兒)


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季節にも色がある。

2016-09-11 13:21:53 | 日記
九月十日(土)晴れ。

季節に色があることを初めて知った。楠本健吉の「歳時記」によれば、「秋は色でいえば白、白秋である。ちなみに春は青春、夏は赤、朱夏、冬は黒―玄冬である。秋は白だといったが、日本の詩歌の世界では、白が絶対優位で、上代歌謡や万葉集に登場する色彩は約三十種あるといわれているけれども、上代歌謡ではその三十九パーセントが白、万葉では四十一パーセント、古今では四十五パーセント、新古今では実に五十一パーセントとされている」。

そう言えば経済にも色があって、経営は赤字、懐は真っ青。出るのは青色吐息か・・・。我が家の話です。

一日、原稿に向かう。連載させて頂いている『実話ドキュメント』の第一六九回、題名は「愛宕山を読む」である。夕方に脱稿して入稿。その後は『燃えよ祖国』の編集。気がつけば五時過ぎ、すっ飛びで晩酌の肴を求めて保土ヶ谷駅にある焼き鳥のデリバリーのお店に行く。スーパーなどにも出店しているのだが、最近は何か味が変わったらしく、美味しくない。五年ほど前、まだ「ネギ皮」というメニューがあった頃は、普通の焼き鳥屋などと比べても遜色ないと思い、良く買いに行ったが、最近は全く駄目だ。今回も、どうかな?と言う思いを持って買ったが、やはり駄目だった。もう止そうと思う。近くのスーパーで買った「メジマグロ」も最低で、ついていない晩酌となった。やはり、労苦を惜しんでは駄目だ。人生の大事な一食を無駄にした。(大げさか)

広島カープが二十五年ぶりにセリーグ優勝。野球にほとんど興味のない私にとっては、失礼ながら、万歳と言う気持ちにはなれない。その昔好きだった巨人も今では、選手の名前さえ分からない。腰の調子もお尻の調子もほぼ良くなったし、来週から少しずつ歩こうかと思う。

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菊の節句。

2016-09-11 12:34:09 | 日記
九月九日(金)晴れ。重陽の節句。

昔の中国では、この日家族そろって郊外の丘など高い所へ登って、茱萸(カワハジカミ・山椒(さんしょう))の実のついた小枝を折って魔除けのために身につけ、菊酒(菊の花びらの入った酒)を飲んだり、ご馳走を食べたりして一年最後の行楽が行われた。この日のことを詠んだ漢詩は多いが、私の好きなのは王維の「九月九日山東の兄弟を憶う」。

九月九日憶山東兄弟 九月九日山東の兄弟を憶う 王維

独在異郷為異客   独り異郷に在りて異客為なり
毎逢佳節倍思親   佳節に逢う毎に倍々親を思う
遥知兄弟登高処   遥かに知る 兄弟の高きに登る処
遍挿茱萸少一人   遍く茱萸を挿せど一人の少なきを

芭蕉の句にも「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」がある。

今日の重陽の節句とは関係がないが、野村先生にも菊を詠んだ句があり、私の好きなものが多い。

大慈大悲 一輪の菊 咲にけり
嗚呼祖国 菊の白さを疑はぬ
たそがれて菊は弥勒の仄白さ
白菊の白が溢れて とどまらぬ
ドガの絵の踊り子白し 菊も壺も
君が愛でし大輪の菊 荘厳す
残菊を去るにも囚の歩幅かな

北朝鮮が、また核実験を行った。なぜこんな時に、あれほど「戦争法案反対」を声高に叫んだ、シールズとか言う連中は、北朝鮮の暴挙に声を上げないのか。これ一つ見ても彼ら、彼女らに、愛国心のカケラもないことが分かると言うものだ。反政府も反体制でも良い。しかし、愛国心の無い運動というものは、絶対に受け入れられるものではない。

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お千代さん蚊帳が広けりゃ入ろうか。

2016-09-11 12:00:49 | 日記
九月八日(木)曇り。

歳時記によれば、今日八日は、江戸中期の女流俳人の加賀の千代女の忌日である。千代女は元禄十六年、石川県の松任と言う所で、表具屋の娘として生まれた。美濃派の俳人、廬元坊の門下となったのは、彼女が十四歳の時。その時に詠んだ句が、「ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明けにけり」。千代女は二十四歳の時に夫と死別、その際に「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」の句は有名である。どこかの不届きな奴が、「お千代さん蚊帳が広けりゃ入ろうか」と茶化した。でもその気持ちは良く分かる。

昭和二十六年の今日は、サンフランシスコ講和会議に出席していた吉田茂全権は、対日講和条約に調印、同日、場所を移して日米安保条約の調印がなされた。この結果、日本は形式的に独立を回復することになった。しかし、この講和条約は全連合国との講和ではなく、日本がもっとも長期間戦って最大の被害を与えた中国は会議に招待されず、ソ連も調印を拒否し、四八か国とのあいだで結ばれたいわば片面講和というべきものだった。また安保条約は、独立後も米軍の駐留を引きつづき認めており、いわば「半独立」の状態ともいわれた。こうした米国の極東戦略の一環に組みこまれての出発は、その後外交上のさまざまな問題を生み出すことになった。

長い歴史の中では、単に一日と言っても、意義深い出来事が沢山ある。そんなことを思いながら、反省の酒を飲む。

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私の長い一日が終わった。

2016-09-08 15:55:05 | 日記
九月七日(水)晴れ。

昨日の続き。次に行ったのは、「血液をさらさらにする薬を飲んでいるようなので、どれくらいの時間で血が止まるのか確かめます」。看護婦さんに耳の後ろをプチッと刺されて、しばらく待っているのだが、痛くも、かゆくもないのだが、座っていると、オデキ?の部分が椅子に当たって痛くて仕方がない。やっと終わって、いよいよ肝心な部分の治療へ。

今度は男の先生でホッとする。看護婦に言われて診察台に横になり、ずるっとジャージを膝までおろされて、お尻を医者の前に出す。今日は、人様にお尻を晒すのは何と三回目である。「麻酔を打ってから、患部を切って、膿を出します。ちょっと痛いですが、我慢して下さい」。「先生。痛くしないで下さい」とは、口が裂けても言えない。何せ、日本男児である。患部を消毒した後に、麻酔の注射を三ヵ所に。うううううっあー!ぐぅぅぅぅうー。んぐぅー・・・。痛いのなんのって、歯を食いしばって耐えた。本当に麻酔なの。次は、手で押して膿を出しているのだろう、麻酔なんか全く効いていない感じである。再び、うううううっあー!ぐぅぅぅぅうー。んぐぅー・・・。「終わりました」。犬のように舌を出してハアハアと息をするのが精いっぱい。

処置が終わって、ベッドで休ましてくれるのかと思ったら、「診察室の前にある椅子に三十分ほど座っていて下さい。その方が早く傷口が塞がりますので」。そうか麻酔は、これのためもあったのか。麻酔が効いているようで、痛みは感じない。三十分ほどして、もう一度患部を診て貰い終了。私の一番長い日が終った。

支払いに行く途中の廊下に、立派な扁額が飾ってあった。何気なく見ると、その扁額は、病院の院長に贈ったもので、何と書いたのは、その昔にお世話になった、台湾の国民党の特務で、横浜華僑総会の陳福玻先生の書であった。お元気でいるのだろうか、懐かしさがこみあげてきて、しばらくその書の前に佇んでいた。

お陰様で、お尻の痛みはなくなったが、患部にガーゼをあてがっているので、煩わしいことこの上もない、夜は、「そごう」に寄って、カツオを買った。神様、病み上がりです。上等なものを与えて下さい。と、願ったら。ビンゴ。神は私を見捨てなかった。自分へのご褒美にと、「伊佐美」を開けた。

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