八月二十七日(土)曇り後雨。
子供の頃は、八月も後半になると、「あーあ夏が終わってしまう」と悲しくなったものだ。宿題もほとんど手を付けていないし、嫌な学校が始まるのと、寝坊が出来なくなるので、落ち込んだ。勉強が嫌いで、アホな子供だった私は、小学生の頃に、一度学校をサボったことがあった。当時、自転車屋に「貸自転車」と言うものがあって、一時間十円か二十円くらいで子供用の自転車を貸してくれた。
その自転車を借りて、一人で遊んでいたが、やはり一人では楽しくない。一緒に遊ぶ仲間がいてこそ、貸自転車も知らない場所への「探検」も楽しいのだと、この時初めて知った。以来、勉強は嫌いだったが、学校をサボることをしなくなった。小学校も、中学も高校も同じ場所にあるが、小学校は、私が通っていた当時の木造の校舎は建て替えられ、学校を出ると見えた根岸湾はすっかり埋め立てられて、背伸びをしても海は見えなくなった。
中学も、建て替えられて、校舎とグランドの位置が変わった。周辺の町並みにはあまり変化はないが、日清製菓の工場があった場所はマンションになった。その工場の欠けたビスケットを袋詰めした「特用ビスケット」が不味くて人気がなかった。学校の前を流れる運河の上流には、スカーフを染める工場があって、いつも川の水が赤や紺、緑に染まっていた。その汚い川も今では下水の処理が適切になり、嫌な匂いもしなくなった。
高校も、そのままだが、駅の名前が変わり、雨が降ると靴がドロドロになった砂利道もすっかり舗装され綺麗になっていた。海の匂いがして、裏にあった米軍の射撃場から聞こえた銃声など、今では、お伽噺のようだ。京浜急行に乗って、学校の前を通ると、その頃のことをフト思い出す。
随分前に、中学の同級生から、当時の学校の写真を頂いた。校庭でブラスバンドが練習をしているので、秋の運動会が近い頃かもしれない。私のカラオケの数少ないレパートリーに「高校三年生」がある。その歌を歌っていると、いつも頭に浮かぶのは、赤い夕陽が校舎を染める頃、グランドで汗を流しながら走っている自分の姿である。八月もあと四日か。宿題はないが、締め切りの原稿が二本。あーあ。
子供の頃は、八月も後半になると、「あーあ夏が終わってしまう」と悲しくなったものだ。宿題もほとんど手を付けていないし、嫌な学校が始まるのと、寝坊が出来なくなるので、落ち込んだ。勉強が嫌いで、アホな子供だった私は、小学生の頃に、一度学校をサボったことがあった。当時、自転車屋に「貸自転車」と言うものがあって、一時間十円か二十円くらいで子供用の自転車を貸してくれた。
その自転車を借りて、一人で遊んでいたが、やはり一人では楽しくない。一緒に遊ぶ仲間がいてこそ、貸自転車も知らない場所への「探検」も楽しいのだと、この時初めて知った。以来、勉強は嫌いだったが、学校をサボることをしなくなった。小学校も、中学も高校も同じ場所にあるが、小学校は、私が通っていた当時の木造の校舎は建て替えられ、学校を出ると見えた根岸湾はすっかり埋め立てられて、背伸びをしても海は見えなくなった。
中学も、建て替えられて、校舎とグランドの位置が変わった。周辺の町並みにはあまり変化はないが、日清製菓の工場があった場所はマンションになった。その工場の欠けたビスケットを袋詰めした「特用ビスケット」が不味くて人気がなかった。学校の前を流れる運河の上流には、スカーフを染める工場があって、いつも川の水が赤や紺、緑に染まっていた。その汚い川も今では下水の処理が適切になり、嫌な匂いもしなくなった。
高校も、そのままだが、駅の名前が変わり、雨が降ると靴がドロドロになった砂利道もすっかり舗装され綺麗になっていた。海の匂いがして、裏にあった米軍の射撃場から聞こえた銃声など、今では、お伽噺のようだ。京浜急行に乗って、学校の前を通ると、その頃のことをフト思い出す。
随分前に、中学の同級生から、当時の学校の写真を頂いた。校庭でブラスバンドが練習をしているので、秋の運動会が近い頃かもしれない。私のカラオケの数少ないレパートリーに「高校三年生」がある。その歌を歌っていると、いつも頭に浮かぶのは、赤い夕陽が校舎を染める頃、グランドで汗を流しながら走っている自分の姿である。八月もあと四日か。宿題はないが、締め切りの原稿が二本。あーあ。