白雲去来

蜷川正大の日々是口実

防災の日、天変うごくこの時に遭ひ。

2016-09-02 11:18:47 | 日記
九月一日(木)晴れ。

大正十二年の今日、関東地方一帯をマグユチュード七・九の大地震が襲った。家屋の倒壊や崖崩れがあちこちでおこったが、とくに火災の被害がひどかった。火事は一三四か所で発生し、しかも三日間燃えつづけたため、東京の大半が焼け野原になってしまった。被災家屋は五十万戸をこえ、被災人口は東京だけで百五十万人。東京の人口の七十五%にも達した。死傷者・行方不明者は十万人におよんだ。震源地は相模湾で、神奈川県の被害もひどく、横浜では開港以来の埋立地が壊滅した。圧死者がおびただしく、全市火の海になった。なかでも中華街では二千人の在留中国人が死んだ。

この関東大震災の折に、与謝野晶子が丹誠込めて続けてきた「新新訳源氏物語」の原稿が焼失してしまった。それも、安全を考えて、文化学院に保存していたことが逆となって、文化学院が壊滅状況になったため、焼失した。現在と違ってコピーなどの無い時代である。晶子はこの絶望的な出来事にめげずに、また一から「源氏物語」の訳稿を手がける。

もろもろのもの心より掻き消さる天変うごくこの時に遭ひ
天地崩(く)ゆ 生命を惜しむ心だに今しばしにて忘れはつべき
生命をばまたなく惜しと押しつけにわれも思へと地の揺らぐ時
大正の十二年秋一瞬に滅ぶる街を眼まのあたり見る
休みなく地震して秋の月明にあはれ燃ゆるか東京の街
燃え立ちし三方の火と心なるわがもの恐れ渦巻くと知る

当時の晶子が詠んだ歌である。今日の防災の日が来るたびに、晶子のこのエピソードを思い出す。

台風による災害が、東北や北海道に広がっている。あまり台風など来ることのない地方の人たちゆえ、日頃の心がけや、台風への備えなどにも慣れていなかったに違いあるまい。といっても災害はいつ何時、我が身に降りかかってくるか予測不能である。「地震に備えよ」とは分かっていても、何をどうしたら良いのか・・・。

事務所の帰りに、ツタヤで、デカプリオのアカデミー賞受賞作品の「レヴェナント」を借りた。のんびりと見たが、まあ個人的には、もう少し明るい映画の方が好きかな。星三つ。

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地物のタコは絶品である。

2016-09-01 13:44:11 | 日記
八月三十一日(水)晴れ。

久しぶりに良い天気である。朝起きた時に天気が良いだけで、何か嬉しくなる。全く安上がりな体に出来ているものだ。山平さんが新しく出す野村先生の本の出版社、幻冬舎の担当者の方とランドマークのスタバにて待ち合わせ。以前渡した、データーの解析度が悪く使えないと言うことで、事務所からポジを持って来て渡す。野村先生のポジフィルムは二千枚以上ある。本当は、スキャンしてデーター化しなければならないのだが、気の遠くなる作業なので、誰か専門にやってくれる人を探さなければならない。費用も膨大なものになるので、頭が痛い。

帰宅後に季刊『大吼』の原稿を脱稿。『週刊新潮』に掲載したものに加筆して送った。夜は、札幌の雪田顕正さんが、私を「タコ壺オーナー」にしてくれた時に、送って貰った「タコ」を解凍し、塩でもんでぬめりを取ってから茹でた。もう三匹目なのだが、軟らかくてとても美味しい。刺身はもとより、タコとねぎのあえ物、から揚げなどにして食した。

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ヨコハマのサンマー麺。

2016-09-01 13:24:53 | 日記
八月三十日(火)雨後曇り。

夜半に台風が関東地方を直撃するとのニュース。わが陋屋は風と雨とがひどいと雨漏りがするので要注意。心配だったが、ヨコハマはそれほどでもなかった。

午後から事務所へ。途中、曙町と言う所にある二十四時間営業の「一番」という中華屋で「サンマー麺」を食す。サンマー麺は、漢字では、「生碼麺、生馬麺、三碼麺」などと書く。ヨコハマののご当地ラーメンであり、当地で広く浸透している。名称の読みから「サンマが入っている」と誤解される事が多いが、全く関係がない。サンマー麺の由来については昭和五年に、中華街の聘珍樓の当時の料理長が考案した麺料理で、それを裏付けるように昭和初期の聘珍樓の御品書には既に「生碼麺」の掲載がある。因みに聘珍樓は中華街で一番古いお店で、明治の創業時代から同じ場所で営業している。

夜は、月に一度の町内の仲良しさんたちとの飲み会。場所は、自宅近くのラーメン屋さんの「たつ屋」。二時間ほどで解散。※写真は明治後期の聘珍樓

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極楽島のアホウドリ。

2016-09-01 12:51:42 | 日記
八月二十九日(月)曇り後雨。

北朝鮮が、潜水艦からミサイルを発射した。専門的なことは分からないが、大変な事らしい。本土が核攻撃を受けてもどこにいるか分からない潜水艦から報復攻撃が出来る。「寅さん」に出てくる柴又帝釈天の御前様ではないが「困った、困った」。わが国にとっても、大変な脅威なのに、マスコミは、何とか言う五人組の歌手?の解散騒動で揺れている。まさに極楽島のアホウドリ。

国連で非難決議をしようが、日本が抗議しようが、太っちょパパは、馬耳東風、馬の耳に念仏。どうすれば良いのか。日本も核ミサイルを積んだ原潜を持って対処する以外にない。大したことではないように思うのだが。

以前、山平重樹さんが書いた『人間ドキュメント野村秋介』(二十一世紀書院)を元にして、新しく書き下ろしをしたものが幻冬舎から九月の後半に出版される。月末に、山平さんと幻冬舎の担当さんと表紙の写真などの打ち合わせがある。今から楽しみである。夜は、おとなしく酔狂亭で独酌。

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納涼会へ。

2016-09-01 12:39:21 | 日記
八月二十八日(日)曇り。

千葉は君津と言う所にあるビアガーデンにて周本昌山さんが主宰する「SEグループ」の納涼会があり出席。参加する後輩の車に同乗させて頂き、アクアラインを通るが「シン・ゴジラ」のシーンが浮かんできて、少し怖くなった。しかし恙なく通過。海は「ウサギ」が飛んでいた。道路標識を見れば風速十メートルと出ていた。ナルホド。

生憎の天気だったが、会場にいる人のほとんどが知り合いなので、退屈せず、昼飲み。二時半過ぎに挨拶をして帰路に就く。一時間もしないで横浜に着いたが、家に誰もいないので、事務所に行き、しばらく仕事。気がつけば、寝ていた。あっという間に一日が終わった。

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