白雲去来

蜷川正大の日々是口実

健康茶「タピポ」を知っていますか。

2017-05-13 12:48:14 | 日記
五月九日(火)晴れ。

酒とズブズブの関係になって久しいが、こうして健康でいられるのも、以前のように暴飲暴食、特に飲んだ後の「〆のラーメン」など、飲食後に物を食べなくなったせいもある。また、私の盟友が、私の体を心配して、「タピポNFD」(かなり高い)という健康茶を毎月送って頂き、それを毎日、一リットルほど飲用していることによる。「タピポ」は、南米産の天然木タピポの内部樹皮を原料としたもの。

随分前だが、内視鏡検査で胃に癌らしき腫瘍が発見され、急遽、市大病院を紹介され、一週間後に入院となった。それを心配した友人が送ってくれたのが「タピボ」であった。最初は、気休め程度に飲んでいたのだが、入院前の内視鏡検査と、病理検査の結果、腫瘍とおぼしきものが、何と消えていたのだ。最初に内視鏡検査に行った病院に写真と結果を報告しに行ったのだが、本当に不思議がっていた。曰く、「漢方が全く効き目が無ければ、何百年も続く訳がない。蜷川さんに、その漢方が良かったのでしょう。稀にそう言うこともありますよ」。と。

その盟友に連れて行って貰っている「断食」もそうだ。全く効果なんてない。という医者もいれば、「身体に良い」という医者もいる。私のかかりつけの医者は、否定派だが、断食に行ったことを内緒にして検診に行くと「すっかり数値が安定している。頑張ったんだなぁー」と言われ、笑いそうになる。断食は、体はもちろん、精神衛生的に適していると思っている。

韓国で、寅さんが当選した。ゴリゴリの左翼である。日本で言えば、共産党の志位が大統領になったようなものだ。寅さんが、盧武鉉の若い衆だった頃に作ったのが、あの悪名高い、「親日反民族法」だ。かつての日本の統治時代に、朝鮮総督府や警官だったりした韓国人の子孫を探し出し、財産を没収した。早い話が、東京裁判のような事後法によってだ。これから何を言ってくるか分からないが、日本としては、「名誉ある無視」が一番良い。本当に日本やアメリカとの協力なしに、やっていけると思っているのだろうか。日本の寅さんも、最後にはフラれることを知った方がいい。

夜は、恒例の蜷川政経懇を弘明寺の「花笠」にて開催。終了後に、関内のHIROからサリーズバーに転戦。盟友の義一兄ぃの奥様に送って頂き帰宅。

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おーいカール、何処へ行ったぁー。

2017-05-13 08:31:32 | 日記
五月八日(月)晴れ。

ゴールデンウイークも終わり、巷は、何時もの日常が戻っている。といっても浪人の私としては、ゴールデンウィークも平日も皆同じ。世を拗ねるようなことはないが、テレビで見せられていた連休の喧騒には、いささかうんざりしていた。まあ、どうでもいい話ですが。

しかし、臨戦態勢にあると、連日、その動向が注視されていた、ニミッツ級の空母、カールおじさん、いやカールビンソンは何処に行ったの。どこにいるの。今でも虎視眈々と北朝鮮を窺っているの。しかしマスコミは無責任だなぁー。いわゆる北朝鮮ウオッチャーが、開戦の確率は高い。などと言っていたのに、カールビンソンよりも、今度は韓国の選挙かい。寅さん(我が家では、文在寅を親しみを込めて「寅さん」と呼んでいる)が大統領になるとのもっぱらの下馬評だが、また何か蒸し返して、グズグズ言ってくるのだろうなぁー。嫌だなぁー。

加えて、お隣の三十三歳とか言う、何の政治経験もない、お坊ちゃまに、日本やアメリカ、中国、ロシアといった大国が振り回されている。ある意味では大したものだ。こういったことが、繰り返されると、必ず日本も核武装論が高まり、現実的な物になるに違いあるまい。唯一の被爆国であるわが国こそ、核武装する権利があると思うのだが。

やや耄碌(もうろく)気味の私の一日の食。朝、ハムエッグスにキャベツの千切り添え、マルちゃんの小ワンタンスープ。自家製キュウリの糠漬け。昼、サンマの蒲焼(缶詰)、キュウリのおしんこ、小ライス。夜、レタスと大根の千切りサラダをシーザードレッシングにて。五ゾウか、ロッポウ程度のカツオ、鶏肉と新じゃがの煮物、こんにゃくの炒め物。メインは、もちろん「黒霧島」。今日は、一日編集室にこもりきり。

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18回目のサリーズバーのパーティー。

2017-05-12 18:26:12 | 日記
五月七日(日)晴れ。

今日は、サリーズバーの十八回目のパーティーが、中華街にある「ローズホテル」にて行われた。ローズホテルの大広間は、老若男女ではなかった、老々沢山、若い人少々の同世代の人が圧倒的で、約四百人が集まった。最初の頃は、知っている人がほとんどだが、四百人も来ると、知らない人がほとんどだ。

このパーティーに来ると、一緒に楽しんだ友人や、ゲストとして来たミュージシャンで、亡くなられた人たちの顔が浮かぶ。いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義さんも、二度ほど来た。ロイヤルパークの中華の総料理長だった鄭さん。ジョー山中さん。アルバムの中に、その人たちの笑顔が甦る。

私のテーブルは十一名、山平重樹先生、岐阜の怪人・細川先生も同席。隣の盟友のテーブルも皆、友人だ。神輿の関係者も多い。先日お世話になった天狗会の鈴木会長も来ていた。食事の後に、ダンスタイム。もちろん私は飲んでいるだけだが、若い頃のアイドルだった、ジャガースやシャープホークス、エミージャクソンといった人たちがステージに上がると、盛り上がる。何と言っても、会場に来ているほとんどの人が、その人たちと同じ時間を生きて来た。キャシー中島、勝野洋夫妻や大和田伸也さんたちも楽しそうに踊っている。サリーの兄弟分?の浅野忠信さんのママのジュンコさんも、髪を短くしてイケていた。常連の、元ゴールデンカップスのエディ潘、ミツキー吉野のお二人は、この日は、他のステージがあって欠席。

パーティーは楽しいが、ちょっと残念なのは、今日来ている人の中には、サリーズバーに一度も行ったことが無い人がかなりいることだ。やはり、サリーの店に行って、このパーティーに来るのが二倍楽しめると言うもの。

終了後は、ラッキーの店に行ったが、体調悪く一杯飲んただけで、店を後にした。お店に、知った方が、親子でいたが、挨拶できずに申し訳なし。

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匿名はお断り。

2017-05-12 17:56:26 | 日記
五月六日(土)晴れ。

珍しく体調が悪い。寒気がして、体の節々が痛い。風邪の前兆だろう。こういう時は、安静が一番。夕食後、酒を控えて、薬を飲んで七時には横になった。どこでも、いつでも、どれだけでも眠ることが出来るのが私の特技でもある。

このブログやフェイスブックに、様々なコメント、あるいは「ともだち」の申請をして頂くが、私は、基本的に匿名・ハンドルネームには応答しない。普通に考えて、何処の誰だか分からない人と「ともだち」になるのが考えられないのである。このブログにしても、どんなに良いコメントであっても、申し訳ないが応答しない。

随分前に、某週刊誌とトラブっている時に、匿名の人から、随分と嫌がらせのメールを貰った。別に痛くもかゆくもないが、煩わしいだけだ。民族派として、他人に抗議をしたり、文句を言ったりするときは、堂々と名乗ることができないような連中の人間性を疑ってしまう。

フェイスブックも、ハンドルネーム?での「ともだち」申請は、お断りしている。もちろん、私が誰だか把握している場合は別だ。例えば、私の所の社友に「虎の門浪人」と言う名前を使う人がいるが、この方とは長いお付き合いをさせて頂いており、当然、どなたか分かっている。仕事の性質上、本名ではまずいので、そういった名前を使用している。こういう場合は構わないが、要するに、くどいようだが、何処の誰か分からない人と、繋がりたくないだけだ。別に、気取っている訳でもなく、素直な感情です。そういう訳なので、宜しくお願い致します。

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何が、「第三項」だよ。

2017-05-10 13:20:10 | 日記
五月五日(金)晴れ。子供の日か。

八時に朝食も取らずに、家族で伊勢原へ。途中ほんの少し渋滞もあったが、一時間程度で淨発願寺に着。和尚さんにご挨拶をしてから、まず野村先生のお墓に詣でる。その後、両親のお墓へ。今月の十日は、母の十三回忌である。早いものだ。お墓をきれいに洗って、花を供して家族で手を合わせた。

上りの海老名のSAには、ロクな店もなく、いつも混んでいるので、当然パスして、すっ飛びで横浜に戻る。一度、自宅に帰ってから着替えて、馬車道の「勝烈庵」へ。この時期には「カキフライ」が終って残念ではあるが、カツとエビフライを頼んで昼食。私は、横浜では、勝烈庵以上にトンカツの美味しい店を知らない。東京だったら大田区は久が原の「自然坊」のヒレカツ。ちょっと高いが、絶品。しかし能書きを言うほど、トンカツを食べてはいない・・・。


五月三日の安倍総理の「改憲」に関するビデオメッセージを見てがっかりした。憲法の九条の第一項と二項はそのままにして、新たに三項を設けて自衛隊の存在を明記する。と言うもの。姑息な手段ではないか。自民党の憲法草案には、「国軍の創設」とあったはずだ。選挙目当て、公明党対策、と言われても仕方あるまい。国体を守るべき軍隊の存在をあいまいにし、自衛隊員に武士としての名誉を与えないで、何で、彼らに、有事の際に「死んでくれ」と言えるのか。

三島由紀夫は、市ヶ谷台の決起の際に示した「檄文」にこう書いた。

「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた」。

安倍総理と心ある自民党員に、この三島由紀夫、森田必勝両烈士が命を懸けて訴えたこの叫びに耳を傾けてほしいものだ。

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