白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ハモ、北の新地はおもいでばかり。

2017-08-25 18:45:31 | 日記
八月二十一日(月)晴れ。

朝方にアヂヂと目が覚めてしまった。一週間の曇りの後が、いきなり午前中に三十度越えかよ。慌ててクーラーを入れた。やっとの思いで起きて、朝食は、サバのみりん干し、竹輪のカレー味揚げ、シジミの味噌汁。昼は、インスタントの塩ラーメン。夜は、町内の仲良しさんに連れられて川崎の、そのまま「川崎」という焼肉屋で食事。ここがめちゃくちゃ美味しかった。まず、タン、ハラミ、ミノ、レバ、ホルモン。ミノもホルモンもとても柔らかく、わざわざ川崎まで食べにくる意味が分かった。

この時期に、鮨屋や料亭などに行くと、良く出されるのが鱧(ハモ)である。「梅肉添え」で出されるのが一般的だが、申し訳ないが、私はそれほど好きではない。その昔、北新地に馴染みの女性がいた時、「鱧の季節なので来ませんか」と連絡を頂いた。バブルの残り香が少し残る頃でもあり、私も独り身だったので、月に二三度ほど北新地に通った。(一線は超えていません)彼女の手前、「好きではない」とも言えず、美味しそうなそぶりをして食べた。

「ハモは鱧、魚偏に豊かと書くように、まことに用途の広い魚である。ハモ科に属し、ウナギや穴子のように細長い身体をしている。日本では瀬戸内海から九州近海でよくとれるので、関西地方でなじみ深い魚である。谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』の冒頭に、主人公の老人がハモを食べたくて銀座の浜作へ行く描写があり、上司小剣には『鱧の皮』というそのものズバリの作品がある。ハモは小骨が多く、その骨切りが特にむずかしい。カネザシー寸を二十四に切るのが定法で、中身をとった身を細かく皮ぎわまで切って、皮に刃がたたぬのがコツとされている。塩焼きよし、照焼きよし、千いによし、その皮をきざんでキュウリと酢もみにしてよし、バラズシに入れてよし、ハモほど美味な魚はない。大阪では「ハモ」「タコ」「ソーメン」といって、天神祭のご馳走には欠かすことのできぬ役割りをになっているのである。」(楠本憲吉「歳時記」)

ハモを見ると、つい都はるみの「大阪しぐれ」の一節、「北の新地はおもいでばかり、あめもよう」と口ずさんでしまう。銀座には、友人のお世話でたまに行くが、北新地にはもう二十年以上ご無沙汰である。

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BBQ

2017-08-25 18:34:13 | 日記
八月二十日(日)曇り。

一週間、ほとんど太陽を見なかった。ジメジメの日が続いた。今日は、永井港の浜辺で菊水国防連合のBBQがあり、大塚正美総裁らに迎えに来て頂き出席。ここの海に来るのは久しぶりのことである。すぐ近くに、良く利用した「嘉山」という民宿があって、サリーファミリーや弊社の社友会などに使わせて頂いた。料理がとても美味しく、好きな民宿だった。その民宿のすぐ前に、スーパー銭湯「ソレイユの丘」もある。

戦線復帰したばかりの田代厚会長や菊水国防連合の若い人たち、友好団体の人たちなどと歓談しながら二時過ぎまで。帰りも送って頂き帰宅。そのまま寝てしまい、七時に起きて迎い酒。

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電子辞書かと思ったら電算機。

2017-08-24 10:37:16 | 日記
八月十九日(土)晴れ後雷雨。

原稿を書いている時に、その昔は、「広辞苑」が手放せなかったが、今は、SEIKOの電子版の「広辞苑」。いわゆる「電子辞書」である。便利になったとつくづく思う。しかし、その電子辞書を使おうと思って、手にしたのが、CASIOの電算機・・・。こういったことが度々ある。ハッと思ってから、情けなくて笑いがこみあげてくる。

勘違いではないが、歳を感じるのが、「衣紋掛けを持って来い」、「ハンガーでしょ」と言われ家族に笑われる。その他、乳母車、写真機、ガソリンは燃料。テレビのリモコンはチャンネル。床屋は、散髪。その都度家族に笑われる。あーあ、夏だけれども「降る雪や昭和は遠くになりにけり」か。

朝食は、白菜ときくらげのうま煮、豊橋のさつま揚げ、とーふの味噌汁、ネギ一杯。昼は、塩おにぎり一個。夜は、久しぶりに松原商店街の「魚幸」へ。マグロを買ってから、すぐ前の肉屋で「牛タン」を仕入れ、もう一品は鮭のハラス。夜になって、雷と豪雨。青森から帰ってくる愚妻の飛行機が心配である。案の定、羽田から飛行機が来ないので、二時間近く遅れるとのこと。九時に帰る予定が、羽田に着いたのが、十一時過ぎ。結局自宅に戻った時には、日にちが変わっていた。

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惜別。

2017-08-24 10:23:00 | 日記
八月十八日(金)曇り。

過日、お世話になった方の訃報が届いた。そして今日は、その方の通夜である。松本佳展君と待ち合わせて葬儀場へ。今年の春に行われた「西郷南洲会」でお会いしたばかりだと言うのに、ショックだった。遺影には、元気なころのお姿があった。まだ五十九歳と言う若さにも驚いた。生前のご厚誼に感謝しつつ、ご焼香を済ませた。合掌。

朝食は、千葉産のサバの文化干し、船納豆、三陸のわかめの味噌汁。昼は、インスタントの塩ラーメン。夜は、子供たちを連れて、自宅の近くのお好み焼屋「鶴屋」へ。子供が小さい頃は、私がお好み焼きを焼く係りだったが、今では、子供が全てやってくれる。私は、飲みながら、皿にとってくれた、物を食べるだけである。嬉しいような、寂しいような。おまけに、「お父さん。あんまりソースを一杯かけると、塩分獲り過ぎでで体に良くないよ」だって。子供相手では、「もう一軒行こう」とも言えず、すごすごと家に帰りました。

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斎藤茂吉と鰻。

2017-08-24 09:43:49 | 日記
八月十七日(木)曇り後雨。

今週は、月曜日から今日まで、ずっーとグズグズ天気が続いている。かんかん照りの続く日もキツイが、こう雨ばかりだと、イジイジいじけてくる。勝手なものだ。ニュースでは日照不足で、青物野菜の値段が上がっているとのこと。テレビに出てコメントする、女の人が、「高くて困ってしまう」とか言っているが、たかが一時期、野菜の値段が百円程度上がったって、グスグス言ってんじゃねえよ。といつも思う。食べる人よりも作る農家の方が、もっと深刻だし、ルイビトンのパック持って、五十円、百円で泣くなよ、このババア(失礼)と、テレビに向かって毒づいてしまう。

朝食は抜いた。何故ならば、昼に友人と、東神奈川にある鰻屋「菊屋」に行くからである。十一時半にお店へ。「特上」が、サンキュツパ。重箱からはみ出るような鰻を堪能。今年二回目である。友人に感謝。夜は、帰郷している愚妻が送ってくれた「紅鮭のカマ」、蒸し鶏、豊橋のさつま揚げ、スーパーにあった「松茸」。何と五百九十円。切り身がきれいに並べてあったので、思わず買ってしまった。どうでしたかって。反省しきりです。お供は、鹿児島の「権現」という焼酎。

私の好きな『週刊文春』のコラム、平松洋子さんの「この味」の第二九五回が「茂吉の鰻」。

歌人斎藤茂吉は、無類の鰻好きだった。いや、好きという言葉から八ミ出してしまう、空前絶後の鰻アディクト(注・常用者、中毒者、熱中者、大のファンぶり)僕だってあたしだって大好物なんですよ鰻、と手を挙げるひとはたくさんおられようが、茂吉ほど鰻を食べに食べたひとをほかに知らない。その破格の行状を明るみに出すのが、『文献 茂吉と鰻』(林谷廣著昭和五十六年〃短歌新聞社刊行)だ。著者は、斎藤茂吉記念館の運営に尽力してきた人物で、斎藤茂吉研究会会長、アララギ会員。いったい茂吉が生涯にどれほど鰻を食べたか、日記や資料を駆使しながら、重箱のすみまでつつきにつついて調べ上げた一大労作である。茂吉の鰻好きはつとに有名ではあったけれど、ここまで微に入り細をうがった調べ物はなく、しかし、「文献」と一歩下がるところが奥ゆかしい。鰻が気になる者として、やっぱりこの本は読んでおかなくちや、と古書店で探して入手した一冊なのだった。

斉藤茂吉、シーウラヤマ。いや羨ましい。うなぎは、生意気な店で食べると、一万円もするから、庶民のものではなくなった。寅さんの映画にも出た駒形の「前川」。一度行ってみたいが、地元の盟友が、鰻がニガテと来ている。以前、その盟友とお世話になっている方に連れられて、南千住の「尾花」に連れて行って頂いたが、「う巻き」「白焼き」「いかだ」「うな重」を四人で食べた時のお会計を聞いて、ひぇー!蒲焼の匂いで済ます夏の宵。か。
 

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