白雲去来

蜷川正大の日々是口実

映画「ミッドウェイ」を見れずにいる。

2022-04-23 18:45:34 | 日記

4月14日(木)雨。

朝食は、塩鮭、新玉ねぎの味噌汁。昼は、「正麺」というラーメンにメンマ入り。夜は、餃子、牛丼。お供は「芋」。酔狂亭にて独酌。

午前中に近所の床屋へ。と言ってもほとんど切るような髪もないのだが、そこはエチケット。俳優の浅野忠信さんのお母さんのジュンコさんは、サリーの仲良しさんで、私もお知り合い。そのご子息が出ているのが「ミッドウェイ」。見たいような見たくないような・・・。なぜか、それは先の大戦のターニングポイントとなったのはその「ミッドウェイの海戦」。中部太平洋上のミッドウェイ島付近で行われた海戦で、同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ軍が迎え撃つ形で行われた。日本海軍空母機動部隊とアメリカの空母機動部隊および同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は投入した空母4隻とその艦載機約290機の全てを喪失した。この敗北で同作戦は中止された。アメリカ海軍も正規空母1隻と多数の航空機、200名の航空兵が犠牲になるという決して軽くない損害を受けた。

早い話が威勢の悪い「負け戦」の映画なのだ。だからどうしても見るのをためらってしまう。まあそのうちに、何か良いことがあった時に、機嫌良く見るようにしようと思っている。

 


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青嵐会のパンフレットを探したのだが。

2022-04-23 17:55:26 | 日記

4月13日(水)晴れ。

朝食は、粕漬、明太子、ジャガイモの味噌汁。昼は抜いた。夜は、上海焼きそば、ちくわの磯辺揚げ、鶏の手羽と大国の煮物。お供は「芋」。酔狂亭にて独酌。

良い天気なので、いつもとは違ったコースで一時間ほど歩いた。ほとんどが座りの仕事なので歩くことが少なくなった。コロナの前はそれでも週に四日は歩いていた。最近は、何でも歳のせいかコロナのせいにすれば言い訳が通るようになった。午後から事務所へ。かつて石原慎太郎さんや中川一郎さんなどの自民党のタカ派と言われた人たちが立ち上げた「青嵐会」の結成式?に行ったことがあった。その時のパンフレットがあったはずで、探して見たが見当たらない。必ずあるのだが、何処にしまったのか思い出せないのだ。一時間ほど探したが分からずあきらめて帰宅。


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ご初会ですか。お馴染みですか。

2022-04-23 16:57:10 | 日記

4月12日(火)晴れ。

朝食は、麻婆ナス、納豆、大根の味噌汁。昼は、おにぎりととろろ昆布のスープ。夜は、豚の角煮、生姜焼き、茹でキャベツのごま油和え。休肝日とした。

コロナのせいにしたくはないが、最近はほとんど紅灯の巷に行くことがなくなった。40代の頃ぐらいまでは紅い灯、青い灯のともる頃になると、何かソワソワしたものだが、もうそういう気分ではなくなった。不如意が続いていることもあるが、負け惜しみではなく、あまり楽しいと思えなくなったからかもしれない。歳のせいにすれば何でも辻褄が合う。従って馴染みの店も少なくなった。

初めての店に飛び込みで行く勇気もない。その昔、吉原へ行った客が初めてお女郎さんに逢うことを「初会」と言った。吉原では、遣りて婆さんや男の呼び込み(牛太郎)が、「ご初会ですか、お馴染みでかすか」と聞いたそうだ。吉原に初めて来る客は「初会」といい、二回目からは「裏を返す」。三回目からは「お馴染み」と言ったと中村喜春さんの『いきな言葉、野暮な言葉』にあった。


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気分だけでもソウル飯。

2022-04-21 12:45:56 | 日記

4月11日(月)曇り。

昨夜は、酔って8時前に寝たにもかかわらず、起きられなかった。最近は少し飲みすぎると酒が残り、ひどい淵通いとなる。のそのそ起きて、昼近くに近所の「鶴岡」という蕎麦屋にて「かつ丼セット」。帰宅後に、パソコン用の椅子でまた寝てしまった。

夜は、レトルトの「サムゲタン」、豚肉の角煮、茹でキャベツのごま油と塩昆布を和えたサラダ。休肝日とした。サムゲタンを食べると今から14年も前に家族で行った韓国旅行を思い出す。確か、南大門が放火焼失し、大きなパネルで覆われていた時だ。韓国に行くと必ず寄った明洞にある全州中央会館。ここで食べるのが石焼ビビンバ、海鮮チヂミにサムゲタン。日本語のメニューもあって、家族で行っても安心できるお店である。いつになったら海外に行けるのか分からないが、せめて気分だけでもソウル飯。※写真は、平成16(2004)年7月、ソウルにて。


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聘珍楼が閉店?

2022-04-21 11:47:49 | 日記

4月10日(日)晴れ。

本牧の「せんざん」という料理屋で、先日亡くなられたサリーファミリーのKさん(女性)の「偲ぶ会」があって出席。25名ほどの人たちが出席。皆さん顔なじみの人ばかり。二時間ほど在りし日のKさんの思い出を語りつつ弔いの酒。その後、関内駅近くの居酒屋で二次会。ヘロヘロになって帰宅。

中華街の老舗、名店の聘珍楼が5月15日をもって閉店するとニュースで知り驚いた。聘珍楼は創業1884(明治17)年で、現存する日本最古の中華料理店。本店は日本最大の中華街「横浜中華街」の「中華街大通り」に面している。また横浜名物の「サンマーメン」の発祥のお店としても知られている。サンマーメン、もやしのあんかけ麺だが、「元祖」を主張するお店が多いが、確か開港記念館で明治の開店当時の聘珍楼のメニューがあって、そこにサンマーメンがあることから、聘珍楼が元祖であることは間違いない。

均元楼、華勝楼に続いて聘珍楼が閉店する。中華街の風景が少しづつ変わって行く。


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