白雲去来

蜷川正大の日々是口実

保守とは、横丁の居酒屋を守ることである。

2023-07-22 12:42:37 | 日記

7月20日(木)曇り。

子供の頃だったら今日から夏休み。待ち遠しくて、この日が来るのがとても嬉しかった。何しろ一月以上も学校に行かなくて済むのだ。勉強嫌いの私にとっては、誰憚ることなく遊べる日が続くことが、本当に嬉しかった。当然宿題など全くやらない。そのせいで小学校の時は担任のTという先生に、ぶっ飛ばされ、廊下に立たされたが、楽しかった夏休みに比べたら、そんなことは何ともなかった。それから半世紀以上が過ぎた今では、この夏の暑さが恐ろしい。耐え難くなった。

そんなことを考えながら、食欲もあまりないので、朝食は、ネギとミョウガをたっぷり刻んで入れた「冷やしうどん」。夜は、以前から気になっていた居酒屋に愚妻と共に訪れた。呑兵衛の第六感と言うものは大したもので、いいお店だった。夫婦で経営しているお店で、まず日本酒や焼酎の品ぞろえが凄い。そして料理が丁寧で、かつ美味しい。何で今まで知らなかったのかと、地団駄10回。明日の予約をして帰った。酒とズブズブの関係となって久しいが、こういったお店を知ることが何よりである。保守とは、横丁の居酒屋を守ることである。あれ、蕎麦屋だったか。


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野村秋介、松崎明、両氏の接点は「俳句」にあった。

2023-07-20 13:57:27 | 日記

7月16日(日)晴れ。

詳しい年月日は失念してしまったが、随分前の話。ある時に、会社に「松崎というものですが、野村さんの句集『銀河蒼茫』を10冊ばかり欲しいのですが」という電話が入った。巷の俳句の会から時折そういった連絡を頂くことがあるのでも、それほど珍しいという事ではなかったが、依頼主の名前を聞いて、アレ、どこかで聞いたことがあるなぁー、と思った。本の送り先は「国際労働総研」の事務所。私は、「失礼ですが、松崎さんってあのJR労組の方ですか」と聞いたら「ハイそうです。若い頃から俳句に興味があり、それで野村さんの句集を読みたくなりまして、電話しました」。ぶったまげたが、元革丸派の副議長、JRの東労組のトップだった、いわば私たちと全く正反対の立場の方からの注文に、いささか戸惑ったが、それはそれとして本をお送りした。

それからしばらくして松崎氏の訃報を知り、編集の方から『われらのインター』という冊子が送られて来た。編集長氏の丁寧な手紙にも感激したが、もっと驚いたのが、その第17号に「銀河蒼茫・野村秋介獄中句集にふれて」という松崎氏の文章が掲載されていたことだ。その連載は6回続き、連載の最後は「連載の一区切りにあたって」で終わっている。松崎氏の文章の一部を紹介してみたい。

「冬」から「秋」まで『銀河蒼茫』を紹介してきました。経験も知識も浅い私にとって、小林一茶よりも種田山頭火よりも、野村秋介烈士の句は感動的であった。軽薄な私にとって「経団連」に押し込み、事件になった「右翼」。『朝日新聞』社長室で「正しきを説き」、社長と、子息の眼前で自らの肉体に三発の銃弾を撃ち込み、断固たる自己主張を貰いた「右翼」。その程度の浅はかな認識しかもっていなかった。左翼として生き、正義を貫いてきたつもりの私の思い上がりを叩きのめすに充分の価値を持つもの。そして野村秋介氏にアプローチした。その直接の契機を与えてくれたのが『銀河蒼茫』である。(『われらのインター』より)

「浅はかな認識」は私も一緒で、革丸派、中核派、共産党や新左翼各セクトの違いなど判ろうとしたこともなく、今でもほとんど分からず単に「左翼」として一括りにして来た。若い頃と違って、人との付き合いに思想の違い、右と左の違いなどに興味もなくなった。松崎氏は野村先生の一つ年下の方。機会があれば墓参に行きたいと思っている。昨日の15日は、昭和38年に野村先生が河野一郎邸を焼き打ちしてから満60年という日だった。松崎氏と野村先生、今頃、あの世で句会などやっておられるだろうか。


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みたま祭りへ。

2023-07-17 19:05:34 | 日記

7月12日(水)晴れ。靖国神社、。みたま祭り。

朝食は、冷やしたぬきうどん、冷食の焼きおにぎり1個。表に出でたらあまりの暑さでクラッと来た。二時過ぎに、背広にネクタイを締めて靖国神社に向かう。私が役員の末席を汚している民族革新会議が毎年行っている「みたま祭り」での昇殿参拝に参加するためである。東京駅から地下鉄で九段下まで行き、そこから歩いてと思ったが、何しろこの猛暑の中で、歩くのかと考えたら、さすがに萎えてタクシーで向かった。運が悪いのか、私の前の人のは新しいタクシーで、私に回って来たのは旧式の車でクーラーも余り効かずに、ガッカリ。

4時に、民族革新会議が奉納した提灯の前に集合。全員で記念写真を撮ってから、社務所に向かい、4時半から揃って昇殿参拝。最後に黙祷。私は、靖国神社に来ると、神風特攻隊のことを脳裏に浮かべて黙とうをする。当然ながら、映像でしか知らないが、突入寸前に艦砲射撃で撃ち落とされ、くるくると回りながら海に落ちて行く映像をいつも思い出す。群青忌で流す映像にある有名なシーンである。そして、野村先生の「天の怒りか、地の声か」の中に書かれている言葉、「ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」。を反芻する。

終了後に、民族革新会議の事務所に寄り、一時間ほど会合。終了後に、近くのお店で直会。もう一軒転戦してから帰宅。


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回転しない、回転すし。

2023-07-14 13:49:31 | 日記

7月10日(月)晴れ。

しかし毎日、異常に暑い。子供の頃はクーラーなど家になく、窓を開け放して寝て、唯一涼を取るものは扇風機だけだった。それでも七月の前半に30度を超える暑さなどなかったのではないだろうか。小、中学生くらいまでは夏が来るのが待ち遠しく、そして嬉しかった。京浜急行に乗って20分も行けば、海に行けた。一番近い海は、富岡海岸の海水浴場で、その先は、金沢文庫に八景に海水浴場があり、おにぎりを持って毎日のように出かけた。富岡の次の駅が八津坂(現在の能見台)に横浜高校があり、私が入学したのが昭和40年。まだ海があった。本牧の三渓園の下は海で、高度成長時代のことで随分と汚かったが、何度か泳ぎに行ったことがある。今では、富岡海岸も本牧の海も埋め立てられて、そこが海だったことを知る人も少なくなった。

自宅の近くに、チェーン店の回転すしのお店が出来た。愚妻と、夜は嫌だが、ランチぐらいはと出かけた。初体験である。「回転すし」と言うから、色々な寿司が次々に回っていて、そこから好きなものを取るのかと思ったら、タッチパネルでオーダーすると、私たちの席のすぐ横に、スーっと皿に乗った寿司が出てきて止まり、それを取る。空になった皿を置くと、何とロボットが回収に来たのには、ぶったまげた。寿司のしゃりの大きさも皆一定で、多分機械で握って、後はネタを乗せるだけなんだろうなと思った次第。寿司の良し悪しよりも、設備投資に金がかかっているんだろうなぁ―、と感心した。後学のために一度は、いや一度で良いかな、と言うのが正直な感想です。※写真は、中学二年の夏、かつての富岡海水浴場にて。後列、左から2人目が私です。


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二時間もかからずに読了した本。

2023-07-13 15:19:35 | 日記

7月5日(水)曇り。

予約していた癌検診。二年半ぶりの胃カメラである。八時半に病院に行き、九時から検査。麻酔を打ったためか、すぐに寝てしまい、胃カメラを入れた時の記憶はあるが、いつ終わったかもわからずに「終わりましたよ」の看護士の声で目が覚めた。過日の大腸の検査の時も同じで、検査の途中は寝ていて全く記憶がなかった。麻酔が完全に切れるまで病院で一時間ほど寝かされてから、問診。お陰様で、セーフだった。自宅に戻り昼食は、「のり弁」。夜は、しゃぶしゃぶ、カツオの刺身。胃カメラの後なので、恐る恐る350ミリの缶ビールを2本のみ。

そういえば、山平重樹さんの新刊『力道山を刺した男・村田勝志ー「力道山刺傷事件」を背負った父と娘の激闘譜』(かや書房¥1980)を買った。私は、日本青年社関係の宴席で、本の主人公の村田勝志氏を何度かお見掛けしたことがある。私ごときが、言葉を交わすような立場ではないので、「お会いした」というよりも、「お見掛けした」という程度である。「ああこの方が・・・」と思ったことを覚えている。その事件があった昭和38年は私が中学一年生の時。事件のことは知らなかったが、力道山が亡くなった時のことは大きく報道されたので覚えている。事件の現場となったニュー・ラテン・クォターへは野村先生のお供で、一度だけ行ったことがある。当時は、お世話になっていた廣済堂の櫻井義晃会長がオーナーと言うことのご縁だった。

文中に出てくる人たちも、何人かは親しくさせて頂いた方もいて、その方たちのお元気な頃を思い出しながら、あっという間に読了してしまった。恐らく二時間もかからなかったと思う。一時間千円の本だったが、久しぶりに没頭した。以前、山平さんが出した『昭和を紡いだ東洋一のナイトクラブ・実録赤坂「ニューラテンクォーター」物語』と併せて読むことをお勧めします。

 


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