「本州の北端に辿り着き、その先に在る北の大地が見えているに津軽海峡と言う自然の大河が行く手を阻む」この文章の先には様々な物語が繋がって行くのでしょう。
歌謡曲や小説などにも津軽海峡は絶好のロケーションとなります。
写真は今日の昼に、北海道北斗市のフェリーターミナルから撮ったモニュメントの中の函館山です。この函館山の向こうには津軽海峡を挟んで青森県下北半島があります。有名な大間マグロや戸井マグロなどの漁場ともなっています。
昭和29年9月26日、この函館湾を出港した青函連絡船の洞爺丸が台風15号で沈没遭難し1000名以上の犠牲者を出しました。この洞爺丸の大惨事が青函トンネル実現の動機になったと言います。それより9年前の昭和20年には、軍事要塞となっていた函館山が、湾上に浮かぶが船舶とともに米軍攻撃で完全破壊され、悲劇の函館湾の一面もあります。
北海道側から本州の山々を望む私達道民は、津軽海峡の向こうに本州ドリームが広がっていると思っておりました。私自身も昭和42年4月に、仲間数名とともにこの津軽海峡を連絡船で渡り、夜行列車で東京に行き今の福地建装を創業しています。
この海峡を行く人、来る人それぞれに数多の人生があり、その人生が海峡を行き交っているのでしょうか。今は青函トンネルで天気に関係なく海峡を行き来する事が出来、数年後には新幹線がここ北斗市まで開通します。
しかし、何か人生の幅が狭まったような気がするのですが…
津軽海峡物語りは、トンネルでも飛行機でもなく、ドラの音を残して岸壁を離れて行く連絡船で渡ってこそ、成り立つものように感じるのは私だけでないように思います。
本州は雨天の地域が多いようですが、穏やかで春めいた今日の北斗市でした。
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昭和29年9月26日、この函館湾を出港した青函連絡船の洞爺丸が台風15号で沈没遭難し1000名以上の犠牲者を出しました。この洞爺丸の大惨事が青函トンネル実現の動機になったと言います。それより9年前の昭和20年には、軍事要塞となっていた函館山が、湾上に浮かぶが船舶とともに米軍攻撃で完全破壊され、悲劇の函館湾の一面もあります。
北海道側から本州の山々を望む私達道民は、津軽海峡の向こうに本州ドリームが広がっていると思っておりました。私自身も昭和42年4月に、仲間数名とともにこの津軽海峡を連絡船で渡り、夜行列車で東京に行き今の福地建装を創業しています。
この海峡を行く人、来る人それぞれに数多の人生があり、その人生が海峡を行き交っているのでしょうか。今は青函トンネルで天気に関係なく海峡を行き来する事が出来、数年後には新幹線がここ北斗市まで開通します。
しかし、何か人生の幅が狭まったような気がするのですが…
津軽海峡物語りは、トンネルでも飛行機でもなく、ドラの音を残して岸壁を離れて行く連絡船で渡ってこそ、成り立つものように感じるのは私だけでないように思います。
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