豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

今があるための過去…北斗市

2016-12-12 17:21:22 | ファース本部

私は、15歳で上磯中学校を卒業してから、もっとも日当が高く、無料で飯の食える飯場(現場宿舎)暮らしの鉄骨トビ職となりました。
19歳の時には、日当から物件ごとに仕事を請け負うようになり、そのトビ職の師匠の強い勧めにより、東京に出て、鉄骨工事の下請けで独立したのが21歳の時でした。

昭和42年、北海道から津軽海峡を渡る青函連絡船で4時間、青森から9時間の旅です。
首都でアパートを借りるにしても鉄骨トビ職と聞いただけで入居を断られてしまいました。
それでも江戸川を渡った市川市本八幡駅近くに、相当に古く、空き部屋の多かった4畳半一間の4間続きのアパートを借りることが出来、4人のトビ仲間を呼び寄せます。

私の鉄骨トビ職の師匠は、東京タワー建造に携わったのですが、独立するなら東京へと拘ったのには、下請けの仕事なら幾らでも貰えるとの都市事情を解っていたからのようです。
しかし仕事をくれる元請けを教えてくれた訳でもなく、翌日から元請け探しに奔走を。
電話帳で鉄骨会社を調べ、飛び込みで下請け仕事の有無を訪ね歩きました。

そんなに苦労することもなくも下請け仕事をくれる鉄骨会社に行き着きます。
最初の仕事は、100坪くらいの建物の骨組みを組み上げる仕事ですが、当時で組み立て終了の月末に組み立て請負金15万円を貰えます。

通常では1週間の工程だそうですが3日間で完了させ、次々と仕事を回して貰うことになり、その1カ月で4現場をこなすことが出来ました。
鉄骨だけでなく木造建築も手掛けるようになり、東京での10年間の歳月が流れました。

そのうち自分の感性や想いが反映されない下請け仕事から、元請けになるため、思い切って郷里の上磯町(現北斗市)に本社を移して現在にいたります。
今日は今年最後の役員会でしたが、扇常務が掲示した過去の画像を見せてくれました。
過去を知る事で、現在があり、明日の事業の在り方を見出す事が出来そうです。

「家物語・ファースの家」12年前から使用しているキャッチフレーズの看板写真です。
家に歴史あり、人にも、企業にも、地域にも歴史がある……

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