夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

お呼ばれ

2009年05月16日 18時21分07秒 |  多摩川散歩


今日は風車さんのお宅へお昼のお呼ばれでした。
テーブルはベランダにしつらえてありました。
風車さんは岬でもよくベランダで食べてらっしゃるから、彼には普通なのでしょうね。



今日のお呼ばれ、とても期待していたんです。



だって、風車さんのブログを見ると、ラタトゥーユ(それも普通のやつと、ズッキーニの代わりにきゅうりを使ったやつなんかとか) 御節とか、出汁のとり方、フロマージュブラン、チキンカレー(なんて野蛮な!)なんてものが書かれていて、風車さんによるとレシピを検索してこられる方がいつも上位にいるんだとか、、、 きっと料理がお上手なのだろうと思っておりましたので、、、、

でも、まあ、なんというか、、、、何も味をつけていない、、、お米の粒に、、、
人参の皮?



周りはお花でロマンティックにしつらえてはありましたけど、、、、、
なんでしょうね~
手抜きなのかな~
怒!


鴎荘  いすみ市岬町日在  森鴎外 

2009年05月16日 17時05分30秒 |  岬な日々


昨日の日記では、森光子の放浪記がちょうど上演2000回ということで、その大記録をご紹介しながら、JR外房線三門駅が林芙美子の放浪記に出てくることをご紹介しています。

三門の駅はいすみ市岬町日在というところにありますが、放浪記の主人公(林芙美子)がこの駅から海岸の方に歩いていったとすれば、途中で森鴎外の別荘の前を通ったかもしれません。

鴎外の別荘は夷隅川を隔てて砂浜があり、その先は岬の海が広がっていたところにありました。別荘は建て替えられていますけど、まだあります。夷隅川はその当時よりも北側に流れを変えていて、当時の夷隅川は今はラグーンとなっています。
周りの家が建て込んできたかもしれませんし、道路も国道を横切るところなどの一部は変わったかもしれませんけど、鴎外が田舎の生活を楽しみ、林芙美子がとぼとぼと歩いていった道は当時とそれほど変わっていないかもしれません。

海から3キロほど離れた私の家でも風が強いときにはかなり強い波の音がします。
鴎外の別荘は、ほとんど海傍といってもいいところ、凪いでいるときでも潮騒の音に囲まれていたのでしょうね。
鴎外は文学者、文筆家として名を残していますけど、軍医のトップとして、医学者として大きな活躍をし、国立博物館の館長なども歴任した、ほんとうに多忙な人だったのですね。
いすみの海がそのエネルギーの補充になったのかと思うと、その力に呼び寄せられていすみに終の棲家を決めた私としては不思議な縁を感じてしまいます。


鴎外の息子さん(類さん)が晩年をこの別荘で過ごされています。

なんかの企画で鴎外の娘さんがお話くださったけど、、、、
かなりお年を召していらっしゃったけど、もし森茉莉さんだったのなら当然ですよね。
茉莉さんが亡くなられたのは1987年。85歳でした。亡くなられた年にお話をうかがったとしても、ちょうど20年前。あるいはそれ以前のことになりますから。お話はもううつろになりましたけど、鴎外やその子供たちの話だったと記憶しています。


ところで、森茉莉さんもそうですけど、鴎外の子供とその孫達は全員ヨーロッパ風の名前を持っていらっしゃることはよく知られていますよね。
於菟(オット;オットー) 不律(フリツ;フリッツ) 類(ルイ)
茉莉(マリ) 杏奴(アンヌ)

孫達もまた
真章(マクス;マックス) 富(トム) 
礼於(レオ) 樊須(ハンス) 常治(ジョージ)

などなど、、、


この日記も、昨日のものと同様に、東京で書いていますので写真が間に合いません。写真を用意できましたら、追加しておきますね。