そろそろ紫陽花の季節ですね。
あの五月の雨に濡れながら咲いている紫陽花は周りのよどんだ空気すら浄化してしまうような、そこだけきっぱりとした空間を作ってくれますね、大好きな花です。
トップの紫陽花は何週間か前に花屋で求めたもの。
それからずっと目を楽しませていてくれますけど、花が終わりになりかけていましたので、切って、花瓶に入れてみました。
やはりベランダではちょっと場違い。岬の庭の露地に移したいのですけど、何度も書いているように、紫陽花や梔子は虫にやられてしまって、いくら植えても駄目なのですね。
家のすぐ上にはいろんな色の紫陽花を畑の際に植えてあるところがあって、毎年この日記に使わせてもらっています。
手入れをちゃんとやれば、家でも大丈夫なはずなのですけど、、、
それと、もう一つ、いすみ市の近郊では、茂原から国吉方向へ広域農道を来ますと、紫陽花で有名な館があります。これも去年もアップしていたと思います。
ところで問題の紫陽花。
シーボルトがオランダに持ち帰った何種類かの紫陽花の一つには、奥さんの名前をつけて「オタクサ」(学名は長くって、シーボルトと共同研究者とオタクサの名前が入っています)って紹介していますけど、もともと日本は紫陽花の多い国ですね。でも、このオタクサは、シーボルトの前に日本に来ていたツンベルクがすでに発表していたので、学術的には認められていません。ところが、牧野博士がシーボルトは学術名に自分の恋人だった花柳界の人の名前を使ったって怒られており、逆にそのことで、日本ではあたかもオタクサが学術名として正式になっているように思われている節があります。
ところが不思議なことに大和詩にはあまり出てこない。
万葉集には大伴家持が坂上大嬢に送った戯れの詩とか橘諸兄の祝賀の詩くらいかな。
家持のは
言問はぬ木すら紫陽花諸茅等(もろちら)が
練(ねり)の村戸にあざむかえけり
4-773
実を言うと、この詩、よく分からないんですよ。
物を言わない木にすら紫陽花のように移ろうものがある
(まして、私はあなたの手練手管に)欺かれてしまった
珍しく、解説を加えておきます。。。っていうのか、解釈に自信がないので、間違いを指摘していただきやすいようにってことですけど。
諸茅、、、変化しやすい植物、移ろう、、、移ろう心
茅のところでも、茅の葉の色が変わるように、、、、って詩がありましたよね。
練りの村戸、、、練りは、今でも作戦を練るって使う「練る」ですね。練った、考えた心、作戦、方策、、、、、
そんな風な解釈しかできないんですけど、細かい点では間違っているかもしれませんけど、意外と心は掴んでいるかな?
とにかく、大伴家持と坂上大嬢の歌合戦。万葉集にはいくつかでてきますよね。結局、坂上大嬢は家持の正妻になるんですよね。めでたしめでたし、、、そして、それから1000年もこの二人の惚気に付き合わされる日本人にはご愁傷様。(もっとも家持のラブレター代わりの詩は坂上大嬢だけに贈られているわけじゃないけど)
橘諸兄のは
紫陽花の八重咲く如く弥つ代にを
いませわが背子見つつ偲ばむ
20-4448
紫陽花の八重に咲いているが如く、八代までも
栄えてください そのような我が君を偲びましょう、、、
唐詩でもよくありますけど、この手のおべんちゃらの祝い詩って好きじゃないんですけど、どうもうつろう、心変わりをする、誠実じゃない、、、、って、紫陽花に対しての評価がその辺に集中しているときに、紫陽花を勢いのあるもの、盛んなものに例えているこの詩はとても珍しいので、あえてご紹介しました。
それにもう一つ、この時代の紫陽花は山紫陽花、額紫陽花だって言われているのですけど、こちらでは八重って言っていますよね。もう八重の紫陽花があったのですね。
ただし、紫陽花の花びらのように見えるのは花弁ではなくて額です。花はあの花弁状の物の中にある豆粒見たいのものです。ですから、正確には八重とは言えないのかもしれませんね。
古今集や新古今集では思い出せないのです。心変わりを恨む詩なんてのが多い古今集や新古今集ではありそうなのですけど、、、、私の見落としかもしれませんね。もし、ご存知の方がおられましたら教えてくださいね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b6/908ae93af0a2a1737d39dadf0ef02bcc.jpg)
蛇の足ですけど、
白居易の紫陽花を2007年6月19日にアップしています。
この詩が入っている詩集は日本でももてはやされて紫陽花という漢字が日本に定着しました。でも中国では結局紫陽花の名前は定着しなかったのですね。
ただこの中で書いていますように、この紫陽花が、今の紫陽花かどうかは疑問視されています。