夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ノゲシ

2010年04月10日 22時56分49秒 |  デジカメ練習帖


よく被写界深度って言葉を書いていますけど、簡単に言えばピントが合ったところから、ぼけて見えるところまでの距離のことですね。同じ焦点距離のレンズであれば、絞り込むこと、対象よりも離すことによって、ピントの合う範囲が広がってきます。(深くなるって形容します) また、レンズの焦点距離によっても違いが出ます。(望遠になればピントの合う範囲が狭くなります)

撮るものによって、どこまでピントがあっていて欲しいか、あるいはぼけて欲しいのかが違いますので、絞りを代えたり、レンズを代えたりします。
私が普段よく使っている200ミリのマクロの場合、最短距離ではタンポポの花でも斜めに撮れば、蕊にピントを合わて、絞りを絞り込んであげても、花びらの向こうと手前はもうぼけています。
もう少し被写界深度を深くして、花全体にピントを合わせ、背景をぼかしたいと思えば、それよりも広角気味のレンズを使うほうがいいのですね。

デジカメをお使いの皆さんがよく言われるのは、背景をぼかしたいということですけど、絞り優先にして絞りを開けてあげる、対象にできるだけよって写す、そしてズームもできるだけ望遠側にしてあげることによってぼけさせることはできます。こちらにはサンプルはあげませんが、キャノンのSX20ISのテストで、望遠側でのマクロを何枚か撮っていますので、「デジカメ練習帳」のカテゴリーで探してみてください。

今日は、ニコンのD300に200ミリのマクロと55ミリのマクロを使って、被写界深度のサンプルをあげておきます。
トップは、ノゲシの花に焦点を合わせたもの。
下は、綿毛にあわせてあります。
レンズは200ミリ、絞りは11
対象までは最短距離。ピントを外れたところ(花に合わせれば綿毛のほう)は ぼけていますね。
なお、後ろの黄色は菜の花。



こちらも同じところで、かなり最短距離で撮ったものですけど、レンズは55ミリのマクロ。
菜の花も一応、形が見て取れますね。



どこにピントを合わせて、どれくらい絞っていくか。あるいは今のレンズの焦点距離で大丈夫か、、、、どんな風に撮りたいかによって、違ってきますね。
だから、花を撮りたい、マクロは何がいいかって聞かれても、ちょっと困ってしまう。
撮り方によっては、下のように標準(35ミリでの)レンズの方がベターの場合もあるのです。



ところで、この日記を書くために調べたあるサプリメントの会社のHPには「ノゲシ」の成分の効果効能の記述のなかにキク科アザミ属と書かれており、アザミの写真が掲載されていました。素人が軽々に言えることではないかもしれませんけど、ノゲシはキク科ノゲシ属、違うものなのですね。なんだか効力まで疑わせるようなHPでしたね。

庭の花

2010年04月10日 18時27分35秒 |  あなたの鼓動、華

家への入り口の桜のご紹介が終わったところで、庭の花々。
といっても、まことに貧しいものがあります。
今は入り口の八重桜が満開に近いこともあって、入り口は華やかな歓楽街になっておりますので特にその対比が目に付きますな。
入り口も、庭も、周りの木立が太陽の光を遮ってしまうし、虫や病気もうつしてくれる。
だから、花が育ちにくいのですね。

その中でひときわ目に付くのが、「見てみて」って騒いでいる石楠花。
イギリスのキュウガーデンのはもっと大きな木ですけど、こんなには自己主張が激しくなかったな~って、この子を見ながらため息を突いております。
老人には、この手は対処の仕様がない。
「あなた、なんぼなんでも、レディというものはもう少し慎み深く」なんてセリフを口にしようものなら、中世まで追いやられてしまいそうです。
もう、やりたいようにやらせておくしかないのでしょうか。



そしてその下で、ひっそりと咲き続けているのがこちら。
もうクリスマスは終わったのに。



イギリスで素晴らしいガーデンを楽しんでいらっしゃる方も、だいぶ前に「名残の」って紹介されていたのに、こちらはまだまだがんばっております。
名残のっていっても、貴女のことではないので、ご心配なく、、、なんて、なんでそんな疑わしそうな目で、私を見るのですか。
健気ですな~ 花のことですよ。




八重桜  世の中に絶えて桜のなかりせば

2010年04月10日 17時36分21秒 |  あなたの鼓動、華


ソメイヨシノが終わり、八重桜が咲き始めました。
我が家の入り口には2本の八重桜があります。
この写真の一本は玄関に枝を伸ばし、今は、桜の花の下を入って我が家へ出入りする状態。
山里の私の生活には、最高の色香を与えてくれています。
毎年、この時期になると被写体として働いてくれています。
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/b4ced4b414151aea37afae675516d0da
http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/56047260661cb1c2bc801c1b9e14720e



他の1本は、大きく張り出した楠の枝の下になって、なかなか花をつけてくれませんでした。昨日、その枝を切りましたので、来年からはと期待しています。

もう1本、昨年植えたものがあることはあるのですけど、まだ苗の状態。しかも瀕死の状態です。はたして生きてくれるのやら、親としては心配、おろおろしております。
実は、もう1本大きな八重桜があったのです。これは枝をお風呂場のほうへ伸ばしてくれてまして、今の時期は、もう最高。目の前に咲いている桜を見ながらお風呂に入れたのですけど、それが風の性で枝が折れ、そこから雑菌に侵されて、枯れてしまいました。
この家を決めるときに、こちらに来て、お風呂を覗きましたら、この八重が満開になって窓を叩いていたのです。もう、即決!でした。
私と岬を結んでくれた木だったので、どうしても代わりが欲しいのです。
去年植えたのはその代わりのもの。なんとか生きてくれて、また目を楽しませてくれるといいのにって願っています。

なんて、桜は煩いから嫌だなんてかっこをつけている割には、その実、私も、「絶えて桜のなかりせば」状態ですね。まあ、日本人だから仕方がないか。

あら、この詩、当然もう使っていると思い検索をかけましたが、「世の中に絶えて」と「夢幻泡影」ではこの詩を使っているページはヒットしませんでした。 ので、急遽、以下を追加です。

世の中に絶えて桜のなかりせば
      春の心はのどけからまし

古今集の在原業平のあまりにも有名な詩ですね。
花見の酒宴での創作。
詩として、いいものかどうか、私には分かりませんけど、
でも、日本人の桜狂いを見事にあらわしていますよね。




発表会

2010年04月10日 11時28分46秒 | 日記


ちょっと旧聞になりますが、4日の日曜日、弟の音楽教室の発表会に行ってきました。来られなくなった写真家さんのピンチヒッター。
朝の10時から夜の7時半まで、お忙しいことでございました。
大変だね~って言いますと、これでも、以前の半分、以前は二日ががかりだったんだから、不況で子供たちが減って大変なんだってこぼしておりました。

でも会場では、小学生から、高校生。そして大人の生徒さんまで、、、大人は音大の卒業生だったりして、、、多種多様な音が響いておりました。



多種多様といえば、以前にもご紹介したと思いますけど、弟の教室のほかと一番違うところは、アンサンブル重視。



おまけに、チェロを弾いていた子が、アンサンブルではバイオリン、こっちではピアノなんて、それが当たり前で持ち替えをやっているのですね。だから、音、音楽に対する感覚がかなり違うように見受けました。



それに伴奏やアンサンブルでの演奏がうまい。その辺のアンサンブルをあまりやってない音大生なら真っ青になるくらいにちゃんと音を聞いているし、メロディを把握している。たまに音程が狂っていても、それは感覚がないのではなくって、それに技術がおっつかないため、、、、ということにしておきましょうね。



舞台が、編成が変わるために、楽器など入れ替えで時間がかかるようなときには、中学や高校生のお兄さん、お姉さん、そしてインストラクターのおじさん、おばさん、、、、、(ごめん)たちが幕間の演奏をしてくれていましたけど、インストラクターの方々の演奏に比べても、技術はともかく、子供たちの音楽に対するひたむきさが伝わってきて、子供たちの演奏のほうが何倍も気持ちがいい、そんな思いを受けました。



今日のお言葉、その1
ねぇ、どんな場所でも、プロなら最善を尽くすべき。いろんなエクスキューズはあるでしょうけど、不満な演奏を(作品を作るときも同じね)やったら、どんな人がそこへ来ているかもしれないし、たまたまそのときのそれがその人の実力とみなされても仕方がない。
たまに、ものすごい演奏をしても、あとの演奏が駄目なら、駄目なほうで評価される。「気が乗ると、すごくいい演奏をするんですけど」なんて世の中甘くない。
もっとも、例のピアニストみたいに、「気乗りがしないから」って演奏会をドタキャンされるのも、聞くほうとしてはたまったもんじゃないけど。



今日のお言葉、その2
ねぇ、その1は誰のことを言っているかわかる。
幕間でショパンのエチュードの1番を弾いた人。現場で曲を変更したのには理由があるのだろうけど、あんな気乗りのしていない演奏、聴いている人に失礼、それに将来をつぶすよ、、、、なんて、見当違いのばかげた批評がやってくるのもプロの業。鬼みたいな批評家の言葉に耐えるのもプロの技よね。
でも、心配しないで。リストコンクールでグランプリを取って、ウィーンだかどこかの音大の教授をやっているピアニストと食事をしながら、面と向かって同じことを言った覚えがある。
「あんな演奏をやっているのなら、貴方のコンサートなんかぜったいにマネージしない。奥さん(これも同じ音大の音楽家のために体にやさしい演奏法などを教授している人。このような教科があること自体、その当時は日本では、声楽以外では、あまり知られてなかった、、、)の方を日本の大学に売り込むほうがよっぽど価値があるよ、、、」 (なんせ奥さん、とても綺麗な人で、この話を聞いたら身を乗り出して来ていたので)
私って、そんな「鬼」だから、誰にでも噛み付くのよ。



ところで、似非批評家業は別に置いてっと、
ここの子供たちとても貴重な経験をしている。
どんなに貴重かはまだ分かっていないかもしれないけど、
だってバイオリン教室とか、ピアノ教室の発表会で、トリオやクワルテットを演奏するだけならともかく、オーケストラで弾いたり、自前のオーケストラとかアンサンブルの伴奏でソロができるところってないでしょう。



これって、大きくなっていったときに絶対に有利。音感が違うもの。
どうしてもその楽器だけの教室なら、ほかの音を聞く訓練ができないものね。



もちろん、ピアノだけの伴奏なんてのもありますけど、
この下を見てくださいよ。伴奏はみんな弟の教室の子供たち。



ずっと昔に、この発表会に行ったときに、幼稚園の子が、幼稚園のバイオリンの子の伴奏をしていた。ソロの子のテンポが狂いだすと、ちゃんと左手でテンポを分かるようにはっきり弾いてみたり、メロディを飛ばしても知らん顔をして、それについていっていたのをみて、驚嘆したことがあるけど、ここの子たちにはあたりまえにできる業なんですね。



アンサンブルの経験、これって、アンサンブルで弾くことだけじゃない。特に弟の教室のように子供のときからそれをやって、ステージの準備や、譜めくりや、、、ってさまざま付帯したことも経験している。
音楽をやっていく上でとても大切なことね。
独奏者になるならともかく、ほとんどがオケや、アンサンブルに入っていくのでしょうからね。



ここの子たちの音感が、ピアノ教室とかバイオリン教室の子供たちとちょっと違うよねって思うのはそんなところから来ているのでしょうね。
(下の子、上ではピアノを弾いていますよね)



って、ことで、今日はおしまい。
塩をまかれないうちに、今から餌に行く。