旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

下関散策

2021-02-10 21:00:00 | 

JR西日本 山陽本線 下関駅《東口》 (山口県下関市竹崎町)

関門隧道を抜けて本州に帰ってきた。もうすぐ正午。うどんを食べてゆく。


ふく天うどん(640円) いなり1ヶ(100円)

下関とあって、ふく天うどんがある。「ふく」とは河豚である。山口県人だが、うちの方では河豚を「ふく」とは言わない。肉うどんが500円だから、ふく天はちょっとお高い。


いただきます♪

高級な河豚ではないが、ふく天うどん旨い。ごちそうさまでした。


小郡駅弁当 味一 (山口県下関市竹崎町 下関駅構内)
これまで令和2年12月21日撮影

下関駅弁当と徳山駅弁当を合併した小郡駅弁当。名前は変わり、駅弁もおやめになったそうだが、下関駅で駅弁やうどんの販売をしていた業者さんである。寝台特急の到着に合わせて開けていたプラットフォームのうどん店では、ふく天うどんが食べられたのだそう。東京からやって来たブルートレインは機関車の付け替えで下関に暫く停車する。何度か列車は利用したけど、うどんを食べた事はなかった。プラットフォームではないが、今日ふく天うどんをやっと食べる事が出来た。


下関駅弁当 下関名物元祖ふくめし (1,300円→650円半額セール♪
これより平成21年2月16日撮影

写真は下関駅で販売していたお弁当である。ブルートレインの車内ではなく、駅前のホテルの客室で食べた。


ふくの容器!


中身はこんな感じ! これまで平成21年2月16日撮影


懐かしい発車案内! これより平成21年2月17日撮影

翌朝の様子。


寝台特急〔富士〕〔はやぶさ〕 1列車 [EF66 42号機+14系客車] (下関)

東京から到着したブルートレイン。


機関車の付け替えを撮影する人たち!

自分もな。


寝台特急〔富士〕〔はやぶさ〕 1列車 [EF81 411号機+14系客車] (下関)
これまで平成21年2月17日撮影

東京から客車を牽引してきたEF66(直流)からEF81(交直流)に付け替えて、関門隧道に入って行く。ところで日付を見たら10年以上経っており驚く。


令和の下関駅に話を戻す… これより令和2年12月21日撮影

下関からは岩国行が何本も出ている。帰る前に下関を散策してゆく。




JR下関駅ビル ripie(リピエ) (山口県下関市竹崎町)

かつての駅舎の三角屋根のデザインが駅ビルに見られる。


下関港国際ターミナル (山口県下関市東大和町)


釜山側の船が入っている!

下関と釜山を結ぶ国際航路。このご時世で旅客は取扱中止措置がなされている。旅客ターミナルはひっそり。この間に工事が行われている。旅客はいないけど、貨物輸送は行われている。




高い建築物が見える!


海峡ゆめタワー (山口県下関市豊前田町)

平成8年7月開業、高さ153mだそう。ここは登った事はないけど、実は釜山タワーは登った。




汽笛とならんであるく 早春の白波
山頭火


種田山頭火の歌碑。山口県佐波郡西佐波令村(現在の防府市)の生まれである。作品は五七五でない俳句だそう。情景が浮かぶ。


大いなる船ほうほうと汽笛鳴らし
馬関海峡暮れにけるかも
吉井 勇


他の方の歌碑も。馬関海峡という昔の言い方がいい。


桃柑子芭蕉の実売る磯街の
露店の油煙青海にゆく
若山牧水


関門連絡船の桟橋はこの近くかと思う。関門隧道の開通前の山陽本線の旧線と旧下関駅はどこだったかと探しながら歩いて来たが、痕跡は見付けられなかった。今の場所に下関駅が移転したのは昭和17年である。歌碑がある事から、駅や桟橋はこの辺だと思うが、旧下関駅跡とか、地図などの案内が欲しい。





昭和15年、内田百先生は新造の八幡丸に乗るために下ノ関を訪れている(を省略すると先生に叱られる)。神戸まで船で来て、神戸からは汽車に乗って下ノ関に到着。この下ノ関駅は関門隧道開業前の旧駅である。ホーム伝いで山陽ホテルに投宿されたが、平成23年に解体されるまでホテルの建物は残っていたそう。見ておかなかった事が悔やまれる。まだ戦争は始まっていなかったが、ホテルのバアは宵の口に閉まっており、お酒や麦酒に不自由した時勢だったそう。百先生は東京から持参の麦酒をボイさんに冷やしてもらって飲んで寝たそう。翌朝、ホテルの窓から八幡丸の真白い巨体を見たのは、この辺りからの景色だろう。連絡船で門司に渡り、ランチで八幡丸に乗船された。この新しい船は開戦後に海軍省に買い上げられ航空母艦〔雲鷹〕に改造。昭和19年、米軍の攻撃で海に沈められた。


雨雲のみだれ移るを車房より
わが見つつ居り関門の海
斎藤茂吉


現在、門司への船はここから出ていない。唐戸の方へ向かう。


やまぎん資料館(山口銀行旧本店) (山口県下関市観音崎町)

古風な西洋建築が見える。大正9年、三井銀行下関支店として竣工。昭和8年に百十銀行本店が移転してきて、同行が昭和19年に他行と合併して山口銀行となった。本店は昭和40年に下関駅近くの現在地に移転している。




ロンドンバスが置かれている!




LONDON BUS



どうして下関にロンドンバスがあるのだろうと思ったが、下関に旧英国領事館がある縁で無償貸与されたそう。今は静態保存されているが、平成25年までは下関ナンバーを付けて路線バスで走っていたそう。このような二階建てバスには当時は英領の香港で乗った事がある。


下関市立しものせき水族館 海響館 (山口県下関市あるかぽーと)


旧秋田商会ビル (山口県下関市南部町)

大正4年竣工の建物。秋田商会は海運会社だったそう。


下関南部町郵便局 (山口県下関市南部町)

隣に建つ郵便局は、明治33年竣工の旧赤間関郵便電信局。下関市最古の洋風建築で、現役の郵便局舎としても最古なのだそう。




旧秋田商会の屋上には日本庭園、茶室もある!


唐戸交差点の向こうには…


旧下関英国領事館 (山口県下関市唐戸町)
Former British Consulate in Shimonoseki
Karato-cho, Shimonoseki, Japan



明治39年建築の英国領事館。函館でも領事館を見掛けたが、日本の外務省のサイトによると、現在の英国の駐日公館は英国大使館(東京都千代田区一番町)、在大阪英国総領事館(大阪府大阪市中央区博労町)、および在北九州英国名誉領事館(福岡県北九州市小倉北区馬借)となっている。




下関唐戸1号桟橋 (山口県下関市あるかぽーと)

門司港、巌流島への便がここから出ている。


門司港行が出航!


堂崎の渡し場跡


聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地




亀山八幡宮 (山口県下関市中之町)


八幡様の鳥居の側には明治11年建立の「山陽道」の碑が!

渡し場から上陸したところから山陽道が始まる。648.6kmのキロポストは国道2号ではなく、国道9号。唐戸から門司港に船で渡ってみようかと思ったが、関門橋が近くに見えるので、山陽道を京へ上る。ちょっとだけ。


春帆楼 (山口県下関市阿弥陀寺町)

ふく(河豚)料理の割烹旅館である。団体さんとしてだが、一度来た事がある。河豚は美味しかった。最初に河豚が解禁になったところだが、日清講和会議が行われた場所でもある。日清戦争の講和会議である。日本側は伊藤博文、陸奥宗光らが、清国側は李鴻章らが臨んだ。明治28年4月17日(清光緒21年3月23日)に日清講和条約(馬関条約・下関条約)は締結された。敷地内に日清講和記念館があって会議の様子が再現されており、食後に見学した。




関門自動車道 関門橋(1,068m)

関門橋が近づいてきた。関門海峡の最峡部、早鞆の瀬戸に架かる。


対岸の関門トンネル人道入口が見える!

関門橋は高速道路なので人は歩けないが、関門トンネルは車道の他に歩道も設けられているので、歩いて渡る事が出来る。


国道9号沿いに見慣れぬ標識が!



関門海峡を航行する船舶の為のものだろう。






工事のクレーンが見えるところが壇之浦パーキングエリア!

「寝れないんだよぉ」で有名になったかも知れないが、本州側最後の休憩所で関門橋の眺めも良いパーキングエリアである。


関門橋の直下!

橋は現在修繕中です。




海の水はきれいだ!




火の山ロープウェイが設置されている!

ロープウェイ内や火の山から見る関門海峡は絶景だろう。冬季は運行していないので、運行時期や運行日はご確認下さい。令和3年は3月19日運行開始予定。


海沿いに並んでいるのは…


大砲だ!


長州砲の原寸大レプリカを設置

文久3年(1863)より攘夷するべく長州藩は外国船を砲撃、海峡封鎖する。元治元年(1864)に英仏蘭米の四国連合艦隊に報復攻撃を受けて敗北する。 (つづく)