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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大統領選挙とアメリカ国民の希求(つづき)

2008-06-08 12:08:32 | 時局雑感

 

 米大統領選挙の民主党の候補者選びで、経験を訴えたクリントンに対し変化を呼びかけたオバマの勝利は、国民の希求からして自明であったと昨日のブログで書いた。
 もう一つ。初の女性大統領と初の黒人大統領、というテーマはどう作用したのだろうか?

 オバマに勝利を与えたことにより、アメリカ国民は、まだ残る女性差別として、女性大統領の出現を拒んだのではないかという意見もある。しかし私は、アメリカは女性大統領を迎える機運を十分に持っていると思う。世界に女性のトップを持つ国は多く、特にヒラリー・クリントンの長期にわたる準備と、彼女を大統領候補として本命視する機運は、十分に出来上がっていたのではないか。(あのタイプは女性に嫌われるタイプとも聞くが)
 それよりも、オバマと言う黒人候補を選んだところに、より大きい国民の決断を見る。
 オバマは既に黒人ではない、という意見がる。確かにオバマは、2歳にしてケニア人の父と別れ、白人の母の家族で育てられた。加えて、コロンビア大学、ハーバード大学という名門大学を経て弁護士として活躍、その後まだ一期といえども上院議員を務めたとあれば、れっきとした最上層のアメリカ人で、もはや黒人ではないと言えるかもしれない。
 しかし、アメリカの政治は一貫してWASP(White Anglo-saxon Protestant つまり白人でアングロサクソン系のプロテスタントの略)という超エリートに握られてきた。そのことからすれば、いくら上記のような経歴の持ち主とはいえ、アフリカ黒人を父に持つ人間を大統領にしようとする決断は、画期的な事態ではなかったか。
 このような決断をせざるを得ないほど、アメリカ国民は閉塞感に悩まされ、「新しいアメリカ」を求めているのではないか? 各国から移民を受け入れ、多民族国家としておおらかに成長しながら、一方で、奴隷制度や人種差別など負の遺産を引きずりながら歩いてきたアメリカは、今、大きな転機に指しかかろうとしているのかもしれない。
 オバマは、アングロサクソン以外の民族の血を引くからこそ、多民族・多文化国家の象徴として期待されてきたのかもしれない。

 11月の本選挙では、人種や性別差別などを超越した高い次元で、「新しいアメリカの進路」を求め合うことを期待してやまない。
                            


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