約一月前の1月28日の本稿で「悲しき日本酒」という記事を書いたが、日々の政治状況を見るに、酒のあり方を嘆いているような生易しい場合ではなさそうだ。
総理大臣自身が、あれほど鳴り物入りで行った郵政民営化を、当時の閣僚でありながら「俺は反対だった」などと無責任なことを言い始め、予算審議の真っ只中で提案責任者たる大臣が酔っ払って酩酊記者会見を行う有様だ。あの酩酊振りはまさに「悲しき日本酒」そのものだ。幸いにして飲んだのはワインのようであるが、G7後のローマという世界のヒノキ舞台でそれを演じる感性は、不見識とか常識外れとかいう一般国民のものさしからも遥かに外れた水準ではないか。
当然のことながら各紙の世論調査では内閣支持率は10パーセントすれすれに落ちてきた。それを見た自民党幹部が「ああ、よかった。まだ二ケタあった」と言ったそうだが、これも一般国民が持っているものさしでは測れない感覚だ。不支持率80パーセントというのはかつてない高い数字と聞くが、問題はそれでも辞めない、ということだ。この感覚も、もちろん測るものさしを持たないが、こんな事態は外国では余程の独裁国家でしか通用しないのではないか?
国民の80パーセントが支持しないというような状況になれば、本来は8割の国民なりその代表なりが国会に押し寄せ、即時退陣せよと迫るのではないか? そのような動きを微塵も見せない国民の従順さを熟知しているので、国会で茶番劇を繰り返し、政党内では責任を擦り付け合って、「どうすれば選挙に勝てるか」など国民不在の政局のみに身を委ねているのであろう。
かく言う私も、国会に押しかけるわけでもなく、「悲しき日本酒」などと酒のあり方を嘆いているのだから、水準において大した差はないが・・・。