旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

美しいふるさと、しかし今や声の出ぬ母

2009-02-15 13:05:57 | 

 臼杵の風景は昔と変わらず美しかった。暖かい陽気に誘われ臼杵川の堤防を上流まで歩き、二王座をはじめ武家屋敷やお寺の続く町並みを歩いた。紙雛(かみびな)を飾る家々は、60~70年前の記憶を蘇させる同じ看板や名札を下げていた。当時から何代か後の人が住んでいるのであろうが。

 
 子供の頃から、我が家の前を流れる臼杵川の堤防から見る景色が、臼杵で一番美しいと思ってきたが、その思いは今も変わらなかった。それは、南面の山(その名のとおり「鎮南山」と呼ぶ)と緑に抱かれた寺の瓦屋根が臼杵川に影を落とす姿である。歌のとおり「山は青く水は清き」ふるさとである。

 今度の帰京は何度も書いたように、いよいよ動きのなくなった母を見舞うためであった。
 その母は、「帰ってきたよ」と大声で話しかける私と妻を、交互にジーッと見つめていつまでも目を離さなかった。そして何か言おうと身を震わす素振りを示し、確実に私の存在を分かったと思うが、ついに言葉を吐くことはなかった。
 弟によると、一月ぐらい前から歌を歌うことをやめ、声を出すことがなくなったという。最後の夜、弟夫妻とともに「母と歌う」試みに再び挑んだ。弟がウクレレをかき鳴らし、母が最も愛した「海(うみはひろいなおおきいな・・・)」や「ふるさと(うさぎおいしかのやま・・・)」を、四人で顔をのぞき込みながら歌った。母は私たちの顔を交互に見つめ続け、声を出そうと肩を震わせているかに見えた。
 しかし、ついに、母があれだけ歌い続けた歌を歌うことはなかった。
 私たちは、何度もなんども歌った。

  山はあおきふるさと  水は清きふるさと
  

 美しいふるさとの山河・・・、その常に変わらぬ姿を見るにつけ、人の世のはかなさを思うのであった。
                             


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