八郎潟町に「浦城の歴史を伝える会」というNPO法人がある。地元の歴史を発掘する活動を、地道にかつ強力に進めている。
浦城は三浦氏の居城。三浦氏は11世紀後半、相模の国三浦郡三浦郷に発祥、源頼朝の挙兵から、北条、上杉、武田、などとかかわりを持ちながら、永禄10(1567)年秋田実季の幕下として浦城に入る。
その浦城は、八郎潟町の背後を囲う森山から、八郎湖を望む高岳山になだらかに連なる鞍部に築城されていた。しかし三浦氏滅亡の後、朽ち果ててその痕跡を見ることも出来なかった。
近時、その後を追い、古文書などをたどりながらかつての城(屋敷跡?)を復元させようと追及しているのが、「浦城の歴史を伝える会」の面々である。
そして、これまでは杉の原始林に等しかった山に道を切り開き、階段をつけ、鐘を運び上げて鐘突き堂を再現し、標高240mの本丸跡に立派な御影石の碑を建てた。加えて途中の眺望のよい場所に八郎潟町から遠く八郎湖、男鹿の山々を望む展望台も作ったのである。
並大抵の苦労ではなかったと思われる。それら全ては会員たちによる無償の奉仕によるものであった。私が知るその面々には、歴史に詳しい元公民館長や歯科医師、また一級建築士から石材屋、大工、左官仕事の出来る人たちもいると聞くので、このようなことが出来たのであろう。その極めつけは「浦城」という銘柄の酒まで造ったことだ。会員の一人である酒販店主のコンセプトにより、五城目町の福禄寿酒造が丹精込めて醸しあげた純米吟醸で、豊かな米の味を引き出した素晴らしい酒だ。
今回わたしは、初めて城跡まで登った。そして道すがら頭を去来したものは、それらの人たちが黙々と働いた姿であった。「あの人がこの鐘を担ぎ上げたのか・・・、あの人がこの櫓を組み、あの人たちが杉を切り倒し道をつけて行ったのであろう・・・」、ということであった。
先人たちの歩いた跡が、こうしてまた明らかにされていくのであろう。