旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

山田錦へのこだわり--「醸し人九平次」

2009-03-26 17:08:52 | 

 「而今」が220230石の蔵でありながら、山田錦や五百万石、八反錦、千本錦などさまざまな米を駆使して多彩な酒を造っていることに興味を持ったが、この「愛知三重酒蔵ツアー」で最後に訪ねた「醸し人九平次」(萬乗醸造)の蔵元久野九平治氏は、800~900万石を造りながら使用米を山田錦一本に絞ってきている。
 かつては五百万石も使っていたそうなので、「五百万石はなぜ駄目か?」と問うと、「五百万石は早稲の米、山田錦は晩生(おくて)の米・・・、そもそもしっかりしたものに出来上がる晩生の植物の良さという大前提を持ちながら、麹つくりに最適の性質は比類ない」と言い切る。そしてその裏には、この蔵が“酒つくりの原点”に立ち返った歴史的経緯があるように思える。

 日本の地方蔵がほとんどそうであったように、この蔵も大手へ桶売りする酒を造ってきた。ピーク時には3千石を造りその大半を某大手蔵に収めていたが、その生き方をキッパリ止めて「自分の酒を造る」原点に立ち返った。当然のことながら製造量は三分の一以下に激減したが、そこに残ったのは正しく「自分の酒」であった。
 九平治氏は同時に、蔵の方針だけでなく酒造りそのものも原点に立ち返った。それは酒造界に長く言い伝えられている「一麹、二もと、三つくり」という言葉だ。九平治氏は「一麹」と第一に掲げる麹を額面どおり重視した。しっかりした麹を作り米のデンプンを糖化する力を増し、豊かな糖と力強い醗酵力を持って酒醗酵の全過程(特に長期低温発酵)を引っ張りぬこうとしたと言う。
 そして試行錯誤の結果、その力強い麹を造る最適の米が山田錦に収斂してきたようだ。
 そのほか、この蔵には学ぶべきことが山ほどあった。しかし私は、この「原点に立ち返った酒つくり」がいかに貴重であるかを学ぶだけで十分であると思った。かつてのように桶売りに身をやつしていれば今の超人気酒「醸し人九平次」はなかっただろう。自分の酒に立ち返ったとき、そこに新しい酒文化が生まれるのである。

 蔵を案内しながら、九平治氏は以上の経緯を淡々と語った。その風貌には「自分の酒」を創り上げた男の風格がただよっていた。(写真向かって右が九平治氏)
                            


「醸し人九平次」萬乗醸造の商標

 

 


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