2月4日に「『沖縄の心』はいずこに?」と題して、近くの泡盛屋の若者の話を書いた。実は他にも大変気になる言葉があったのだが、朝青龍の引退や小沢の不起訴問題などつまらないニュースが続いたので、書きそびれていた。
泡盛屋の若者は、基地問題は沖縄人にとって大変な問題であるが、それ以上に重要な問題は「沖縄の教育の遅れ」だと言うのだ。同じ日本でありながら、いわゆる内地との一番の格差は「沖縄の教育水準」だと彼は言う。
基地問題に対する判断も、返してもらう基地の有効利用策も、また沖縄経済の興隆についても、沖縄人は自ら提起しなければならないが、その力を養う教育力が沖縄にないのが悲しい、と若者は言う。
私はこの言葉にはドキリとした。これまであまり考えなかった事であるからだ。若しかして、今日本が国として沖縄に対して一番やらなければならない事はこれではないか?、とも思った。
質は違うかもしれないが、台湾に行って多くの人に感謝された事は、「かつて日本は台湾のインフラを整備し、産業を興し、『教育水準を引き上げてくれた』」、という事だった。植民地支配を逆に評価されるのはどうも合点がいかず、いつも変な気持ちが残るのであるが、思えば当時台湾に派遣された人材は、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造、八田與一、また井沢修二という優れた教育者など日本最高の人材であった。日本本土に残っていた人材よりむしろ優れた人達であったと言えるだろう。
そのような人達が台湾に残したものは、確かに評価されてしかるべきものもあったのだろう。その点からすれば、第二次大戦で最も大きい犠牲を払わせた沖縄の復興に、国は最大限の力を注いだのであろうか? 特に百年の計といわれる教育に力を尽くしたのであろうか?
沖縄は、あの大戦で、戦後を指導する人材自体も失っていたのである。
泡盛も焼酎もおいしかったが、心行く酔いにまではいたらなかった。