旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

『虫庭の宿』を読んで ・・・ 由布院を守り育てた人々

2010-02-12 20:44:31 | 

 

 『虫庭の宿』(西日本新聞社発行)と言う本を読んで、ふるさと大分に新たな郷愁をいだき、その一町を守り育てた人たちの活動に清清しい感動を覚えた。

 この本は、温泉で有名な由布院町を守り育てた人たちの活動の記録である。多くの人々が現在の素晴らしい由布院町の町つくりに参画するが、その中の中心人物の一人、玉の湯温泉会長溝口薫平氏の語りを、西日本新聞社の元大分総局長野口智弘氏が聞き書きしたのがこの本である。

 私が生まれ育ったのは大分県臼杵市であるが、山が好きであったのでよく由布岳に登った。双子峰の男性的な山で、1583メートルにしては登るのがきつい山であった。その山懐に抱かれた盆地にある温泉地が湯布院町で、当時(半世紀以上前)は、田んぼの中に温泉宿が点在する何の変哲も無い町であった。温泉といっても、せいぜい「別府の裏座敷」という位置づけに過ぎなかった
 それが今や、日本を代表する温泉町となった。しかも、いわゆる歓楽街ではなく、自然と文化と癒しの場所として、心ある人びとの憧れの地になったのである。




 1958年に大分を離れた私は、その後、由布院の名声を聞いてはきた。特に音楽祭と映画祭が東京でも有名になり、私は、おそらく都会の人たちが雑踏を逃れて「あの鄙びた温泉地」で祭りをやっているのだろうと思っていた。むしろ、都会の連中にふるさとの地が荒らされているのではないかとさえ思っていた。
 ところが、この本を読んで、全く逆であったことを知った。都会の攻勢はもちろんあった。それは、由布院の豊かな自然で一儲けしようとする大資本の「歓楽街化攻勢」であった。むしろそれとどう戦うかが由布院の人たちの宿命であったのだ。
 ゴルフ場の進出、大レジャーランドの進出、サファリパークの進出、町の高層化の攻勢・・・これらを全て退けながらの「自然を守る」戦いが、この本につづられている。日本全土が高度成長の材料にされ、魅力ある街ほど「資本の牙」に食い荒らされた中で、由布院が今の姿を築いたことは驚異と言うしかないが、それなりの理由があったことがわかる


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