旅の二日目は下北半島を巡るコースだ。青森県の東側、いわば南部藩側だ。明治の廃藩置県で、本州最北端も東西に分けるべきところを南北に分け、東西一緒にして青森県とした。官僚の単純ミスであろう。しかし東と西は、南部藩、津軽藩という呼び名だけでなく、気象条件から産業状況までまるで違う。今でも実態的統一はなされていないと言う話を聞いてきたが、今回の旅でその思いを新たにした。
後で回った津軽は想像以上に豊かな穀倉地帯が続いていたが、下北半島には緑が少なかった。低地で風が強く、穀物は育たず、産物は専らジャガイモやニンニクなど甜菜類とのことだ。途中の道の駅でそのニンニクを一袋買って帰った。
強い風を利用した風車が丘陵に立ち並ぶ。これによる電力を六ヶ所村などに送っているということだ。風車といってもただ風が強ければよいと言うものではないらしい。あまり強いと羽根を持っていかれるので止める。ほどほどの風がよいというから難しい。
この旅で初めて知ったが、岩手県は四国4県の広さで、マサカリ型の下北半島は大阪府の広さに匹敵すると言う。この岩手県と下北半島を治めたのが南部藩・・・、この広さで10万石と言われ、一方津軽藩は青森県西半分だけで10万石だから生産力にかなりの差がある。あの伊達政宗にしても、米の採れない南部には食指を動かさなかったらしい。
しかし、そのような地でこそ人智が働き、また偉人を生む。奥入瀬からバスを下ると青森県十和田市だが、ここもかつては荒廃の地であった。そこに新渡戸傳(にとべつとう)という60歳の老人が現れ、奥入瀬川の水を上げて稲生川という農業用水を作り豊かな穀倉に変えた。この気の遠くなるような事業に取り組んだ老人の孫が、あの新渡戸稲造である。
バスはひたすら走って最北端の大間に向かう。大間は黒マグロで有名であるが、ガイドの説明によれば全て東京の築地に送られ、地元で食べることはないと言う。金には代えられないのであろうが、これもまた悲しい話である。
マグロはイカを追って来る。今年は大きいイカの大群がまだ現れず、マグロも来ていない。時速70キロで回遊するマグロの一本釣りを見たいものだが、それは大間岬のモニュメント(下写真)を見るしかになかった。