思いがけずもT氏に招待券を頂き、久しぶりに国立劇場の歌舞伎を観た。出し物は真山青果の『天保遊侠録』と『将軍江戸を去る』の二本立て。長い台詞の続く濃密な真山劇を、吉右衛門、染五郎、歌昇などが重厚に演じた。
『天保遊侠録』は、勝海舟の父小吉の物語。放蕩者の小吉は自由気ままな生活を送るが、“鳶が鷹を産んだような”出来のいい息子麟太郎だけは、なんとか出世させたいと願う。そのためには、本当は気が進まないが膝を屈して上役たちを接待し、息子を売り込もうとする。しかし料理をなじられ、立ち居振る舞いをとがめられるうちに堪忍袋の緒が切れて、「もうたくさんだ」と接待を打ち切る。そこで小吉役の吉右衛門が大見得を切る啖呵が
「…石高の違いなんてえものは、役人どもが帳簿に書き記したものに過ぎねえ。一皮剥きゃあ、上も下も人間の値打ちに違(ちげ)えはねえや~…」
と言うもので、これを聞いて観客席はヤンヤの喝采、「播磨屋!」(中村吉右衛門の屋号)の掛け声が館内に轟き渡る。
庶民はこうして胸のつかえを下ろすのである。特に格差社会の問題は、新たな貧困問題を抱えた現在社会に通じるものがあったであろう。
『将軍江戸を去る』は、第2幕の、山岡鉄太郎(染五郎)の将軍徳川慶喜(吉右衛門)に対する諫言の場と、それを経た慶喜の「江戸を去る千住大橋の場」が山場であるが、それはさておき、第一幕の、西郷吉之助(中村歌昇)が勝海舟(中村歌六)との対談で江戸上総攻めを中止する思いに至る場面も見応えが合った。
そこにいたる心情を長い台詞で語った歌昇は、最後に「江戸が火の海となれば、罪のない無垢の人々が殺される」戦争の非情さを語り、
…戦争とは、酷いものであるよの~」
と大見得を切る。
ここでまた観客席は拍手に包まれ、「播磨屋!」(中村歌昇の屋号)の掛け声が飛び交う。
いつの世も苦しい思いの中に生きる庶民は、その胸のうちを芝居の大役者に語らせ思いを遂げる。歌舞伎が長く庶民の文化として栄えてきたことを改めて思い知った。そして庶民が抱えている問題は、江戸時代も現代も変わらぬことを教えてくれた。